3-2

「すみません」

「はい」

 顔を上げると、高校生風の男が入り口から中をのぞいていた。またかと、僕がうんざりするのも仕方がない。

「買い取りをお願いしたいんですが……」

 おずおずと男が番台へと進んでくる。着ている服は最初に着た彼とは違う制服だ。

「はい」

「これを、お願いします」

 番台の上に紙袋がのせられるのを、なんともいえない気持ちで見ていた。

「では、これで」

「ありがとうございました!」

 僕が置いた一万円札を掴み、男は大喜びで帰っていった。

 ……いい加減にしてほしい。

 紙袋を適当に、そのへんに放り投げる。そこにはいくつもの紙袋が積み重なっていた。

 ――〝訳あり〟の漫画でも、なにも聞かずに、しかも高額で買い取ってくれる古書店がある。

 どうも、高校生のあいだでそう、噂になっているようだ。たぶん、発信の主は最初に来た男、彼らの話からすると森下というヤツだ。さらにこの噂には尾ヒレ――というか真実ではあるのだが、礼儀正しくしないと、影を奪われるという話もついているらしい。そのせいで肝試しもかねているようだった。闇のヤツは怪異らしく付けられた枷に囚われて、形だけは礼儀正しい彼らの影すら喰えずにいる。

 ……近所の駄菓子屋じゃあるまいし。

 最近の店は男子高校生がひっきりなしに来る、落ち着かないところになっていた。あんなに暇だ、暇だと言っていた癖に、こうなるとあの静かな日々が懐かしい。それに闇のヤツも不満が溜まっているらしく、いつ彼らに襲いかかってもおかしくない状態だ。……とはいえ。

「買い取りをお願いできますか」

 最初に来た彼、森下が今日もやってくる。

「はい。では、これで」

 一万円札を置きながら、彼の姿を確認する。本人には自覚がないのだろうが、もう人の姿を確認するのが難しいほど、真っ黒な靄に覆われていた。この騒がしい日々も、もう終わりが近い。そう、確信した。


「すみません」

「はい」

 本から顔を上げると森下が入ってくるところだった。

「買い取りをお願いしたいんですが」

「はい」

 店の中、ぞわりと闇が蠢く。きっとヤツに口があれば、舌舐めずりをしていることだろう。いつものように一万円札を番台にのせた。

「ありがとうございます」

 お札を受け取って鞄の中にしまい、森下が僕に背を向ける。

「こんなことをして、良心は痛まないんですか」

 その背中に今日は、声をかけた。別に助けてやろうと思ったわけではない。それでも、呪いにかかった僕と同じくらいの年で人生を不意にするのが可哀想だと思った。これはただの同情だ。ここで悔い改める言葉が出ればまだ、やり直せる。

「あんたこそ、良心は痛まないのか?」

 振り返った彼は、皮肉るように頬を歪めた。

「俺が、俺らが万引きした本を売りに来てたのはわかってるんだろ? それを、あんな高値で買い取って」

 いくら世間から隔離されたこの世界に住んでいても、あれらがそういう本であるのは察しがついていた。だから、なんだ? 現世のことに僕は関心がない。人が死のうが生きようが、どうでもいい。誰が罪を犯そうと、盗んだ品を売りつけられようと、関係ないのだ。実際、彼がこれからどうなろうと知ったこっちゃない。それにこれは、自業自得だ。それでも声をかけたのは、ただの気まぐれと僅かな温情からだ。それをそう言うのならば、どうとでもなればいい。

「ま、僕はかまいませんけどね」

 もう関心はないとばかりに、片膝を立ててそのへんにある本を捲る。

「だいたい、あんたも変なヤツだよな。買い取った本を売るわけでもないし。最近は家にあるゴミ漫画持ってきても、決まって一万で買うし。なに考えてるの?」

 今日の彼はえらく饒舌だ。もしかしたら先程の返事から、僕も同じ穴の狢だと思っているのかしれない。

「……別に」

 ちらりと彼に視線を向ける。闇がぞろぞろと少しずつ、彼を包囲していっていた。もう、入り口から差し込む光は見えない。

「好きにしたらいい」

「ああ、好きにさせてもらうさ。あんたはただ、俺らに黙って金を差し出せばいいんだよ」

 彼は自分に言われたのだと思ったようだが、僕は彼には言っていない。気が済んだのか、彼が戸口を振り返る。

「……え?」

 しかしそこにはもう入り口はなく、闇が支配していた。

「どうなってるんだ?」

 困惑と恐怖が混ざった表情で、彼が僕の顔を見る。

「だから僕は、一応忠告したんだ」

 彼に視線さえも向けず、頁を捲りながら淡々と事実を告げた。

「おい! お前、なにかしたのかよ……!」

 腕を伸ばし、彼の手が僕の胸ぐらを掴む。今更、焦ったってもう遅いのだ。せっかく僕が差し出してやった手を、振り払ったのは彼だ。

「……自業自得だ」

 冷たい目で彼を見下す。

「おい! おいって! ……う、うわーっ……!」

 僕の胸ぐらを揺らす彼を、闇があっという間に飲み込んでいく。すぐにぽん!という音がして、店は元の平穏を取り戻した。そこに、彼の姿はない。

「これで静かになるかな」

 小さくため息をつき、読んでいた本へと視線を落とした。

「……なあ。自分で育てて喰った癖に、これはないんじゃないか?」

 違和感を覚え、眼鏡を外して目を手で覆ったりして確認する。どうも、右目が見えなくなっているようだ。しかし、抗議したところで闇が返事をするわけでもない。

「どうせ持っていくなら、心臓を持っていけよ」

 だいたい、闇はなんの目的があって僕に憑いているのだろう。ただの気まぐれ、お遊びだといわれれば、それまでな気もする。そもそもこの呪いは、誰がなんのためにかけたものかすらわからないのだ。

「ま、いいけどね」

 後ろ向きに倒れ込み、真っ暗な天井を見上げる。僕はそのときが来るまで、暇を飼い殺してここで待ち続けるだけだ。しかし、いくら暇を持て余していても、今回みたいに騒がしいのは勘弁したい……。


 その後。森下が行方不明になった話が広まったのか、ぱたりと男子高校生たちは来なくなった。

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