第1話 fresh "mate-rial flow" ⑤完

 翌朝、透見川うおせ農定ときさだの工場は一躍いちやくニュースデビューを果たした。


昨日さくじつ午後2時頃、市内のスキンプラントにて愛玩用スキン毀損きそん事件が発生しました。


 関係者によると、労働用スキンP794が作動を起こし、当日工場見学に来ていた学園の愛玩用スキンを殺害さつがいしたもようです。

 工場には現在FHOが立ち入り検査を行い、原因究明にあたっています。

 検査により、スキン製造は今月いっぱいの休止となる見込みです。


 工場長である透見川うおせ氏は事件を受け、「発端ほったんとなったP794をバグとして適切に処理し、再発防止のためマニュアルの見直しと労働用スキンの再教育を徹底てっていする所存」と今後の対応を明らかにしました。

 一刻いっこくも早い改善が望まれます。次のニュースです――』


 水鈴みすずの流したニュースプログラムでは、体感20秒程度のプチデビューだった。

 これまで毀損きそん事件で全国区の話題になった事件などありはしないのだから、規模感でみれば妥当だろう。


 ただし、当事者にとって事件が一大事でなかったことも、またない。


 事件が起こる日まで家族三人むつましく過ごしていた透見川うおせ家の日常からは、父親の姿がきえ、ささやかな笑い声すら聞かれなくなっていた。

 農定ときさだは事後処理に追われてだろうが一度として帰宅しなかった。


 LDKの室空間を台無しにする正三角形のダイニングテーブル。

 しかしそれは透見川うおせ家で一番あいされるアイテムだ。

 このテーブルに家族がそろえば、父と母と子がすき間なく向かい合って同じときを過ごすことができたからだ。

 この場所で流れる時間の1分1秒には、のちの水鈴みすずが忘れることのできない多くの思い出がうまれた。


 そんなLDKLiving Diary Kitchenにあるテーブルは、今まさにその三分の一の風景を失っている状態だ。


 朝食をとる水鈴みすずはときおり母のほうを見ると、母の隣にある虚空こくうのことですぐに頭がいっぱいになってしまった。


水鈴みすず?」


 水鈴みすずのことを気にかけるそぶりをする水鈴みすずの母。

 しかし気落ちしたふうの水鈴みすずは、よりどころのない目を自分の母ではなく手前の皿にいつも落ち着かせた。


「……始業に遅れるから、早く食べなさい」


 水鈴みすずの母は、二人が食事を終えるまで、それ以上何も言わずにいた。

 水鈴みすずが学園に向かうまで、家の中ではえ間なく生活音が鳴りつづけた。


 しかし玄関の戸を開くのと同時に、ぶわっとんだぬるそうな風がすべての音を吹き飛ばす。

 水鈴みすずものわぬ母の見送りを見送って外に出ると、脇目わきめもふらずに駆け出した。

 

 朝10時の小さな公園を、一人の待ち合わせをする子どもの姿ばかりが占めている。しかし今日はやけに小さい。


「しずりん! お待たせ」


「おっ。じゃあ行こっか」


 そこへやって来た待ち人。一人と一人は合流し、公園から去る。


 コンクリートの通学路。

 そのほの暗いなかを優雅らしいタップと足取りでぐんぐん進む水鈴みすずのそばを、二代目しずりは一生懸命についてくる。

 れない身体かみじかい歩幅ほはばかその原因は知れないが、とにかく不便そうなようすで歩く音がどこか切なげだ。


災難さいなんだったね、経年がいっしょのスキンが在庫切れで……」


 水鈴みすずはシニスムを利かせてしずりのことをなぐさめる。


「ホントよ! おかげでこんなちんちく……まあ、体育でサボる口実ができたと思えば、別にいっか」


 しずりは水鈴みすずの言葉からよこしまな考えを思いついたようで、いかにもわるぶった声で笑った。


 小路こーじを抜け、二人は治安の悪いストリートに合流する。

 ぱっと視界が開けた。

 瞬間、痛いほどの陽射ひざしが地上目がけてってくる。

 目を細める二人。


 歩道を右折して進むと、交差点にさしかかる。

 右手にはひしゃげたガードレールとなぎたおされた植栽が転がったままだ。


「しずりん。かれたとき、どんなだった?」


「んー。なんかよくおぼえてないや。すごいジャバってたんでしょ?」


「うん。ジャバってた」


 水鈴みすずはしずりの話を聞いて、天国について考えている(この場合の天国とは、連続性のある電子データを集積または再現しうるデータサーバのことを指す)。

 水鈴みすずには想像すらかなわないその場所へ、しずりは一度行ったことがあるというのだから、気になってしまうことはべつに無理もない。


かれたときのことは、そりゃまあ轢かれてるから見聞きもしてないけど、死んだあとのことははっきり憶えてるよ」


「どんな?」


「父さんと母さんがでかくなってた」


「それは目がめてからの話でしょ?」


「うそうそ」


 水鈴みすずが見ると、しずりは屈託くったくのない明るい笑顔で水鈴みすずのかたわらへにじり寄ってきた。

 これがどんなからくりから生み出されたものなのかおもめぐらすと、水鈴みすずは少し気味悪さをおぼえたという。


「ビッグクランチってあるじゃん? 膨張ぼうちょうしきった宇宙が、自分の重力に耐えきれなくなって、最後はちっちゃな点になるってやつ。自分があれになった感じがした。

 車がぶつかってきて、そのすぐあと、今まで起こったこと全部思い出したかとおもえば、すごいはやさで時間が進んでいって、最後になんかギュッてされて。起きたら今の身体になってた」


 しずりは今の自分のげんを飲み込むかのように深呼吸すると、水鈴みすずの先に立って交差点を右に曲がろうとする。

 学園がくえんまではもうそれほど遠くはない。


「……それ、ホントなの?」


 水鈴みすずは、どうしてか、すっかりしずりの与太よた話に心をうばわれてしまっていた。


「ホントホント。さっ、もう行こうよ。今日はお弁当分けっこしようぜ!」


 しかし当の与太郎は傍若無人ぼうじゃくぶじんといった口調で、ただひたすらに水鈴みすずの手を引いて学園までの道を先導する。

 さながら子どもがやぼな大人を、秘密基地へ案内するかのように。


 そのため、好奇心を持てあましてしまった水鈴みすずは学園に到着したとたん、友人を置いて小走りで学級へと向かってしまったのだ。


 学級の目の前まで来た水鈴みすずは、3年間の思い入れのある引き戸を力いっぱい開け放った。


 その物々ものものしさとドアの悲鳴に、いちどきにクラスのなかがびっくりする。

 水鈴みすずはクラスで特徴的なツーブロックを探し出そうとしていた。アンビバレントな歩行で奥に進んでいく。


儀式ぎしきさん。おはよう」


「あ、ああ。おはよう」


 水鈴みすずにあいさつをされると、想像するにとろみのついた酸味が儀式ぎしき晴季はるきの口の中いっぱいに広がったはずだ。

 透見川うおせ水鈴みすずがクラスでそれほど存在感のある学生ではないためだ。


 晴季はるきはそこでいてたであろう何かを、気管へと入れないよう慎重しんちょうのどおくまで押し込める。


透見川うおせさん……ぼくは今日とても調子が悪いんだよ。おもに君の――」


「わかってる。ごめんなさい。でも聞きたいの、あのときの儀式さんのこと……」


「何のことだい?」


 晴季はるきは本当にわからないと目で水鈴みすずにうったえかけるが、水鈴みすずにそれがわかったのかはわからない。


「教えて。あのとき……儀式さんはP794にころされて、天国に行ったの?」


 まさにそのとき、水鈴みすずの口は思考回路の言いなりとなって、右の言葉を少しのよどみもなく発砲せしめた。


 真正面に立っていた晴季はるきが食らったのは豆鉄砲ではなくきっと真正の無鉄砲だったから、ハトの顔などできるはずもなく、それからつらかわに浮かべたものは、一周まわって鷹揚おうようさに満ちた表情であった。


「ああ……ごめんね。前のぼくのことは分からないんだ」


「そっか……」


 このやりとりを思うと、晴季の言葉はそのするどさで、水鈴みすず反駁はんばくしようとするいきおいをすべてってしまったのだろう。


 そこでは誰の目にも、水鈴みすずが正論に打ちのめされたようにしか見えなかったことだろう。


 残念でならない。

 誰も、水鈴みすずが先の言葉によって、なかば預言者めいた思いとともに居直いなおってしまったことに気がつかなかったことが。


「(そっか。愛玩用スキンじゃ、ダメなんだ……じゃあ労働用スキンは? P794なら天国に行ける? 知りたい。P794が天国に行ける可能性が――)」


 水鈴みすずの本能はこの欲望を、誰の目にもわからないように、ひそかにはぐくもうと画策かくさくする。


 非常にばかばかしい。

 そんなことを知ろうとして何になる。

 物質流動マテリアルフローおびやかしかねない危険思想だ。


 たとえ過剰でも、誰かがそうととがめていたのなら、未来は少しだけ変わっていたのかもしれない。

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