掃除屋の仕事

九十九春香

掃除屋の仕事

 土地神というのをご存知だろうか。民間信仰の神。その町、土地を天災や戦乱から保護する守護神である。更に、住民の死すらも司る神として高い信仰を得る事もある。

 古くから続く、歴史の長い土地ならこういった話は良く聞く話だ。彼らは実在し、確かに私達の直ぐ側にいる。しかし、昨今では科学技術の発達や倫理観の変化など、社会の急激な変化によって彼らは徐々にその力を失いつつある。


 基本はおとぎ話、空想の産物。しかし人間にとって信じる、信仰するというのは大きな力を持つものだ。そして時には周りの噂話で命だって奪う事の出来る時代、彼ら土地神も例外ではない。

 もしも、その土地が、神を失ったらどうなるのだろう。未曾有の大災害、住民達の突然の変死。そのが死ぬという事は、そのに住む人間も死ぬという事。

 だからこそ、いつ何時訪れてもおかしくないその瞬間を防ぐ為、私達はいるのだろう。






 高い木々の揺れる音と、吹き抜ける風が帽子を飛ばしそうになる。私は、帽子をぐっと手で抑えると、風を避ける様に扉をくぐった。

 開けた場所に出ると、そこは多くの人で賑わっていた。雑踏の中を器用に抜けていき、フェンスに寄り掛かる。

 私は一息つく為に胸ポケットに手を入れた。しかし、目の前の壁の禁煙の文字を見つけ、手を引く。若干肩を落としつつ、雑踏の声に耳を傾ける。あまり盗み聞きみたいなのは好きじゃないが、これも仕事だ。仕方ない。


「わー、すっごーい」

「大きいね〜」

「寒い〜!」


 様々な声が入り交じる中に、今日の目的の声を探さねばならない。

 私は更に耳を澄ませた。


「綺麗な滝ね~」

「大っ迫力!!」

「写真撮ろうよ!」


 いつもと変わらない日常の音。しかし、その中に、一際目立つ声を見つけた。少し離れたフェンスに寄り掛かる二人組の女性だ。


「ねえ、あ――――」

「――ですー? でも――」


 ここからじゃ滝の音に交じって良く聞こえない。私はゆっくりと、気配を殺しつつ、彼女達の近くのフェンスに寄り掛かった。


「だから! 本当なんだって!」

「えー、ウソー」


 声の主は、力強く言い切る眼鏡が特徴の三十代前半の女性と、ふわふわなパーマをなびかせ語尾を伸ばす二十代の女性だった。私はメモ帳を取り出すと、彼女達の特徴と会話を記していく。


「絶対ウソですよー」

「嘘じゃ無いわよ! 私ここの管理人の立ち話聞いたんだから!」

「えー? 信じられなーい」

「本当よ! この滝の下には埋蔵金が埋まってるのよ!」


 ビンゴだ。走らせていたペンが勢いを増していく。


「ここって凄い古くからあるじゃない? だから昔の大富豪が誰にも取られない様にって埋めたのよ。きっと今なら何十億って価値になるはずよ」

「ふーん? でもそれが何なんですー? 私達には関係なくないですかー」

「それが! 実は最近話題の強盗団がそれを狙ってるって話なのよ! もしそうなら絶対に良い記事が書けるはずよ!」

「ホントに噂話好きですねー。今日はオフなんだから仕事の事忘れれば良いのにー。そんなんだから彼氏の一人も……」

「う、うるさいわね!」


 二人組の話は続いている。私は取っていたメモ帳を閉じると、入ってきた方向に足を向けた。

 悪いが貴方達には空振りをしてもらうことになる。それがこの地の為、延いてはこの世界の為なのだ。

 慣れた風に心の中で二人組に謝罪をすると、私は足早に扉に向かった。






 深夜0時少し前、滝に続く道の前には警備の格好をした男が二人立っていた。


「はー、ねみー」

「おい、ちゃんと立っとけよ」


 一人は気怠げに座り込み、もう一人は背筋を伸ばし強張った表情で立っている。

 辺りを見渡すに警備は二人だけだろう。二人共どうやら勘は鈍そうだ。助かる。

 私は木陰で用意していたマントを全身に覆うと、堂々と二人に向かい歩き始めた。傍から見たら途轍もない異常行動だ。しかし、その歩みが誰かに止められる事は無かった。

 私は悠然と会話を交わす二人の間を素通りした。隣に並んだ時、一瞬だけ立っている男が何やら異変に気づいていたが、特に問題は無さそうだ。


 一度だけ振り返り、二人の変わらない様子を確認すると、私は更に奥に向かって歩く。

 無造作に伸び続く木々を傷つけない様に注意しつつ、道無き道を進んでいく。十数分程経った所で、開けた場所に辿り着いた。

 目の前には昼間見た立派な滝が見える。やはり素晴らしい景色だ。離れた所から見ても、真下から覗いて見ても、その壮大さに圧倒させられる。守らなければ、この歴史を、神々しさを。

 私は静かに決意を固め、滝の横に備えてある梯子を登っていった。



 滝の頂上に着くと、時間は丁度0時になる頃だった。私は時計を確認すると、右手にはめている手袋を外して手の甲の紋章を露わにした。そして、滝の中心にむかって右手をかざし、唱える。


「土地神様、掃除屋の神使かみつかい一二三ひふみで御座います。今をもって零時と成りました。どうかその御姿をわたくしに拝見させて下さいませ」


 言い終えたその瞬間、紋章は輝きを放ち、滝は大きな地響きを打ち鳴らす。態勢を崩さない様に足に力を入れる。

 目の前が一瞬、パチっと白く光った。土地神様の御出だ。

 もう一度大きな地響きが鳴ると、闇に包まれていた辺りは銀鼠色へと変化した。私はかざしていた手を戻す。既に手の輝きはなくなり、時計の針は止まっている。ゆっくりと空を見上げると、そこにはまるで現実のものとは思えない光景が広がっていた。

 宙を飛び回る虹色の蝶、木々の上を伝って走る雷の姿をした猛獣、すぐ後ろではカラスの顔をした男達が世間話を広げている。

 私は目的の相手がまだ姿を見せていない事を確認すると、思いっ切り息を吸い込み、叫んだ。


「お滝様ー!! 私です! 神使一二三ですー!」


 しかし、誰からも反応はない。仕方ない、ならばもう一度だ。私は更に大きく息を吸い込み、叫んだ。


「おーたーきーさーさーまー!! ひーふーみーでーごーざーいーまーすー!!」


 1度目よりも大きな声は山に木霊していく。すると突然、下から先程とは違う地響きが鳴り響いた。山中に響いた地響きはゆっくりと止まっていき、同時に私の前には目的のモノが姿を現した。


「やあー、ごめんよー」


 優しい口調で途轍もない大きな声の主は、立派な髭を揺らした空を覆う程の龍だった。


「いえ、問題ありません。お久しぶりで御座います」

「うん。久しぶり」


 私の下げた頭にお滝様は旋回することで応えた。

 この方はお滝様、正しくは華翁かおう滝の神、華火上はなびがみ翁主おうしゅ様だ。所謂、土地神というモノである。千年以上続くこの地を守り続け、妖怪や都市伝説的怪物が暮らす【異界】と人間や動植物が暮らす【現世】のどちらも守り、均衡を保っている。


「今日はいつものやつかな? 悪いなあ」


 お滝様は申し訳無さそうに私の前でとぐろを巻いた。

 私のコレは仕事であるし申し訳無さを感じる必要はないのだが、この優しさが古くから慕われる所以なのだろう。


「定期検診ですよ。そんな畏まらないで、楽になられて下さい」


 私はそう言い、背負っている大きな鞄から道具を取り出した。

 私の家は代々、【掃除屋】を営んでいる。掃除屋といっても普通の掃除屋ではなく、神々、ひいては土地神や神獣といった方々の安寧と秩序を守るのが仕事だ。今日はその仕事の一環で、定期検診。簡単に言えば身体検査と近況報告を聞きに来ている。


「どこか調子の悪い所は御座いませんか?」


 例に倣っていつも通りの問答を繰り返していく。自分でも驚く程スラスラと、淀みなく検査は進んでいる。簡単な作業だ。しかし、とてと重要な作業でもある。

 もしもお滝様に体調不良があれば、あの壮大な滝だけでなくこの土地全体に影響が出る。更に場合によっては、隣の土地にも影響が出るかもしれない。つまりそれだけ大切な作業なのだ。寧ろ大切である故に簡単かつ的確な淀みない作業が重要とも言えよう。もしも、万が一、そんなことがあっては困るのだ。


 私はそんな誰にかも分からない言い訳を心の中で言いながら作業を進めていった。

 検査が終わると、お滝様は身体全体を伸ばしながら大きくあくびを披露した。疲れさせてしまって申し訳ないと思う。しかし、仕事だから我慢してほしいという気持ちもある。

 私は気持ち良さそうに伸びをするお滝様の下で、使った道具を片付けていく。不意に、少し顔を下げたお滝様に尋ねた。


「最近、気になる事などはございませんか?」


 私の淡々とした口調にお滝様は疑う素振りは見せず、


「あー、最近僕の下辺りに何か埋まってるとか噂が流れててねー。少し騒がしくなってきたなあ」


 と返した。やはり気にしておられた。これは早急に対処しなければならない。

 私は今度も気取られぬ様に、気を払いながら言った。


「そうでしたか。こちらでも調べてみますね」

「本当かい? ありがとうねえ」


 私の言葉に微塵も不安や驚きを感じていない。信頼してもらっている、そう感じてやまない。

 私はゆっくりと鞄を背負い、時計を覗く。そろそろ本来の時間に戻る頃だ。


「お滝様、またお会いしましょう」


 ゴーンと頭の奥に響く鐘の音で、世界は本来の形を取り戻した。






 深夜2時、文化遺産である華翁滝の近くに、忍び足で近づく影があった。影は二つ。全身真っ黒の装備に黒いマスクを着け、ゆっくりと立ち入り禁止のテープを跨ぐ。

 少し離れた所から声が聞こえた。どうやら警備員がトイレから帰ってきたようだ。

 影は少し足早に、しかし静かに奥に消えていった。

 滝の下に着くと、月明かりに照らされて、辺りは少し明るくなっている。

 影は滝の中心の土に立つと、リュックからスコップを取り出した。

 一人の影は言った。


「へっへっへ、結構簡単だな」


 もう一人の影も言った。


「だから言ったろ? 警備なんて大した事ないって」


 影はスコップを持ち直し、思い切り土に向かって差し込んだ。埋蔵金を求めて。

 しかし、スコップは土に刺さらない。それどころからスコップの先は鉄とは思えない程曲がってしまっている。


「は?」


 影は自分達に何が起こっているのか解っていない。

 その時、突然吹いた寒気に影は見合った。ふと、後ろから何かの気配を感じる。


「だ、誰だ!?」


 一人の影が叫ぶと、気配は森の中からその姿を現す。


「夜分遅くにすみません。ここは立ち入り禁止なのですが」

「は? 何言ってんだ、テメェ?」


 気配はゆっくりと影に近づいていく。


「そこを掘っても何も出ませんよ」


 気配はどうやら人の様だった。気配の話す声は、静かで、優しさを含んでいる。しかし何故か恐ろしくてたまらない。

 一人の影は少し語気を強めて叫んだ。


「はっ! テメェもどうせ埋蔵金目当てだろ!?」


 しかし、気配は怯まない。


「今ここで帰って、二度と来ないと誓うなら何もしません。どうか帰ってくれませんか?」


 気配の言葉に、影はもう一度見合って、笑った。


「はははっ! 帰れって言われて帰る馬鹿がどこにいる!? あろうが無かろうが掘ってみりゃ分かんだろうが!?」

「そうですか……」


 影の憮然とした態度に、気配は静かに呟いた。辺りに張り詰めた空気が流れる。

 二つの影は怖くなり、追い出すために気配に近づこうとした。しかし突然、その歩みは止まってしまう。

 気配の掌からは、刃が出てきていた。


「な、なんだよ、それ……」


 一人の影は自らが恐怖で硬直していることに気づいていない。もう一人もまた、頭が回っていない。気配は言う。


「この地にはとても大切な方が眠っています。強く優しいあの方を、そして誰からも愛されているこの地を、私は守らなければならない。その為なら私達は何だってするんですよ」


 気配の言葉が終わると同時に、その手には銀色に光る刀が握られていた。

 影は思わずその場に座り込んだ。


「な、なんなんだよ。お前は……」

「こ、殺される……!!」


 ゆっくりと、気配はその歩みを進めていく。夜の闇に隠れるその顔は、ただ目が紅く光るだけだ。


「殺しませんよ。そんな事をしたらこの地が汚れてしまう。それに私は掃除屋・・・です」


 気配は刀を振り上げた。一瞬だけ、雲に隠れていた月が気配の顔を夜に浮かべる。その顔は、恐怖が消えてしまうほど穏やかだった。


「「う、うわああああ!!」」


 名も知らぬ影の叫びは、夜風に消されていった。






 街の端にある蕎麦屋。記者である二人は昼食をとりながら壁についてるテレビを睨んでいた。


「……続いてのニュースです。最近、文化遺産を狙って強盗を行っていた連続強盗団が、今日の朝、突然警察署に自首をしに来た模様です。犯人達は何やら人が変わってしまったかの様で、しきりに「罪を償いたい」「心を入れ替えた」などと呟いていて、警察は違法薬物の使用も念頭に入れながら事情聴取を進めていく方針です」


 アナウンサーの声は続いていく。不意に眼鏡をかけた女性が机を叩いた。


「どうなってんのよ! これから強盗団について調べようと思ってたのに! しかも華翁滝の警備やたら厳重になってるし!」


 立ち上がり興奮している女性に対し、隣に座るパーマの女性はゆったりとした声で話しかける。


「センパーイ、急にテーブル叩かないで下さいよー」


 パーマの女性の声掛けに、眼鏡の女性は少し周りを見渡しながら座る。


「だ、だって! もうこれしかネタ無かったのに……」

「仕方ないじゃないですかー。寧ろ捕まったのは良いことでしょー。てか、ネタが無いなら次の記事はスイーツ特集とかあ……」


 二人の女性の話は続いてる。

 私は大将に会釈すると、静かに席を立った。外に出ると、滝の香りと共に涼しい風が街を囲んでいる。

 私は無意識に笑っている事に気づき、それに対してまた笑った。


 私は掃除屋。街や、人や、神や、妖怪を守るのが仕事。その為に掃除・・をするのだ、街や、人や、心を。






        完

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