午後4時、クレープと新人ウェイトレスについて

「あんたらが来てくれたの久しぶりな気がする」山奈ウイが勝手にどこかから取ってきた椅子に座り、シュンと私に話しかけた。


 午後4時。店内に空席が目立つようになってきた。私たちの目の前の皿が空になってすでに20分は経っているだろう。


「こんなところでサボってていいのか、マスター代理?」シュンは2杯目のコーヒーを啜りながらいった。


「今の時間はお客さんほとんどいないから平気」


 山奈さんはぐぐっと思いきり伸びをして、それからぐったりと脱力した。それほど大きいとはいえない喫茶店だが、うまく機能するよう取り仕切るとなるとやはり大変なのだろう。


 山奈さんは去年からこの喫茶店ベイツのマスター代理をしている。3代目マスターである彼女の従兄が契約しているコーヒー農家を訪ねている間、彼の代わりに店を守るよう頼まれたらしい。


「あ、クレープ頼んでくれてたんだ」眠そうな翡翠色の目でテーブルの上を眺めながら山奈さんはいった。「どう、おいしかった?」


「ええ、それはもう」私は正直な感想を伝えた。


「あは、それはよかった。実はそのクレープのレシピ、新しく雇ったアルバイトの子がお兄の部屋の本棚から見つけてくれた、かつてはこの店の定番だった伝統のレシピなんだよ」


「どおりで!」シュンは目を輝かせて叫んだ。「新メニューにしてはあまりにシンプルで流行りに逆行していると思った! そういうことだったのか!」


 山奈さんは不思議なものでも見るような視線をシュンに向けながら、小首を傾げた。恐らくどう反応すべきか迷っているのだろう。その気持ちは痛いほどよくわかるので、私は助け舟を出すつもりで質問した。


「そのレシピを見つけたアルバイトの子ってあの金髪の……?」


「ん? ああ、そうだよ」山奈さんはいった。「住み込みで働きたいっていうから最初はどうしようかと思ったんだけど、まあちょうどお兄もいなくて部屋空いてるから雇ったんだよ。で、一緒にお兄の部屋の掃除してる時に、その子が本と本の間に挟まってたレシピを見つけたんだ」


「へえ、すごい偶然ですね」


「まったくその通りだよ。で、作ってみたらおもしろみはないけどちゃんとおいしかったし、メニューに加えてみたら想像以上に好評だったんだ。まあ、SNSに出回るのは正直想定外だったけど」


「確かに」とシュンが口を挟んだ。「流行りの写真映えのする派手な見た目ではないが、このクレープだってシンプルで十分に美しい。そういう趣味の層に刺さったのかもしれないな」


「ふふ、そうかもね」山奈さんは柔らかく笑った。「ともかく、今こうして昼時に少し忙しくなっているのは彼女のおかげなんだよ。もしかしたらあの子は幸福を運ぶ天使なのかもしれないね」


* * *


 山奈さんは自分の仕事に戻り、シュンのマグカップが空になった。そろそろ帰ろうかと食器をテーブルの中央に寄せていると、


「ああっお客様、お気遣いありがとうございます」


 ほかのテーブルを片付けている最中だったのか、布巾を握りしめた噂の天使のウエイトレスが駆け寄ってきた。途中でさっきまでいたテーブルに戻り、テーブルの上に置いていたトレーを取って慌てたようにちょこちょこ走る姿は、天使というより木の実を集めて回る小鳥のようだった。


 いそいそと食器を回収する彼女に、すべてトレーの上に載せ終えたタイミングを見計らって声をかけた。


「ねえ、ウェイトレスさん?」


「は、はい、何でしょう?」ウェイトレスはガラス玉のようなスカイブルーの目を見開いていった。


「君があのクレープのレシピを見つけたんだって?」


「え! ど、どうしてそれを……」


「私たち実は山奈さんの後輩でね、さっきちょっと話を聞いたんだ。すごいね、君のおかげでこのお店は流行ってる」


 笑いかけると、ウェイトレスはいやいやそんなと呟きながら、ふにゃりと照れ笑いを浮かべた。


「山奈さんもいってたよ、君は幸福を運ぶ天使みたいだって」


「てててて天使だなんてそんな!」慌てて後ずさったせいで、トレーの上で食器が派手に音を立てた。落とさなかったのが奇跡だ。「私は普通の人間で、レシピはただの偶然ですから!」


 そう言い捨てると、ウェイトレスは走ってカウンターの奥へと引っ込んでしまった。入れ違いに出てきた山奈さんは不思議そうに首を捻った。


「君ら、うちのウェイトレスに何かした?」


「いや、褒めたつもりだったんですけど……」


 私も首を捻り、シュンだけが我関せずという風に、パーカーのポケットから取り出したモバイルの画面をちらと確認していた。


* * *


 帰宅後、シュンはジャケットも脱がず足早にキッチンに飛び込んだ。雨がすっかり止んだ帰り道の途中、依頼にぴったり合う精油を思い出したようなのだ。しかしシュンは「ああ、そうか!」と叫んだきり駆け足になってしまったため、残念ながらそのアイデアについて聞くことはできなかった。


 シュンの調香を待つ間、皆に倣ってというわけではないが、ソファに座りベイツのクレープの写真に3文程度の感想を添えてSNSに投稿した。


 それからついいつもの流れで他人の投稿を流し見していると、


「やった! やったよ、これだ!」


 キッチンから歓喜の声が上がった。


 顔を上げると、右手にスポイト、左手にムエットを携えたシュンが興奮に目を輝かせながら突進してきた。


 私の前に跪き、ムエットにスポイトの中身を数滴垂らし、ひらひらと振ってそれをよこした。


 ムエットを花に近づけて匂いを吸い込む。すうっと、雨に濡れた木々のような香りとほんのり優しい陽だまりと花の香りがした。


「へえ……すごく良い匂い。落ち着くね」


 よほど嬉しかったのか、「そうだろう、そうだろう」とうなずきながらシュンは満足そうな笑顔を見せた。


「ホワイトムスクを控えめにしたんだ」シュンは説明した。「あれはいい匂いだが今回の依頼には甘すぎた。だからその代わりにシダーウッドを入れてみたんだ。これが見事に噛み合ったのだ」


 香水に明るくない私は説明を聞いてもわからないが、それでもシュンは香水を完成させるたびに私の元へ持ってきて、感想を求めて説明をしてくれる。


 その度に私は抽象的で普遍的な言葉を返すのが精一杯だったが、彼女はいつも満足そうに笑うのだ。


* * *


 その夜、メッセージを受信した。


 そのメッセージは謝罪から入っていた。送信者はベイツのウェイトレスだった。読み進めると、連絡先は山奈さんからもらったこと、次回は少し安くするからまた店に来てほしい、と書かれていた。


 ウェイトレスの名前はカレンだと、このとき初めて知った。

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天使は奉仕活動中 佐熊カズサ @cloudy00

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