第18話 あずみ 前編
あの日の一件から、あずみは龍臣に会うとふとした瞬間に恥ずかしそうに照れるそぶりをみせることが多くなった。
まるで恋する乙女だ。
龍臣としてはその反応にどう返していいのかわからないが、あずみが触れてこない限りはとりあえず今まで通り接するようにしている。
以前のように、一週間も現れないとか泣いているとかそういうのではなかったので、それについてはホッと胸をなでおろした。
これで完全に避けられたらたまったものではない。
気まずいことこの上ないし、修也に何を言われるかと思ってしまう。
そして、あずみが今まで以上に龍臣を意識しだすと、それに伴って不可解な言動が増えているように感じていた。
「うわぁ、紅葉よ」
あずみは店の小窓から外をのぞき、赤く色ついた紅葉を見て感嘆の声を上げた。
最近では夕方どころか、龍臣が出勤すると起きてきていることが多くなっていた。それが当たり前に感じる位に。
そして今朝も、龍臣が店先の掃除をして中へ入ると、集められた紅葉をしげしげと眺めていたのだ。
「綺麗ね。これはあそこの大きな紅葉の葉っぱから落ちて来たのかしら?」
「あそこって?」
「あそこよ、ほら、裏の大きな二つの木の……」
「裏のじゃないよ」
「え? そうなの? あの木は切ってしまったのかしら」
あずみは紅葉を見ながらそう話すが、記憶堂の裏は塀になっており、紅葉の木などはない。この集められた紅葉は表通りから舞い落ちて来たものだ。
あずみ自身、そんなことはとうの昔にわかっているはずだ。
龍臣はまたか、と思う反面、以前のようにあずみが自分の発言に疑問を感じなくなっているのが気になっていた。
以前なら、指摘するとハッとした表情になるのに今ではそれもない。
かといって、昔の記憶を思い出している風でもない。
まるで、自分が生きていた頃と現代を混同しているかのような様子なのだ。
あずみがキラキラした表情で紅葉を見つめているため、龍臣は一枚拾ってあずみの目の前に差し出した。
もちろん触れることはできないが、嬉しそうに机に置いてそれを眺めている。
「あずみは秋が好きなのか?」
「そうよ。だってあなたがよく庭の落ち葉で焼き芋をしてくれたじゃない。あれ、楽しかったわ」
あずみは紅葉から目を離さずにそう言う。
もちろん、龍臣はそんなことをしたことがない。
あずみの中で、また誰かと龍臣が混ざっているのだ。
龍臣はこっそりとため息をついた。
そしてあずみの前に静かに立つ。すると、あずみがゆっくりと顔をあげた。
「あずみ、僕は誰?」
そう聞くと、あずみは驚いた顔をした後フフッと笑った。
「どうしたの、龍臣。急に変なことを聞くのね」
その様子に、またため息が出る。
あずみは何も気が付いていないから、龍臣の様子に首を傾げるだけだ。
「そういえば、最近は記憶の本が落ちてこないわね」
「あぁ、確かにそうだな」
最近は静かだなと思っていると、パサッと本が落ちる音がした。
「あら、噂をすればなんとやらね」
本棚の間を見ると、一冊の記憶の本が落ちていた。
手にしてみると、とても軽い。
すると、早々に店の扉が開いた。
「すみません、こちらに私の本がありませんか?」
入ってきたのは身なりの整った上品なお婆さんだった。しっかりしている様子だが、歳の頃だともう80代くらいに見える。
「どうぞ、こちらへ」
そっと手を支えながら、足元に注意してもらってソファーへ案内した。
龍臣は一通り、記憶の世界への話をする。そして、了承を得てからそのお婆さんと記憶の世界へ入って行った。
記憶の世界では、お婆さんが若い頃の話だった。
まだ戦前、学生時代に想いを寄せていた人がいた。しかし、その人は自分の家の使用人。身分が違く、お互い思いあっていたが周囲の反対に会い泣く泣く別れたのだそう。
それから、その使用人の男性とは会えず生きてきたが、晩年になりどうしても一目その人に会いたかったのだと言う。
もし駆け落ちをしていたら、自分はその男性と結ばれていたのだろうかと、そう思って生きてきたのだそうだ。
そして、選択しなかったもう一つの世界では二人は無事に結ばれていた。
それを見て、お婆さんは泣いていたがもう一人の自分が幸せそうにしているところを見て嬉しそうにもしていた。
「良い冥途の土産になりますわ」
現代に戻ってくると、記憶が失われなかったようで涙をふきながら微笑んだ。
そして、机に並べられている紅葉を「あら」と手に取って眺めた。
「綺麗な紅葉ね。彼女のものかしら?」
お婆さんはそう言って、龍臣の肩越しに視線を寄越した。
ギクッとして後ろを振り向くと、そこには硬い表情をしたあずみが立っている。
お婆さんの方は穏やかな表情だ。
見えているということなんだろうか……。
龍臣は変な汗を感じながら、しらを切ることにした。
「えっと……? 彼女のものとは?」
「そこの彼女よ。袴姿の、髪の長い子」
明らかにあずみのことだ。お婆さんにはあずみが見えているということになる。
「私、昔から不思議な物が見える方でね。彼女、生きていないのでしょう? あぁ、怒らないでね。別にどうこうしようとかではないわ」
あずみからは怒りは感じられないが、良く思ってはいなさそうで龍臣はハラハラする。
「でも、あなた……、私と同じような経験があるのではなくて? 私の記憶に強く呼応されているようだわ」
「どういうことですか」
あずみではなく、龍臣が口を開いた。
今のお婆さんの記憶にあずみが反応しているというのか?
もう一度あずみを見るが、表情は硬いもののそれ以外の大きな変化は見られない。
いや、そう感じているのは龍臣だけなのだろうか。
「彼女にも似た経験があるのかもしれないわね」
そう悲し気に微笑みながらお婆さんは席を立った。
「ありがとう、店主さん」
外まで手を引いて送り出すと、お婆さんは丁寧に頭を下げた。
そして、龍臣にだけ聞こえる声で囁いた。
「あなた、彼女を大切に思っているのね。でもね、彼女は死んでいるわ。彼女の一方的な感情ならまだしも、あなたまでがそこに強く反応して共感するとあなたが彼女に引きずられてしまう」
「それは……」
「彼女は黒くなってきている。くれぐれも気を付けてね」
それだけ言うと、お婆さんは微笑んで帰って行った。
その背中を見送りながら、龍臣は唖然としていた。
どういう意味だろう。
あずみの思いに引きずられないようにという忠告はわかった。
そのあとの『黒くなってきている』というのは? 何を指しているのだろう。
あずみの最近の様子と関係あるのだろうか。
龍臣は店の中に視線を向ける。
あずみは先ほどから微動だにせず、同じ場所に突っ立ったままだった。
翌日。
修也が記憶堂に入った時、なんだか臭いと思った。
独特な鼻を突くような匂い。
強烈というわけではないが、なんだか臭うぞと感じる位に臭みがあった。
「龍臣君、何この臭い?」
「臭い?」
龍臣は首を傾げている。龍臣には感じないのだろうか。何度も鼻をヒクヒクさせているが、わからないようで不思議そうにしていた。
「鼻がマヒしているんじゃないの?」
そう言いながら奥まで来ると、階段下でピタッと足を止めた。
そして、ソロッと二階を見あげる。
「ねぇ、龍臣君。今日、あずみさんは起きて来たの?」
「いや? まだ起きてきていないよ」
そう言われるが、修也は顔をしかめた。
「どうした?」
「この臭い、二階からしている。凄く臭い」
「え?」
龍臣は階段下で修也の隣に立つがやはり何も感じない。
しかし修也は臭そうにしている。
「あずみさんに何かあったんじゃ……?」
そう言われて二階を覗きに行くが、あずみの姿はどこにも見当たらない。
まだ起きていないのだろう。起きていない時のあずみは記憶堂にいても姿も気配も感じられないのだ。
龍臣は修也に首を振るが、修也は険しい顔のままだ。
「やっぱりおかしい。最近のあずみさんの様子も変だし、この臭いといい、何かあったとしか思えないよ。龍臣君、心当たりない?」
そう言われて、龍臣は昨日のお婆さんの言葉を思い出した。
『黒くなってきている』
それはあずみの状態と関係があるのだろうか。
龍臣が最近のあずみの様子とお婆さんの話を修也にすると、修也も大きく頷いた。
「そうかもね。何かあるのかも……。あずみさんは今までとは何か違うもんな」
「……悪霊的なものになってきているってことなのか? あずみが?」
「可能性は否定できないよ。でもそれをどう本人に伝えるかだね」
龍臣はため息をついた。
自分で言っていて少なからずショックだった。
「そのお婆さんが言っていた、あずみさんが自分と同じような経験をしているって言葉も引っかかるね」
「あぁ。あずみが生きていた時に何かあったのかもな」
頷くと、二階からカタンと物音が聞こえた。
二人が振り返って階段の方を振り向くと、薄く透けている人影が見えた。あずみだ。
いや、一瞬あずみだとわかりにくいくらい、その姿はいつもと違った。
いつも一つにリボンで束ねている長い髪は下ろされていた。ボサボサの髪に、俯き加減でのっそりと降りてくる。
修也が息を飲んで龍臣の後ろに隠れた。
明らかにいつものあずみではない。
「あずみ……? どうした?」
龍臣は少しだけ後ずさりをしながら、階段を下りて俯いているあずみにそう声をかけた。
顔を上げてこちらを向いたあずみは、目を真っ赤にして泣きはらした顔をしている。しかしその表情からは感情が読み取れない。
無表情でこちらを見ている。
「あずみさん……?」
修也の声かけにも無反応だ。
そしてしばらく龍臣を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「どうしてあの時、来てくれなかったの……?」
「え?」
あずみは一歩ずつ龍臣に向かって歩いて来る。
「私、ずっとあなたを待っていた。きっと迎えに来てくれるって、そう信じていた……。でも結局、あなたは来てくれなかったわ」
「あずみ、何の話をしているんだ?」
あずみにそう問いかけるが、その眼は龍臣を見ながらも『他の誰か』を見ているようだ。
また混同しているのだろうか。
いつも、龍臣を通して見ている誰かと。
「あずみ僕は龍臣だよ。僕には君の話がわからない」
「嘘を言わないで。言い訳なんて聞きたくないわ!」
龍臣の言葉を遮るようにあずみは声高く叫んだ。
「あんなに愛していたのに! どうして!」
あずみが大きな声で叫んだと同時に、あずみから大きな風が巻き起こった。
「うわっ」
修也がたまらず龍臣の服を掴む。
以前、怒った時に巻き起こした風とはまた違う。もっとあずみの身体から発せられるような強い風だ。
「やめろ、あずみ!」
そう叫ぶが、あずみには届いていない。
店がガタガタと大きく揺れ、あらゆる本が巻き上げられている。あずみに近寄ろうにも、風で押されて側にいけない。
「龍臣君、どうしよう! あずみさんには俺たちの声も姿も見えていないんだよ。違う人が見えているみたいだ」
後ろから修也に言われ、龍臣も同意を込めて頷く。
しかし、あずみから発せられるエネルギーがすさまじく、龍臣達は圧倒されるばかりだ。
店の外に目を向けるが、通行人はこちらの様子に気が付いていない。
つまりは外からは何も変わりないように見えているのかもしれなかった。ということは、外部からの助けは求められない。
どうしたらいい?
そう思うが、とりあえずあずみを落ち着かせなければならない。
龍臣は押される体を無理やり動かして、少しでもあずみに近寄ろうとした。
あずみの悲痛なエネルギーに腕や身体がビリビリとしびれる感じを受けながら、必死に手を伸ばした。
そして、やっとあずみの腕に触れた。
その瞬間。
触れたところから眩い光が発せられ、辺り一面、明るい光に包まれた。龍臣は一気に視界が奪われ、たまらず目を強く閉じた。
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