第17話 修也
すっかり夏も終わって、秋が深まり始めた頃。
修也はテスト期間が終わると、今まで通り記憶堂に通いだした。変わらない様子の修也に少しだけホッとする。
しかし、修也は時々両親についてポロッと話すことが増えていったのだ。
それは本当に些細なことで、例えば『加賀先生に、目元が母親に似ているって言われた』とか、『父親がいたらどう言うかな』とか、『じいちゃんは母親が産まれた時に花が咲いたようだって思ったから花江ってつけたらしい。俺の名前の由来はなんだろう』とか、サラッと会話の中に盛り込まれることが多くなったのだ。
それに対して龍臣も同じようにサラッと返していたが、修也自身の両親に対しての意識がどこか変わったのだろうと思う。
だからある日、龍臣は意を決して聞いてみた。
「修也は両親のこと、前より知りたいと思うのか?」
何気なく聞いたつもりだが、龍臣は少しドキドキしていた。
デリケートな話になる。様子を見ながら話を進めなくてはと思っていた。
でも修也は予想に反して二つ返事で頷いた。
「うん。なんかね、少しずつ両親についてちゃんと知っておこうかなって思うようになってきたんだ」
「良い話ばかりじゃないだろう。知るということは、良いことも悪いこともひっくるめて知ることになるんだぞ? 辛い結果の場合だってある」
「そんなのとっくにわかり切っているよ。そもそも、俺を捨てて言った時点でいい話じゃないだろう」
修也は困ったように苦笑した。
その通りだ。それもわかって、知りたいと思うのか。
「ねぇ、龍臣君は記憶堂の仕事をしていて様々な人の記憶の中を見て来たんでしょう?」
「あぁ」
「そこに、俺の両親についての話があったんでしょう?」
「……あったな」
「教えてくれない?」
修也が初めて龍臣に教えてほしいと言って来たのだ。
突然の申し出に、龍臣の方が一瞬言葉に詰まる。
すると、龍臣が答える前に「いいんじゃない?」といつの間にか起きて来たあずみがカウンターに頬杖をつきながら答えた。
起きて来た気配は感じていたから驚きはしなかった。しかし、そんな簡単に言われてもと少しだけ思う。
そんなあずみをチラッと見て、龍臣はため息をついた。
「お前が思っているほど生易しい話ではなくなるぞ」
「ある程度最悪な話は予想している。まぁ、現実はそれを上回りそうだけど」
修也は肩をすくめてそう言った。口では軽いことを言っているけど、目が真剣だ。
あぁ、まるで何か決めた花江の瞳に似ているなとも思った。
「知ったらお前は確実に深く傷つく」
「うん」
「源助さん達とも気まずくなるかも」
「そうかもね。でも隠し事されている今も、俺からしたら気まずいよ」
「お前は泣きわめくかも」
「泣いたらスッキリするかもよ」
「引きこもりになるかも」
「そこは大丈夫だと思う。ていうか、何? 話したくないの?」
回りくどい龍臣の様子に、ついに焦れた修也が頬を膨らませてぷんぷんしながらカウンターに詰め寄った。
しかし龍臣は修也を真っ直ぐ見つめる。
「お前は僕にとって弟のようなもんなんだよ。傷つくところを見たくないって言うのは当たり前だろう!」
龍臣がはっきりそう言うと、修也が目を丸くした。
「なんだよ」
「いや……、そんな風に思っていてくれるなんて思いもしなかったから」
といって、急に照れたようにへへっと笑った。
そんな反応されると、龍臣も恥ずかしくなる。
二人で妙に照れていると、あずみは冷めたような視線を寄越してきた。
「なんなの二人して気持ち悪い。とにかく、修ちゃんは聞きたがっているんだから今こそ話すべきよ」
あずみは言いながら朗らかに笑う。
その笑顔に後押しされたように、龍臣も頷いた。
「そうだな。夏代さんとの約束もそろそろ守らないと。今度の日曜にお前の家に行くよ。源助さんと夏代さんにも話がある。その時に話すでいいかな」
「わかった」
修也はしっかりと覚悟をした瞳で頷いた。
修也が帰って、店も閉店時間になった。
龍臣は戸締りをして簡単な片づけをする。あずみは暇そうに龍臣の後をついて回る。
「修ちゃん、良かったね。聞く気になってくれて。これで龍臣の心のもやもやも少しは晴れるんじゃない?」
「まぁ、そうだな」
確かにあずみの言う通りだ。話すことは少し緊張するが、どこかホッとしている自分がいる。
「でしょう? 全くあなたはいつも肝心な所で迷うから」
他の本を覗き込みながらあずみはふふっと微笑んだ。
しかし龍臣はその横顔を見つめる。
『あなた』
あずみにしては珍しい呼び方だ。龍臣はすぐにピンと来た。あずみが言う、『あなた』とは自分を指しているわけではないと。
しかし当の本人はそれに気が付いていない。
「この前、出かけた時だって――……」
あずみが話しながら龍臣を振り返って、顔を見たとたんにハッとした表情で凍り付いた。
龍臣もどう反応して良いものかわからず、穏やかな表情を作って見つめ返すしかない。
「あ……あれ? 私、今何を話していたんだっけ? あれ? ……龍臣?」
混乱をしているようだった。
龍臣は優しく、「大丈夫だよ」と透明なその肩を擦る。
「ごめんなさい。なんか時々、昔の記憶と混同しちゃうみたい……」
「昔の記憶を思い出したのか?」
龍臣が知る限り、あずみは生きていた頃の記憶がない。
自分がいつ生まれ、どこの誰で、いつ死んだのかさえも覚えていないと話していた。
わかるのは、気が付いたらこの記憶堂に住み着いていたということ。
龍臣の祖父が店を切り盛りしているころから居て、龍臣の代になって姿を現すようになったということ。それくらいだった。
だから自分でもこういうときは混乱してしまうのだろう。
「明確には思い出せてないけれど。でも、なんか時々フッと思い出すと言うか……」
あずみは気まずそうに頭をかく。
龍臣も「そうか」とだけ返して、それ以上は追及しなかった。
「龍臣……、ちょっとだけ抱き付いてもいい?」
あずみは不安な気持ちがぬぐえないのか、甘えたい様子だった。
龍臣としてもあまり混乱はさせたくない。静かに頷いて手を広げると、ホッとしたように身を寄せてきた。
あずみから匂いなんてするわけないのに、どこか甘い香りがするようで龍臣は苦しくなった。
日曜日。
良く晴れた日に、龍臣は修也の家を訪ねた。
実は事前に簡単に源助さんには事の詳細を電話で伝えていた。しかし、修也からも話を聞くからと言われていたようで、渋々と了承してくれたのだ。
龍臣が訪問すると、夏代が出迎えてくれた。
「いらっしゃい、龍臣君」
そう言って覗かせた顔はどこか不安げだ。
きっと源助さんから話は聞いているのかもしれなかった。花代について、なにを話されるのだろうかという様子が見られる。
龍臣は安心させるように、笑顔で「おじゃまします」と答えた。
リビングへ通されると、そこには既に修也と源助さんが座って待っていた。
「よっ」と軽く手を上げて、「待っていたよ」とリラックスした様子でくつろいでいる。
それには少しだけ拍子抜けした。
もっと緊張した顔をしているかと想像していたが、それは源助さんだけだったようだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
出されたお茶を一口飲んで、ホッと一息つく。
さて、と顔を上げると修也以外は眉間にシワを寄せて龍臣を凝視していた。思わず苦笑してしまう。
「あの、そんなに怖い顔して見られると話しにくいんですが」
「あぁ、すまん」
源助さんは焦ったように自分のお茶を飲む。
「あちっ」
「あらあら」
「祖父ちゃん、落ち着きなよ」
源助さんが溢したお茶を夏代が慌てて拭いている。
「新しいものを入れてくるから、先に話し始めていて」
夏代はそう言って席を立ち、台所へ行くが龍臣はその背中に声をかけた。
「いえいえ、待ちますよ。だって夏代さんに話をするって約束しましたからね」
そう言うと、夏代は「え?」と驚いた顔をして急いでお茶を入れ替えて持ってきた。
「そういえば、この前、記憶堂へ行ったとき。帰るときに約束がどうのって話したと思うんだけど、あれってなんのことだったのかしら。自分で言っててわけわからなくなっちゃって」
「僕が夏代さんと約束したんです。夏代さんが見た記憶の世界での花江さんの話をするって」
そう伝えるとキョトンとした顔をされた。
修也と源助さんは記憶堂の不思議な力について知っているが、夏代は知らないのだ。
龍臣は全てのことを話した。
記憶堂の不思議な力のこと、記憶の世界に夏代が行ったこと、そこで見た花江との選ばなかったもうひとつの世界での出来事。
ひとつひとつをゆっくりと、相手の反応を見ながら気遣いながら話した。
案の定、夏代は泣き出し、源助さんも目が赤い。
修也は泣きはしなかったものの、苦悶の表情を浮かべている。
龍臣は話し終わると、一口お茶を飲んだ。
「僕が知るのはここまでです。後はお二人がどこまで修也に話すか……です」
「あぁ、ありがとう。龍臣君、話してくれてありがとう」
わずかな沈黙の後、最初にそう口を開いたのは源助さんだった。
しゃくりあげて泣く夏代の背を優しく撫でながら、源助さんは自分を落ち着かせるように深くため息をついた。
「私に記憶の本が現れない理由がわかった気がしたよ。私は後悔ではなく、後悔すれば記憶の世界で花江と会えると思っていたんだ」
源助さんは自嘲気味に笑う。
「夏代は何一つ悪くない。誰も悪くはない。ただ、不運だった」
源助さんはそう言って目頭を押さえた。
「祖父ちゃん、俺話聞けて良かった。いや、もう少し早く聞いていれば良かったのかもしれない」
ずっと黙っていた修也が落ち着いた声でそう話した。
「なんか聞けて凄く嬉しかった。もっと聞きたい」
祖父母の様子とは反対に、修也は嬉しそうだった。
祖父母が知る両親について、もっと教えてほしいとねだり、どんな内容でも受け入れる準備は出来ているのだそうだ。
修也の様子に源助さんは少し面食らったようだったが、すぐにホッとした顔になった。
やはり修也の反応が一番気になる所だったのだろう。
龍臣も安心した。
これなら大丈夫だろう。
やっと胸につっかえていたものがとれたきがした。
後は家族内の話だからと、龍臣は修也の家を出る。
来る前とは違って、どこか気分が落ち着いていた。そのせいか、自然と足は記憶堂へと向かっていた。
記憶堂へ入ると、龍臣の気配を感じたのかあずみが二階から降りてきた。
「おはよう、あずみ」
龍臣の声かけに、あずみの顔がパッと輝く。
「話は上手く行ったようね」
嬉しそうに腕に飛び付き、満面の笑顔を見せる。
純粋に喜んでくれて、可愛らしかった。
「ありがとうな、あずみ。君がきっかけをくれたお陰かもしれない」
「ふふ、もっと誉めてよ」
くすぐったそうな顔で笑う。
そしてどこか色っぽく上目使いをして言った。
「お礼はないの?」
「お礼? ……欲しいのか」
龍臣は呆れた表情をしつつ、そう聞いた。
するとあずみは目を輝かせて大きく頷く。
お礼ねぇ……。
呟きながらソファーに座ると、あずみも隣にピッタリくっつくように寄り添って見つめてくる。
「ちなみに、どんなのがいいんだ?」
「そうねぇ……」
あずみは口許に人差し指を当てて一瞬考えると、そのまま龍臣を見上げて、その指をちょんと龍臣の唇に当てた。
「接吻……、キスって言うんだっけ」
そう言ってきた瞳はどこか挑戦的だ。
龍臣がしないとわかっていて、からかっている時と同じ顔をしている。
それが妙に悔しい気分になった。
バカにされているわけではないだろうけど、侮られているような気分になる。
「ふぅ~ん……」
「なんちゃって……」
そう言って笑ったあずみの唇にそっとキスを落とした。
明確な感触などない。
何かに触れたような、そんな感じだ。
しかし、顔を離すとあずみは真っ赤になって唖然としていた。
その顔に、龍臣はハッと我に帰り、しまったと身体を後ろに引く。
「あ、ごめん。つい……」
「ううん、いいの! 大丈夫だから!」
あずみは赤い顔のまま、ソファーから立ち上がって頬を両手で押さえた。
「私が変な事を言ったからよね! 龍臣に無理させちゃった」
「いや……、悪かったよ」
龍臣も謝るしかなかった。
あずみに挑発された所はあるけれど、龍臣自信も気がついたら体が動いていたのだ。
どうしてこんなことをしたのかよくわからない。
しかしそれを説明する前に、あずみは大きく首を振った。
「ううん! あの、ありがとう、って言うのも変か。でもあの……、とりあえず、 私もう寝るね。おやすみ! また明日!」
あずみは早口でそう言うと、起きてきたばかりなのに二階へと戻って行ってしまった。
その背中を見送って、龍臣はやってしまったと天井を見上げた。
いくら相手は幽霊とはいえ、少なからず龍臣に好意的な相手にすることではなかった。
いくら感触がほとんどないからといって、キスするなんて。
あずみは幽霊なのに……。
龍臣は自分のしたことを後悔した。
あずみの様子を見に行った方が良いのかもしれないと立ち上がり、ピタっと動きを止めた。
視界の端にあるものを捕えたからだ。
まさか、と恐る恐る振り返る。
すると――――。
「あ~……、ごめん。見ちゃった」
店の入り口にはいつの間にか修也が立っていてのだ。
それには龍臣も声もない。
ただ目を見開いて修也を見返すしか出来なかった。
「あの……、龍臣君にちゃんとお礼を言おうと思って追いかけて来たんだけど、タイミングが悪かったね。あの……、また来ます」
そう言って踵を返す修也を「待て」とひき止めた。
「お前……、いつから見ていた?」
そう聞くと、修也は気まずそうに目線を外しながら頬をポリポリとかいた。
「えっと……、あずみさんとお礼云々って話していた辺りからかな?」
「ほとんど初めからじゃないか」
龍臣は頭を抱えた。
どうしてもっと早く声をかけてくれなかったんだと呟くが修也は苦笑いしかしない。
恥ずかしさと気まずさから顔から火が出そうだ。
しかも相手は幽霊のあずみだ。
どう説明していいかもわからない。
「いや、言い訳はいいよ。大丈夫、二人の関係はわかっているから」
「関係って何だよ。変な言い方するなよ」
龍臣は恥ずかしさで顔を上げられないでいるが、修也は逆にケロッとして来ている。
「いや、だってあずみさんの気持ちはわかっているし、龍臣君だってねぇ?」
「俺は別に……」
そう否定しようとしたが、修也は生暖かい目線を寄越す。
「その眼、ムカつくな」
「怒らないでよ。だって龍臣君自身は認めようとしないのか、知らないふりしているのかわからないけど、俺からしたらもろ分かりだよ?」
「何の話か分からない。とにかく、今見たことは忘れろ。いいな?」
そう睨み付けながらすごむと、修也は苦笑しながら大人しく頷いた。
「で? お前は何しに来たんだっけ?」
「だから、お礼を言おうと追いかけて来たんだよ」
修也は呆れた様な様子を見せた。
そういえば最初にそんなことを言っていた気がした。わざわざそれを言いに追いかけて来てくれたのか。
「龍臣君、両親の事、色々と話してくれてありがとう。今度、父親のお墓参りに行ってみるよ。母親については、大人になったら探してみようかと思う」
「そうか……」
龍臣は少しホッとした。
修也が思ったより落ち着いていたし、両親についても少しでもプラスに考えてくれているようだ。
「実は父親が死んでいることは知っていたんだ。病気で死んでいるって、昔酔った祖父ちゃんが漏らしたことがあって。祖父ちゃんは忘れているけどね。でも母親のことはわからなかった。ちょぅとショックではあるけど、でもずっと俺たち家族を思ってくれていたんだなって感じたし、いつかは少しでも会えたらなって思う」
「お前がそうしたいなら誰にも留める権利はないよ。お前はもう話が通じない子供でもないだろう」
そう話すと、修也は安心したように微笑んだ。
「ありがとう。じゃぁ、俺行くね」
そう爽やかに言い残して修也は帰って行った。
それを見送ってから、龍臣は二階を見あげた。
残念なことに、あずみの気配はなく、二階へ行ったとしても出て来てはくれなさそうだった。
「一難去ってまた一難……」
呟いて、カウンターの椅子に疲れたように座る。
修也の件が終わって、ホッとしたところだったのに何てことをしてしまったのだろう。
ただひたすら後悔しかない。
龍臣は深いため息をついた。
「ごめん、あずみ……」
一応、二階に向かって呟いてみるがもちろん返答なんてない。
あれはただの出来心だった。
そんなのはただの言い訳でしかない。
あずみはただ冗談でキスしてほしいと言っただけだった。それなのに、なぜ挑発に乗ってしまったのだろう。
いつもならあんな冗談は簡単にかわせたはずだ。
あずみだって、そのつもりであんなことを言ったのに。
龍臣はただひたすら頭を抱えるしかない。
自分で起こした行動が信じられないでいたのだ。
幽霊と人間。
そこは紛れもない事実だった。だから龍臣は常に深入りしないよう、一線を引いて接していた。あずみがどれだけ龍臣との距離を縮めて来ようが、龍臣がそれを許さなかった。
いや、龍臣自身がブレーキをかけていたのだ。
それを自分で壊してしまったのだから、どうしようもない。
「見えるから悪いんだ……」
あずみが見えるようになってから、龍臣は調子がくるっている。
正確には、今まで自分で抑えていた部分、気にしないようにしていた部分が現れ出したといった感じだった。
「あずみは幽霊なんだ。もう、死んでいる……」
龍臣は何度も小さな声で呟いた。
そう言い聞かせないと、取り返しがつかなくなりそうで怖くて仕方なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます