第三章 頻繁に来る客
3-1
「暇だ……」
番台に突っ伏したまま、置いてある本を捲る。前に客が来たのはいつかすら思い出せない。退屈すぎて死にそうだ。ま、僕はそう簡単には死なないけれど。
「暇だ、暇だ、暇だ、暇だ……」
呪詛のように念じてみるが、暗闇は沈黙したままだ。
……せめて喋ってくれれば少しは面白いものを。
詮無きことを考え、ため息をついた。
「あーあ、暇だ……」
「すみません」
「はい!」
唐突に声をかけられ、背筋が伸びる。見ると戸口からこわごわ、若い男が中をのぞき込んでいた。
「ここ、買い取りやってもらえるんですか」
紙袋を抱き、男はきょろきょろとあたりを見渡しながら書棚のあいだを進んで番台まで来た。
「はい、本ならなんでも」
たぶん、年の頃は呪いにかかった頃の僕と同じくらい。これは今時の高校の制服なのだろうか。僕の頃はほぼ学ランだったが、洒落たものになったものだ。短髪で、随分と背が高いのが印象的だ。
「じゃあこれ……お願い、できますか?」
おずおずと差し出された、紙袋の中身を見る。そこには漫画の本が二冊、入っていた。
「はい。じゃあ、これで」
「え……」
引き出しから一万円札を抜き、番台の上にのせる。それを彼は戸惑い気味に見ていた。
「あの、こんなに?」
「はい。少ないですか?」
「あ、いえ。ありがとうございます!」
お札をひったくるように取り、彼は一目散に店を出ていった。
「なんだろね、あれは」
僕に漫画の価値はわからない。否、漫画の価値もわからない。ここに持ち込まれる本すべての、価値がわからないのだ。まあ、世間から隔絶された空間に棲息しているので、仕方ない。なので買い取りはどんなものがどれくらいの量でも、一万円と決めていた。
袋から出した本をパラパラと捲る。
「これが最近の漫画ね」
暇つぶしに読んでみるが、最新刊なのか十一巻と半端なところなので話がまったくわからない。ただ、これがいくら売れ筋の本でも、二冊で一万円の価値はないのくらい僕だって理解していた。
「あー、また暇になってしまったー」
二冊をあっという間に読んでしまい、番台に額をつける。それにしてもあの男はなぜ、この店を見つけたのだろう。ここは現世から離れた、幽世との狭間にある店。事情を抱えたものにしか来られない。しかし、あの男は普通の高校生のようだった。
「まー、いいけどね……」
それよりも暇をどうやって潰すかのほうが、僕にとっては重大問題だった。
「すみません」
「はい!」
それから二、三日して、その日も暇だ暇だと唸っていたら客が来た。こんな間隔で来るのは珍しい。
「買い取りをお願いしたいんですが……」
おっかなびっくりで入ってくるのは前回と同じ、あの高校生だった。
「はい」
「これを、お願いします」
また、紙袋が番台にのせられる。開けた中にはこのあいだと一緒で、漫画が二冊入っていた。
「じゃあ、これで」
いつもと同じく一万円札を一枚、番台へ置く。
「ありがとうございました」
今日は丁寧にお礼を言い、彼は帰っていった。いなくなってしげしげと漫画の本を眺める。そこには【映画化決定!】とか【この秋、アニメ放送開始!】とかいう帯がついていた。
映画化されたりアニメ化されたりする作品だ、きっと人気なのだろう。
「映画にアニメ、か」
もうそんなものは随分長いこと観ていない。ここには電波が届かない……というよりも、テレビ自体がなかった。そもそもにおいて祖父が亡くなってから僕はずっとこの番台に座っていて、居住スペースがどうなっているのか、まだ存在しているのかすら知らなかった。
僕に食事は必要ない。それは呪いにかかってすぐにわかった。祖父の生前はそれでもお茶くらいには付き合っていたが、死んでからは相手もいなくなりしなくなった。僕はただ、ずっとこの番台に座って過ごしている。
「買い取りをお願いしたいんですが」
それからもその男は二、三日おきに店に来た。
「はい。では、これで」
漫画の入った紙袋が置かれ、中をちらっとだけ確認して一万円札を番台にのせる。機械的にそれを繰り返した。
「これ、読んだ本じゃないか」
持たされる新しい本は暇つぶしになるので、いつも読んでいた。しかし今日、売りに来た本は前に持ち込まれたものと同じだった。たまにそういうことがあるのだ。あと、ビニールがかかっているとか。それが、なにを意味するのかわからないほど僕も莫迦ではない。けれどここは〝そういう〟店なので、彼を咎める気はなかった。――ただ。
「買い取りをお願いします」
今日も彼が、番台に本の入った紙袋を置く。
「はい。では、これで」
一万円札をのせながら、彼の姿を見た。
……ああ、そういうつもりか。
彼がこの店に招かれた理由がわかった。少しずつ、人ではないものに変わっていっている。まあ、こんな行為を続けていれば、そうなるだろう。
「ありがとうございました」
にっこりと笑って彼にお礼を言う。それでも僕は彼を注意しようなどという気は起こらなかった。僕にとって彼は、ただのいい暇つぶしに過ぎないのだ。
「すみません」
「はい」
声をかけられ、いつもの彼かと頭を上げる。しかし、店に入ってきたのは知らない男二人組だった。
「本当にこんなところで、買い取ってもらえるのか?」
「でも、森下はそう言ってたぞ」
きょろきょろとあたりを見渡し、おっかなびっくり書棚のあいだを進んでくる彼らは、あの彼と同じ制服を着ている。きっと、同じ高校の人間なのだろう。
「買い取りしてもらえるって聞いたんですけど」
「はい。本ならなんでも」
「だったら、これ」
紙袋を一人が番台に置く。そこから先は黙ってなにも言わない。
「えっと……」
彼らは困惑気味だが、言わせてもらおう。きちんとどうしてほしいのか、言わないヤツが悪い。
「その……」
「はい」
僕もなにも言わずに、ただにっこりと笑ってみせる。
「買い取り……」
それだけ言って、また黙る。どうも最近の若い人間は、躾がなっていないようだ。僕が中学生の時分なら、こんな態度を取っていれば大人から怒鳴られたものだ。
「その……」
「はい」
彼らがどうしたいのかわかっているが、それでもにっこりと笑うだけで僕もそれ以上は言わなかった。ここは本ならなんでも買い取る店だが、失礼なヤツは話が別だ。闇のヤツも彼らの態度にご機嫌斜めらしく、先程から僕の背中がぞわぞわとしていた。
「……なあ。森下のヤツ、吹かしてたんじゃないか」
「……なんか、舐められてる気がするしな」
僕のほうをチラチラと見ながら、彼らはこそこそと話している。あれか、僕の見た目が自分たちと変わらないから、軽くというか仲間くらいに見ているのか。失礼な、こっちはもうお前たちよりも何十年も長く生きているのだ。
「……やめるか」
「……でも、一万は惜しくないか」
ピキピキと口端が引き攣る。この番台に座って過ごし始めて、これほどまでに苛つくお客は初めてだ。
……いっそ、闇に喰わせてしまおうか。
そんな考えが、脳裏を掠めていく。
「えっと。買い取り……を、お願いできますか」
ようやく、渋々といった感じで一人が頼んでくる。あと少し遅ければ、本気で闇に喰わせようと思っていた。運のいいヤツだ。
「はい。では、これで」
番台に一万円札を一枚、いつのようにのせる。
「やった!」
「森下の話、ほんとだったんだ!」
喜んでいるのはいいが、なんか言うことがあるんじゃないか?
「なあ、ファミレスいかね?」
「いいねー」
彼らは結局、お礼すら言わずに帰っていく。それをぞろりと闇が追っていった。
「好きにしな」
あんな礼儀知らず、どうなろうとかまわない。もしそれで、僕の心臓が止まるようなことになればラッキーだ。
しかし闇は、彼らを〝ほんの少し〟囓るだけで戻ってきた。影がなくなっているのに彼らが気づくのはいつか。まあ、影がなくなったところで生活には支障がない。その程度で済んでよかったと感謝すべきだ。
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