4-2

「……発端は曾祖父が施設に入り、空き家になった家を整理しようという話でした」

 躊躇い気味に彼女が話し出す。こんな話、信じてもらえないと思っているのかもしれない。施設とはなにかわからないが、彼女の話からするに一度入ると死ぬまで出てこられないようだ。

「売るにしても貸すにしても、……更地にするにしても、家を片付けなければなりません。それで、親類一同が集まりました」

 話す彼女の顔をランプだけが照らし、陰影が濃く浮かび上がった。

「お盆休みの三日間、泊まり込みでできるところまでやろうということになりました。元は武士でもかなり高い身分の家だったらしくて、その名残か曾祖父の家はとても広く、庭には蔵まで建っていました」

 地方の名家というヤツなのだろうか。なんとなく、そういう雰囲気が彼女の話から想像できた。曾祖父もかなり、厳格そうな感じがする。

「私は家の整理をしていたんですが、そのうち兄を含めた数人の男性が、お宝があるかもしれないから蔵に入ってみようとか言い出して」

 そのときを思い出しているのか、彼女は呆れたようなため息を落とした。

「家の片付けだけでも大変なので蔵は後日、専門の業者にお願いしようという話になっていました。それに曾祖父は、自分が死んだら蔵だけは開けずにそのまま放置し、朽ちるに任せろと言っていたのも気になっていました。なのに兄たちは面白がって、蔵に入ったんです」

 また、彼女が憂鬱なため息を落とす。

「……その。私も好奇心に負けて中を覗いたんですが、蔵の中は三畳ほどの畳敷きになっていて、……座敷牢、と、いうんですか? そういうものになっていました」

 薄暗い土蔵の座敷牢に閉じ込められていた何者かが、自分に重なった。ここから出られず、この番台で過ごすしかない僕は、この店に閉じ込められているのも同じだ。しかし、あちらはいずれ来る終わりがわかっているだけマシではないか、などと考えている僕は狂っているだろうか。

「もちろん、中には誰もいませんでした。蔵をこの前にいつ開けたのかその場にいた親類一同の記憶を辿っても、誰も知りませんでした。その日、集まった中で最高齢の大伯母が、祖父さん……私のひいひいお祖父さんになるんですか? その、ひいひいお祖父さんですら、開けたことはないと言っていたそうなんです。それほど昔から、開かずの蔵だったようです」

 彼女のひいひいお祖父さんとはどれくらい前の人間なのだろうか。単純に想像して、百年以上は前そうだ。しかし今が何年なのか、僕が学生だった頃の年号が続いているのかすら知らない僕には、それがいつ頃なのかわからなかった。なにか手がかりが掴めないかと、続く話を待つ。

「その。話が多少、前後しますが、曾祖父は蔵は朽ちるに任せたらいいと言っていた割に、定期的に手入れをしていたんですよ。専門の業者を呼んで、朽ちた土壁を直していました。といっても、外側からだけですが。おかげで蔵の見た目は綺麗で、いつから建っているのかも推測できないほどです」

 中は座敷牢、しかも曰く付きのものが出てきた蔵の修理など、そこにいる〝なにか〟を封じ込めるためとしか思えない。それほどまでのものが、この本にはいる。表紙に触れた指先が、びりびりと痺れるのを感じた。

「皆、唖然として、これは見なかったことにしようとなりました。でも兄が……牢の中に置かれた机の上に、〝これ〟があるのを見つけて」

 彼女の視線が、僕の手元に向く。

「やめとけという制止を振り切り、少しくらい金になるかもしれないと持ち出しました。兄はそういう人間なんです、ギャンブルに有り金以上を突っ込んで、そのせいかお金に浅ましくて。今回だってお金目当てで参加していました」

 彼女の口から今までで一番重いため息が吐き出される。もしかしたら怪異よりも兄に苦労しているのかもしれない。

「それ以外は何事もなく、今回の整理は終わりました。なにせ広い家なんで三日では終わらず、暇を見つけて空いてる人間が少しずつやっていこうという話にはなりましたけどね。兄はろくなものが見つからず、不満だったようです。それで一縷の望みをかけて、これを売りに行ったらしいんですが……」

 そこでいったん言葉を切り、彼女は顔を上げた。

「その道すがら、バイクの事故で死にました。見通しのいい道路で、いきなり対向車線のトラックに突っ込んできたそうです。結局、居眠り運転だったんだろうと片付けられました。ええ、これだけなら誰もがそれで納得できたんです。でも、兄の死を皮切りに、親類で不幸が続いて……」

 思い出しているのか、つらそうに彼女が俯く。そのまま、ぽつりぽつりと話し出した。

「施設に入っていた曾祖父が亡くなりました。認知症だったとはいえ、まだまだ元気だったんです。従兄の奥さんが流産して、本人も身体を壊してしまいました。叔母が階段から落ちて顔を強打し、そのせいで目が見えづらくなりました。ずっとひきこもっていた甥がある日突然、家を出ていったきり行方不明に。父もガンを患い、余命は三ヶ月と宣告されています。他の身内が怪我や病気に立て続けになりました。……いえ。身内だけではないのかもしれません」

 少し思い悩んだあと、彼女は僕の顔を見た。

「私たちに関わる人にも被害がおよんでいる気がします。兄が勤めていた会社の社長が、首を吊りました。怪しげなブラック企業だったので気にしてなかったのですが、母の勤め先でボヤ騒ぎがありました。私はイベントの仕事が決まっていたんですが、会場施設が台風で大破して開催の見通しが立っていません。考えすぎだと言われればそれまでですが」

 自分でもありえないと思いたいのか、彼女が引き攣った笑みを浮かべる。しかし、僕にはそれがこの本が原因と言えるものがまだ、なにもないのだ。

「すべて、この箱……本の入った箱を見つけてから、……違いますね。曾祖父の言いつけを破って蔵に入ってから始まりました。もう、原因がそれだとしか思えないんです」

 僕を見る彼女の目は、縋るようだった。そっと本の表紙を撫でる。ここにはなにが書かれている? いつもなら文字に触れて内容を読み取る僕だが、これに触るのは躊躇した。呪いにはもう慣れた。これ以上、悪くなりようがないという気持ちもある。しかしこの本の呪いが僕がかかったものと同じだった場合、文字が身体に乗り移って二度と内容が読めない可能性があるのだ。

「神社やお寺にも行きました。でも、どこでも、これは扱いかねると断られて。そんなときです、どんな呪いを買い取ってくれる古書店があると聞いたのは。もう、ここしかないんです、よろしくお願いします……!」

 立ち上がった彼女が、膝に頭がつくほど深くお辞儀をする。それほどまでに追い詰められているのだというのはわかった。しかし僕は暇つぶしの道楽でこの店をやっているだけで、彼女を助けてやる義務はない。……などと考えて、自分も随分、人ではないものに変わったものだと可笑しくなった。

「わかりました」

 承知したのはまだ、それだけ人間としての矜恃が残っていたのか。それすら可笑しくて、笑いたくなった。

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