2-3
「おっ、もうこんな時間か。考えてても埒があかねぇ。いったん、メシにしよう」
掛け時計が六時を知らせ、祖父が立ち上がる。
「おめぇも喰ってけ」
「そうだね。手伝うよ」
僕も立ち上がり、祖父とともに台所へと行った。
買い物に行っていないからなにもないと、ご飯とあり合わせの野菜の味噌汁、干物が食卓に並ぶ。さすがに暗い中、食事はできないので、祖父はアルコールランプをつけた。これくらいの明るさなら、多少眩しい程度で大丈夫だった。
「たいしたもんがなくて、すまねぇな」
「別にいいよ。いただきます」
祖父は詫びてくるが、別にかまわない。干物があるだけ上等だ。しかし今日は朝食のあとからなにも食べていないからお腹が空いているはずなのに、まったく食べたいという気持ちが起こらない。
「どうした?」
僕が箸を持ったまま固まっているからか、祖父は怪訝そうだ。
「あー……。なんかお腹、空いてなくて」
曖昧に笑い、箸を置く。
「どっか、悪いのか? いや、悪いんだろうけどよ」
心配そうに祖父の眉間に、深い皺が刻まれた。
「うーん、なんだろう? ごめん、悪いけど」
「いや、いい。こんな状況だ、喰う気になれなくても仕方ねぇわな」
祖父が笑ってくれて、ほっとした。
食後もあれやこれやと思案するが、なにか解決方法が出てくるわけでもない。
「いったん、家に帰るよ。寝て起きたら治ってるかもしれないし」
やはりあれは悪い夢だったんじゃないかという気がする。祖父と僕が同時に見た、幻。その望みに賭けたかった。
「わかった、なんかあったら呼んでくれ。気ぃつけて帰れよ」
「うん」
祖父に見送られて店を出る。外はもうとっぷり日が暮れ、日の光に焼かれる心配はしなくて済みそうだ。
本当に僕は呪いにかかってしまったんだろうか。暗鬱な気分で歩を進める。しかしいくらも歩かないうちに、足が止まった。
「え?」
まるで後ろから凄い力で引っ張られているみたいに、足が進まない。振り切って走ろうとしたが、バランスを崩して転けただけだった。
「どうした!?」
祖父も様子がおかしいと気づいたのか、駆け寄ってくる。
「なんか、前に進めない……」
「はぁっ?」
祖父は驚いているが、僕だってわけがわからない。試しに反対の方向にも歩いてみたが、やはりすぐに進めなくなった。
「とりあえず、店、戻るか」
「そうだね」
いくらやっても無駄だとわかったので、祖父の店に戻る。転けて擦り剥けた膝は、すでに治っていた。
「もしかして店から離れられねぇのか?」
「……たぶんそう、だね」
お茶を飲みながら、祖父と同時にため息をついた。本当に僕の身体に、なにが起きているんだ?
「仕方ねぇから今日は泊まっていけ」
「そう、だね」
もう、そうするしかなかった。
祖父とふたり、枕を並べて寝る。暗い天井を見上げていると、不安が襲ってきた。これから僕は、どうなるんだろうか。この店にひきこもって生きていくしかないんだろうか。
「……ねえ、じいちゃん」
「なんだ?」
「僕、もうずっとこのままなのかな……」
祖父からの返事はない。元はといえば祖父が、得体の知れないものを集めたりするから……!
「なにが呪いなんてないだよ、バッチリ僕にかかってるじゃないか」
やりどころのない怒りを祖父にぶつける。
「なんの知識もないまま、じいちゃんがこんなもの集めるからこんなことになるんだよ」
なにも言わない祖父に、さらに感情は加熱していく。
「どうしてくれるんだよ、もう僕、普通の生活なんてできないじゃないか……!」
「……すまん」
もそりと祖父が起き上がる気配がして、そちらを見た。
「許してくれなんて言えないのはわかっている。残りの人生、お前の呪いを解くのに全部かけるから、勘弁してくれ」
祖父が僕へ、真摯に頭を下げる。それを見て、すーっと頭に昇っていた血が引いていった。
「……約束、だよ」
それでもまだ、怒ったフリをして祖父に背を向ける。
「ああ。絶対にオマエの呪いを解いてやる」
ようやく頭を上げ、祖父は再び布団に入った。祖父だけが悪いんじゃないのはわかっていた。僕も祖父も呪いなんてまったく信じてなく、面白半分に扱っていたから罰が当たったのだ。
翌日になったら何事もなく元に戻っているんじゃないかと期待したが、やはり日の光は僕の肌を焼き、店からは離れられなかった。祖父から説明を受けた両親は最初は信じていなかったが、実際に目の当たりにして信じるしかなくなったようだ。
両親は大枚を積み、祓い屋を連れてきたが。
「う、うわぁーっ!」
機嫌を損ねた闇が、祓い屋を飲み込む。僕に憑いているものがなにか、わかった瞬間でもあった。このときから、右足は動かなくなった。
これ以後、両親は僕を化け物と呼び、店に寄りつかなくなった。反対に祖父は責任感からか僕に親身になってくれ、唯一の心の拠り所だった。手がかりになりそうなものがあれば西へ東へ、どこへでも足を運んでくれる。なんの成果もなかったとがっくりと肩を落として帰ってきたときには、僕の胸も痛くなった。
数年が過ぎたが、僕は呪いがかかったときと同じ姿をしていた。年も取らない、髪も爪も伸びない。
「てめぇはいつまでも変わらねぇな」
笑う祖父の手を握る。祖父は風邪を拗らせ、もう長く寝付いていた。
「おめぇを残していくのだけが心残りだ」
「じいちゃん、逝かないで」
祖父がいなくなれば僕はひとりになってしまう。こんな身体で、どうしていいのかわからない。
「すまねぇな、呪いを解いてやれなくて……」
その夜、ひっそりと祖父は息を引き取った。
店には晩年の祖父の集大成といえるまじないがかけられ、現世とは切り離された場所となった。祖父はこのまじないをかけるために、命を削ったのかもしれない。
こうして僕はひっそり、祖父から引き継いだ古書店に棲息している。あれからわかったのは、僕にかかっているのは闇の呪いだというくらいだ。店に巣くう闇を使役できる。その代わり、光にめっぽう弱い。ランプの明かりでも眩しいのには不自由していたが、祖父が知り合ったという呪術師が作ってくれた眼鏡のおかげで問題なくなった。
「あーあ、暇だ、暇だ……」
呪いを解くのはとうに諦めた。僕はただ、ここで暇を飼い殺し、最後のときが来るのを待っている。
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