第14話 夏代 前編

翌日。

昨日の源助さんの様子から、修也と話をしたのかと思って待っていたが、やはり修也は記憶堂には来なかった。

まだ話せてはいないのだろうなと想像する。

まぁ、昨日の今日だし、そんなに簡単に切り出して話せる内容でもない。

時間がかかるのだろう、と龍臣は思った。

いや、そもそも修也が来ないのはこちらが余計なことを言ってしまったということもあるのだから、一度、こちらから様子を見に行くのも良いかもしれない。

会ってくれるといいけれど……。

そう思っていると、二階からカタンと物音がした。

ここ一週間感じなかった、あずみの気配が微かにする。

龍臣は階段下から上を覗き込んでそっと声をかけた。


「あずみ……?」


呼び掛けに反応するように、空気が揺れる。

ゆっくりと階段をのぼって二階へ行くが、気配は消えることはなかった。

二階は10畳程の広さで、段ボールや書籍が山積みになっている。

小窓からの光はうっすらと入るが、どこか薄暗い。


「あずみ、居るのか?」


龍臣が二階の部屋を見渡しながら静かに声をかけると、端の方からすすり泣く声が聞こえた。

声の方に顔を向けると、うっすらと人の姿が見えた。

龍臣は驚いて少しだけ目を見開く。

先日見た、あずみの姿だ。

あずみが膝を抱えて悲しげに泣いている。

しかし、この前と違うのは、あずみの姿は透けていて後の壁の模様までよく見えるということだ。

透明に近いくらいに。それくらい透けていた。

でも龍臣にも姿が見えている。

どうしてだろう。

この前はあずみの怒りが凄く、その反動なのかエネルギーなのかはわからないが、姿が見えたのはよくわかる。

しかし、今回はなぜだろう。

泣いているから?

でもこれまでも、あずみは感情豊かだったからある程度の喜怒哀楽はあった。

今回も我を忘れているようには見えない。

あの一件以来、自分にも見えるようになったと言うのだろうか。

龍臣は泣いているあずみをじっと見つめていた。

いくら透けているとはいえ、龍臣にとってはそこにいるあずみは普通の女性のように見えた。


「泣くな、あずみ」


気がつけば龍臣はあずみの目の前まで近寄っていた。

あずみが龍臣の声に反応して、ゆっくり顔を上げる。

先日見たまま、小顔で色の白い、目鼻立ちが整った綺麗な顔立ちをしていた。

しかしその瞳は涙に濡れている。

龍臣はその頬に手のひらを寄せた。

もちろん、感触なんてなく手は通り抜けてしまう。


「龍臣……。私が見えるの?」

「うん、何故だかね」


苦笑すると、あずみの顔がクシャッと歪んで再び大粒の涙が溢れた。


「ごめんなさい、龍臣。私、あんなことをするつもりはなかったの」

「うん、わかっているよ」

「あの時は怒りでコントロール出来なくて……。龍臣も本も傷つけてしまったわ……」


あずみはシュンと項垂れる。


「あんな力があるなんて……、私はやっぱりもう人ではないから……。幽霊で化け物なんだって……」

「化け物ではないだろ?」

「化け物よ! あんなことするなんて、悪霊みたいだったわ」


あずみは泣きながら龍臣の腕の中に突っ伏した。

そしてシクシクとまた泣き出してしまう。

小柄で小さな背中だ。人のような温もりは感じないけれど、龍臣が戸惑うには十分だった。

離れないあずみに、仕方なく背中に腕を回し、ゆっくりと撫でた。


「ごめんなさい、龍臣。私、最近なんだか変なの。今まではこんなことなかったのに、自分を上手くコントロール出来ない時があって……、どうしたらいいかわからないの……」


やはり龍臣の気のせいではなかったようだ。あずみ自身も自分に起きている変化を感じ取っていた。

そして、どうしたらいいのかわからずまた泣き出している。


「もういいって」


龍臣はあずみの頭をそっと撫でる。龍臣にだってどうしたらいいのかわからない。

あずみの変化がどういう理由で起こっているのか見当もつかないのだから。ただ、慰めるしかできない。

龍臣にはあずみの感触はないが、あずみは龍臣の温もりを感じるのか、顔をあげて龍臣を見つめた。


「不思議ね。ちゃんと、触れてくれている感じがするの……」

「そうか?」

「今までは、私から抱き付いたり触れたりしても、龍臣から触れられている感じはなかったのに」


あずみは嬉しそうにフフッと笑った。

あずみの年齢がどれ程かはわからないが、笑うと少しだけ幼さが出る。

とても可愛らしかった。

あずみはここにいる。

いくら幽霊とはいえ、ここに存在しているのだ。

そう思うとどうにも堪らない気持ちになり、気がつけば龍臣は無言でそっと胸にあずみを抱き寄せていた。


週末、龍臣は修也の家にやってきた。

修也の家は古い日本家屋のような作りで、一階建て。龍臣は昔から何度も来ていた場所でもある。

突然訪問したが修也の祖母は笑顔で迎えてくれた。

しかし修也は祖父と買い物に出ているとかで家にはいなかったが、待っていろと言う言葉に素直に甘えることにした。


「久しぶりねぇ、龍臣君。少し待ってね、修也ももうすぐ帰ってくるから」

「ありがとうございます」


修也の祖母、夏代がお茶とお菓子を出してくれ、それを摘まむ。


「最近、あの子が記憶堂に行っていなかったんですって? 修也のことで、心配かけてごめんなさいね」

「いえ、そもそもは僕が修也を動揺させてしまったんです」

「聞いたわ。全く、それくらいで動揺するなんてあの子もまだまだね」


ふふっと夏代が笑う。


「夏代さん、修也の母親についてなんですけど……」

「あの人から話を聞いたんでしょう? 私はそれ以上、何も知らないわ」


そう言って寂しげに微笑む。


「あのね、修也の母親についてはいつか私達から話すからまだあの子には言わないでもらえるかしら?」

「それはもちろん。僕が口出すことではないですし。今日は修也の様子を見に来ただけですから」

「ごめんなさいね。いつかは言わなくてはと思っていたんだけど、なかなか踏ん切りがつかなくて。折を見て話すつもりだから」


それに龍臣は頷く。

今日は修也がどうしているか様子見と、先日のことを謝りに来ただけでそれ以上の話をするつもりはなかった。

それに、その話は龍臣がしていいことではないとわきまえている。

すると、玄関がガラッと勢いよく開いた。


「ただいまー」


修也と源助さんが帰ってきたようだ。

源助さんは龍臣を見ると、「よう」と片手を上げた。そして修也は「どうしたの、龍臣君」とキョトンとしている。


「どうしたのじゃないのよ! あんたが記憶堂に顔を見せないから龍臣君が心配して来てくれたんじゃないの」


夏代さんがそう言うと、修也はパッとカレンダーを見た。


「そっか! もう一週間は行っていなかったんだね」

「まぁな。さすがに少し心配した」


そう言うと、夏代さんは「とりあえず、ここじゃぁなんだからお菓子でも持って修也の部屋でゆっくり話しなさいよ」とお菓子を持たせた。

修也の部屋は奥にある。

二人で修也の部屋へ行き、話すことにした。

修也の部屋はベッドと勉強机、収納棚など今時の高校生の部屋といった感じだ。

龍臣は適当な場所に座りながら周りを見渡す。この部屋に来るのも久しぶりだった。修也がもう少し小さい頃は時々ここへ来て宿題を見てあげたものだ。


「俺が記憶堂行かなくて寂しくなっちゃったのー?」


修也はニヤニヤしながらこちらを見てくるため、龍臣はため息をついた。


「そんなわけないだろう。そうじゃなくて、お前に余計なことを言ったかなと思って。悪かったよ」


そう謝ると、修也は笑いながら首を横に振った。


「全然。ただテスト期間だっただけ」

「でもお前、テスト期間でも記憶堂には来ていただろう?」

「今回からは真剣にやろうと思ったんだよ」


修也はそう言うと、教科書が積んである机を親指で指差した。


「あの日も本当はあれを言いに行ったんだ。言いそびれたけど」

「どうしたんだ、急に」

「まだ正直、大学へ行くかは迷っているんだけど、保険というか。もし急に大学進学すると決めたとしても、成績がやばかったら元も子もないでしょう? だから成績だけはキープしておこうかなって」


なるほどな。それは確かに一理ある。いざ、大学へ行きますとなったとしても成績が追いつかなかったら意味がない。

勉強だけはして、自分の選択肢だけは守っておこうということか。


「それはいい心構えだな。だから記憶堂に来なかったのか? 本当はあれが原因だったんじゃないのか?」


あれとは母親の話をしたことだ。しかし修也は「ううん」と否定した。


「あれはあれで確かに動揺はしたけど、そこまで濃い内容だったわけじゃないし。すぐにテストに切り替えられたし大丈夫だよ」


そう言うと、今度は目じりを下げた。


「もしかして俺が落ち込んでいるとか思って心配かけちゃった? だったらごめん」

「まぁ、心配はしたよ。僕も言うつもりはなかったし」

「そんな感じだったね。あずみさんがたまらず言っちゃったって感じ」


フフと笑うが、すぐに真顔になって聞いてきた。


「あずみさんの様子どう? この前早い時間に起きて来たし、なんだか最近様子が違う気がして」


やはり修也も感じていたのかと思った。その問いには龍臣も小さく頷いた。


「本人も戸惑っていたよ。どうしたらいいかわからない、コントロール出来ない時があるって」

「それってどういうことなんだろう?」


龍臣は先日あずみが起こしたポルターガイストのような現象を話した。

すると修也は目を丸くして驚く。


「それやばくない!? あずみさんが悪霊みたいなことしたってことでしょう?」

「悪霊ではない。でも、本人も泣いていた」


龍臣は抱きしめた両手を見つめる。

感触は残っていないけど、あの時の様子は鮮明に覚えている。


「あずみさんに何か変化が起きているってことだよね」

「あぁ。それが良いことなのか悪いことなのかもわからない」

「良いことって何だろう? 成仏するとか?」


成仏? その言葉に龍臣は少なからず驚いた。

あずみが成仏するかどうかなんて考えたこともなかった。ただあずみはそこに存在する。それだけだった。

もしかしたら、あずみが成仏してしまうということなのだろうか?

では、悪いこととは?


「悪霊になるってことか……?」

「まぁ、そもそもは地縛霊なはずだし、成仏か悪霊かのどっちかなのかもしれないけど……」


修也は困ったように呟く。そしてチラッと龍臣を見た。


「龍臣君にしたら、どっちも嫌だよね」

「……どういう意味だ」


龍臣の声が少し低くなる。怒ったわけではないが、深くは追及されたくないのだろう。

修也もそこら辺は心得ており、「なんでもない」と苦笑して口を閉ざした。


「まぁ、あずみはしばらくは様子を見るしかなさそうだな」


龍臣がそう結論づけてそう言った時。


「あ……」


音が聞こえた。

そう。記憶堂で本棚から記憶の本が落ちる音だ。


「どうしたの?」

「いや……」


龍臣は険しい顔になる。

記憶の本は本当に不思議で、時々外に居てもこうして本の存在を龍臣に知らせるときがある。

そして、極まれにその持ち主が誰なのかがわかってしまうことがあるのだ。

それが本の力なのか、後継者としての龍臣の力なのかは不明だが。

そして、今回の本の持ち主はとてもはっきりとしていた。

その気配を感じてゆっくり振り向くと、部屋の外から声がかかった。


「修也、龍臣君。お茶のお代わりいかが?」


夏代だった。


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