大人気漫画家
一度、段ボールに埋もれている女性に視線を送った後に他の場所へと視線を移していく。
まず目につくのはコバエに集られ、凄まじい腐敗臭を放ちながら机の上に放置されている食べかけのホールケーキである。正気の沙汰ではない。
「……原稿?」
次に目についたもの。
部屋の隅に置かれたデバイス、そこに描かれている漫画を目に映して僕は首を傾げ───先ほどの聞き覚えのある声が全て繋がった。
「アネモネさんッ!?」
僕は慌てて自分の隣で埋もれている女性をほじくり返す。
「……あ、あはは」
段ボールの下から出てきたのは何とも言えない微妙の表情を浮かべている綺麗な女性だった。
腰にまで伸びた黒髪に珍しい紫色に光る瞳。
泣きぼくろが彩る美しい相貌を持ったその女性は非常にラフな格好をした状態で非常に無様な様を披露している。
「……アネモネ。その名前を呼んだってことは、私のファンの人かな?」
いそいそと立ち上がったその女性は───アネモネさんは言葉を震わせながら口を開く。
「……まぁ」
僕はそっと視線を外しながら彼女の言葉に頷く。
アネモネ。
それはとある一人の漫画家のペンネームであり、今最も来ている時の人の名前でもある。
絶賛アニメ化によって人気が跳ね上がった漫画家であり、顔出しありでメディア露出したその日にはその圧倒的な美貌によって男性ファンの心を掴み、高身長スーツ姿の出来る女性感をバリバリに見せることで女性の心をも掴んだその人こそが───今!僕の前で無様な姿を晒していた。
そりゃ声も聞いたことがあるはずだよね。
だって実際にインターネットで聞いたことがあるのだから。
「……っ、……っ」
僕の言葉を聞いたアネモネさんは表情を赤く染めながらまるで餌を求める鯉のように口をパクパクさせている。
「あー、アネモネさん。プライベートだとラフなんですね」
「あぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!」
何とか絞り出した僕の言葉を聞いたアネモネさんは体を震わせて発狂しながら瞳に涙を溜め始める。
「……なぁぁぁ。なんとか作り出した私の仮面がぁ。みんなにいい様にみられるためにぃ、ひっく、ここまでぇ……頑張ってきたのにぃ、晒されるぅ。晒されてみんなから嫌われるんだぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして、アネモネさんはそのまま泣き出してしまう。
「……あっ、えっとぉ」
彼女いない歴=年齢。
小説家志望でありながら手に職が欲しいよなぁ、とか思って理系に進んで自らの首を絞めている一般通過男子高校生であり、小説を書き過ぎて自身の青春をすべて小説に捧げて終わりそうな僕は目の前で泣いている女性を前にしてどうすればいいかなどわからなかった。
「よし!とりあえずは掃除をしないとですね!」
なので僕はさっさとアネモネさんを無視して本題に入ることにした。
結局のところ、僕はここに異臭をなんとかするために来たのだ。
「……え?そ、掃除……晒さ、ないの?」
「晒しませんよ。確かに知名度は欲しいですが、こんなことで有名になっても虚しいだけです。むしろ、あのしっかりとしたアネモネさんの素の姿を僕だけが知っているという優越感があるくらいです」
「はぅ」
「それでも流石にここまでの放置はヤバいかなぁ、って思いますけど」
「……うぅ」
「割とシャレになってなくて、廊下に出てきてもくっさいんですよ。普通に僕はここで誰かが孤独死したのかと思ったくらいですよ」
「そ、そんなに!?」
「まぁ、ご遺体に触れたことなんてひい爺ちゃんの葬式くらいなので詳しくはわかりませんけどね……」
「アネモネさんは掃除とか苦手ですよね?」
「……まぁ、すみません」
アネモネさんは僕の言葉に指をもじもじとさせながら、赤くなった目をキョロつかせる。
「ですので僕が手伝いますよ。これでも一人暮らし歴は長いので、掃除くらいは簡単ですよ」
「し、しっかりしているんですね……」
「人間としての基本的な能力です。ということで掃除していきますけど大丈夫ですよね?」
「お、お願いします……流石に不味いと私も思っていたんです」
「それじゃあちょっと靴の方履いてきますね」
「えっ……?ここってば家の中なんだけ、ど……?」
「は?ここは家じゃないですけど?」
家だから土足厳禁なんてことを宣うアネモネさんに僕は率直な感想を返す。
この足の踏み入れ場もないようなところを人は家とは言えない。何のゴミかもわからないような汚物が散乱しているもの。
出来るだけ避けたつもりではあるけど……とりあえず靴下は処分だろう。
「あっ、はい」
本気で告げた僕の言葉にアネモネさんは素直に頷く。
「それで良し……じゃあ、ちょっと待っていてください」
「はいぃ」
僕は慌てて家の方に戻って必要そうなものをかき集め、靴下をダストシュートして新しい靴下を履き、身支度を整えてから自分の家を出る。
「お待たせしました」
そうして少しの時間をかけた後にアネモネさんの部屋の方に戻ってくる。
「あっ、ありが」
「しゅこー、しゅこー」
家の中で大人しく待っていたアネモネさんは僕の完全武装を見て言葉を止める。
「そこまでするぅ!?」
そして、靴を履いてくるだけではなく、家にあった軍手にこれまた家にあったガスマスクを着けてやってきた僕にアネモネさんは驚愕の声を上げるのだった。
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