5-3
「じゃーん! 新刊、出たんですよ」
嬉しそうに彼女が、僕に本を見せてくれる。前に言っていた「金澤骨董店の主人」とは、彼女がハマっている小説の主人公だ。祖父から受け継いだ骨董店で、持ち込まれる日常の謎をけだるそうに若い男店主が解決していく話だった。若いと骨董店は確かに僕に似ているなと思ったが、けだるそうなところが僕に一番似ているのだと彼女はけらけら笑っていた。失礼な。
「前のは読んだ、返す」
「うわーっ、早いですね!」
台の下から本を出し、彼女に渡す。受け取った彼女は大事そうに鞄にしまった。
「あとちょっとなんで、読んでしまうんで待ってくださいね」
「別に急がなくていいぞ」
彼女は丸椅子に座り、僕は帳場で本を読む。このところ、すっかり馴染んでしまった風景だ。あれから、彼女は頻繁に店に来た。視線すら向けず適当に相槌を打つだけの僕の前でいつも、楽しそうにひとり喋っている。それに根負けしたのかと言われれば、まあそうだ。こんなところに何度も来てはいけない、わかっているのに彼女が来るのを心待ちにしている自分を否定できなかった。しかし。
「はい、じゃあ読み終わったので貸しますね」
笑って彼女が、僕に本を差し出してくる。
「どうか、しましたか?」
怪訝そうに声をかけられ、彼女の顔を凝視していた自分に気づいた。
「あ、いや。ありがとう」
笑顔を作って取り繕い、本を受け取る。
「もう、なんか変ですよ」
「僕が変なのはいつもだろ」
「そうでした」
僕がおどけてみせ、つられるように彼女が笑う。その笑顔を見ながら不安が胸の中に広がっていった。いつも彼女はどこか、無理に明るく振る舞っているように見えた。一時的なものだと思っていた纏わり付く死も、少しずつだが濃くなっていっている。なにが彼女を、死へと導こうとしているのだろうか。それを僕は、聞くに聞けずにいた。
その日も彼女は、店を訪れていた。しかし、心ここにあらずといった感じで、本は開いているもののぼーっとしている。
「どうかしたのか」
「えっ、あっ。なんでも、ないですよ」
僕が声をかけると彼女は慌てて笑顔を作ってきたが、あきらかにおかしい。纏わり付く死は彼女の姿が見えなくなるほど濃くなっていた。
「なにかあったんだろ、話してみろ」
「あー……。なんでも、ないですよ。なんでも」
促しても彼女は力なく笑って誤魔化してきて、胸が痛む。
「ここで話したことは誰にも言わない。だから、安心していい」
じっと彼女の目を見つめ、静かに頷く。彼女は視線を逸らさずにしばらく考えたあと、小さく呟いた。
「本当に誰にも言わない?」
「ああ」
僕の返事を聞き、彼女の顔がみるみる泣き出しそうに歪んだ。
手招きし、一緒に帳場の上に上がらせる。狭い帳場はいっぱいになったが、仕方ない。
「絶対に誰にも言わないでくださいね」
「ああ、約束する」
不安そうに繰り返す彼女に、頷いてみせる。それで少し気持ちが緩んだのか、彼女はぽつりぽつりと話し出した。
「私、学校でいじめられて、て」
僕が学生の自分もガキ大将にいじめられている子がいたが、彼女の話はそれと比べものにならないほど深刻だった。嘲笑、暴力、犯罪の強要、――性的暴行。
「お祖母ちゃんは薄々気づいていたのか、目一杯私を甘やかせてくれて、頑張ろうって思えたんです。でも、お祖母ちゃん、死んじゃって。私も、死にたい……」
耐えきれなくなった涙が彼女の目から、ぼろぼろと零れ落ち続ける。僕は呪いにかかってから、地獄に生きていると思っていた。しかし、彼女と比べれば極楽だ。彼女のほうが本当の、地獄を生きている。怒りが、ふつふつと湧いてきた。
「僕が、ソイツらを処分してやろうか」
「え?」
彼女が泣き濡れた顔を上げ、僕を見る。それは驚いているようだったがその向こう、希望が滲んでいた。
「そんな。私のせいで貴方を犯罪者にするわけにはいきません」
そんな自分の気持ちを振り払うように彼女が頭を振る。こんなに酷い目に遭わされているのに、僕を気遣う彼女が愛おしい。
「犯罪者? この世の法で僕は裁けない。もうここが、君の生きる世界とは違う場所だと気づいているんだろう?」
「それは……」
俯いた彼女は堅く唇を噛みしめていた。なにを躊躇う必要がある? 死を願わせるほど自分を追い詰めた人間たちだ。そんなの、もう……。
「だいたい、ソイツらはもう人間ではないよ。人に害なす妖だ。悪い妖を処分して、なにが悪い?」
彼女に、君が罪悪感を背負う必要はないのだとさらに言い含める。
「全部、僕に任せておけばいい」
彼女の顔を手で挟んで上げさせ、視線をあわせる。じっと僕を見つめる瞳は不安そうに揺れていた。どれくらい、そうしていただろう。
「……はい」
震える唇で了承の二文字を発し、彼女が閉じた目からは大粒の涙が転がり落ちていった。
「いい子だ」
そっと、彼女を抱き締める。ひさしぶりに感じるぬくもりは、心細そうに震えていた。僕は彼女を守りたい。闇の意に反するものでも。
どうやって奴らをこの店におびき寄せるか彼女と打ち合わせした。
「ゴミみたいな本でも高額で買い取ってくれる店があると連れてくればいい。聞いたことはないか」
「え、あれって都市伝説だと思ってました」
まだ赤みの残る目で、彼女が少し驚いた声を上げる。
「何年か前、その店に大量の本を売った代わりに魂を取られた人間がいる、って」
「当たらずとも遠からず、だ」
そうか、あれはそんなふうに噂になっているのか。しかし、あれからもう数年も経っているなんて驚きだ。
「とにかくそれで、連れてこい。あとは僕に任せておけばいい」
「……本当に、いいんですか」
不安そうに彼女が、上目で僕を窺う。
「いいんだ、気にするな」
安心させるようにそっとその小さな頭を撫でた。
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