5-2

「こんにちは……」

 それから少しして、またあの子が店に顔を出した。

「おっと」

 書棚のあいだをそろそろと進み、僕の元まで来る。

「ここ、暗すぎません? 灯り、そのランプしかないですし。てかランプ!?」

 改めて帳場に置かれたランプを見て、彼女は驚いた声を上げた。

「危なくないですか? その、倒して本に引火したりしたら」

「そーだねー」

 興味がないフリをして立て膝をし、そっぽを向いて手近にあった本を捲る。なぜ、彼女は再びこの店に来た? 僕があの子に贈った本を持っていたことでこの店との縁ができていたのはわかる。でも、本はここにあり、僕を絶望させる役割はもう終わったはずだ。なのに何事もないようにまた、ここに来た。

「そんな、適当な」

 はぁっと呆れたように彼女がため息をつく。

「それで? なんの用?」

 できるだけ素っ気なく、視線は本に向けたまま言う。彼女にこれ以上、この店に関わらせてはいけない。

「あ、このあいだ変なお願いしたのに、お礼をなにもしてなかったなと思って」

 がさごそとなにかを取り出す音がしたかと思ったら、目の前に袋が差し出される。

「私が焼いたクッキーで申し訳ないんですけど。あ、手作りは大丈夫ですか?」

 受け取らないでいると、不安そうに聞かれた。

「だいじょう……ぶ」

 戸惑いつつそれを受け取る。……僕に、手作りのクッキー? いったい、なにが起きているのだ?

 期待を込めた目で彼女は僕を見ている。それがなにを意味しているのかわかっていたが、袋を脇に置いた。あきらかに彼女ががっかりした顔をし、ため息をついた。

「あとで、食べる」

 申し訳ないが今ここで食べて、感想を求められても困るのだ。それに、僕に〝ものを食べる〟という行為ができるのかわからない。

「絶対食べてくださいね」

「ああ」

 これで満足して帰ると思ったのに、彼女は帳場に両肘をついて頬杖をし、にこにこ笑って僕を見ている。

「……あの」

「はい!」

 僕が声をかけるだけで、ぱっと花が咲くように彼女が笑う。その笑顔は眩しくて、つい目を細めてしまった。

「他になにか、用が?」

「ああ、すみません! 私がいたら、邪魔ですか?」

 あっという間に彼女の顔が泣き出しそうに歪んでいく。それを見て僕が悪い気がしてきた。

「……別に」

「よかった!」

 また彼女が嬉しそうに笑う。明るいそれは、ひさしぶりに日の光を浴びた気になった。

 近くにある丸椅子を引き寄せ、彼女はそれに座った。

「こんなに真っ暗でお客さん、困りません? 棚の本もほとんど見えませんし」

「別に。僕にはそのほうが都合がいいし」

 また立て膝をして台に肘をつき、関心がないフリをしてそっぽを向いて本を開く。彼女はなぜ、ここに居座るのだろう。別に用があるふうでもないのに。

「失礼ながらこんなお店にお客さん、来るんですか?」

「来るよ。たまにだけどね。現に君は来ているじゃないか」

「そうでした」

 少しおどけたように彼女が笑う。その後も彼女はひとりで話し続け、僕は本に視線を向けたまま聞かれたことにだけ答えた。

「その。……私は、煩いですか」

 その質問は今までと違い、重かった。思わず彼女の顔を見ると、なにか思い詰めたように僕を窺っている。

「煩いよ」

 一瞬で彼女の顔が絶望に染まった。

「でも、別に嫌じゃないよ」

 付け加えた途端、今度は輝いていく。

「よかった……!」

 喜んでいるのはわかるが彼女の目には薄らと涙が浮いていて、大袈裟なと呆れ気味に見ていた。

「すっかり長居をしてしまいました」

 ようやく彼女が椅子から腰を上げる。やっと帰ってくれるのかと安堵したものの。

「……また、来てもいいですか」

 おずおずと聞いてきた彼女の目は、なぜか縋るようだった。それに、胸の内がぞわつく。

「……いいよ」

 ついそれで、許可を出していた。

「よかった」

 喜ぶべきはずなのに、泣き出しそうに笑った彼女はほっとしているように見えた。

「じゃ、また来ます」

 帰っていく彼女の背中を見送る。そのときふと、死のにおいを感じた。僅かに彼女のまわりに死が纏わり付いている。だからこの店は、彼女を招き入れたのか。僕にさらなる絶望を味わわせようというのか。

「あ」

 手が置いてあった紙袋に当たり、かさりと音を立てる。

「まったく、僕はものを食べないのに……」

 捨てるに捨てられず、中を覗く。そこにはただのクッキーではなく、色とりどりの装飾を施した、美しいクッキーが入っていた。

「……しまったな」

 せめて中くらい、見てやればよかった。そうすれば見た目を褒める程度はできたのに。褒められたら彼女は喜んだのだろうか。本当に悪いことをしてしまった。次に来たら綺麗だった、美味しかったと言ってやろう。……食べはしないけれど。

 〝次〟などと考えている自分にどきりとした。また来ていいとは言ったが、ここは何度も訪れるべき場所ではないのだ。来れば来るほど闇に――死に近づいていく。それでなくても彼女は死に纏わり付かれていた。しかし、あれはなんだったんだろう。慕っていた祖母が死んで、一時的にそちらに傾いているだけなのだろうか。うん、きっとそうに違いない。

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