少年との再会
1914年も11月に入ると、戦争への高揚感は無くなり、すっかり長引く戦争への倦怠ムードが漂っていた。
このままエリーザベトたちドイツ人への敵意も少し鎮火してくれたら良かったのだが、ドイツ軍の残虐行為を連日耳に晒された英国人たちの反独感情はますます悪化していた。
メディアが報じる残虐行為はそのほとんどが、あまりある想像力で膨らませた真偽不明なものばかりだったが、そんなことを確かめようなどという奇特な人間は中々いない。
真実など、信じたいことに比べたら些末なものだった。
だから日曜日の教会と買い出しに出かける以外、エリーザベト一家は外に出歩かなくなっていた。
11月8日の日曜日もそうだった。
日曜日の教会に朝から祖父母と出向いていた。
本当は教会の中で賛美歌などを歌わなければならないのだが、つかの間の外だからと、いつもエリーザベトはねだって庭で1人だけ遊んでいた。
この日も流れてきた主の祈りを聴きながら、高い教会の鉄柵のてっぺんまでよじ登り、そこから勢いよく飛び降りることを繰り返していた。
またてっぺんから飛び降りようとしたときだった。
「足痛くならねーの?」
そんな彼女を止めるでもなく、呆れた声をかける人物がいた。
ブルーノが追い払った、新聞売りの少年だった。
「あっ!」
エリーザベトは鉄柵を滑りおり、柵越しで近寄れるところまで少年に近寄る。
「あの!」
「うん」
「ブルーノさんのせいで、まだイヤな気持ちだったりしない?」
少年が虚をつかれて目を見開いた。
そのまま少年が沈黙するのを、エリーザベトは肯定と捉えて悲しく思い、謝罪の言葉を紡いだ。
「ブルーノさんのせいでごめんなさい」
「あ、いや……」
少し眩しいものを見るように、少年が地面に目線を逸らして呟く。
「嫌な気持ちなんて引き摺ってないよ。
さっきまで忘れてた」
ほんとうだよ、と少年が温かい陽だまりを浴びたように、頭に被った帽子の柄を下げるのを見ながら、彼女はホッと少年に笑いかけた。
「ありがとう」
少年からのお礼の言葉に、エリーザベトはキョトンと子犬のように首を傾げた。
「いや……。
それより最近ブルーノって警官と一緒に犬を探しているのを見かけてないけど、探す場所を変えたの?」
怒りで顔を顰めながら、エリーザベトが首を振った。
「あなたに酷いことしたから、謝るまでブルーノさんとは口を聞かないことにしたの」
「それで最近見かけなかったの?
俺の事なんて気にしないで探せばいいのに」
「ヤダ」
「お前さては頑固だな?」
エリーザベトがムスッと黙り込むのを呆れた目で少年は見た。
「じゃあ話さないで探すだけ探せばいいじゃないか」
「話さないと、探すのできないから」
エリーザベトの言い訳を聞いて、ますます呆れの色を深くしたあと、少年はそのままの表情で言った。
「黒犬とワイルドハントを探すのを手伝ってやろうか?」
驚いたエリーザベトは目を見開くと、「いいの?」と縋るように少年を見つめた。
エリーザベトの期待に満ちた視線を受け、BBBは軽く肩をすくめて、あっさりと頷いた。
エリーザベトの心に一瞬のうちに喜びが広がり、彼女の表情に小さな笑みが浮かび上がる。
「ただし条件がある。
俺は大人に嫌われてるから、夜にこっそり探したいんだ。
夜中まで起きて待てるなら、外で一緒に探してやれるよ。
できそうか?」
エリーザベトは一も二もなく頷いた。
アプフェルを探せるなら、夜中だろうがなんだろうが構わなかった。
「決まりな。
俺の名前はBBB。よろしく、エリザベス」
BBBと名乗った少年が握手を求める。
「私はエリーザベトよ。エリザベスじゃないわ」
「ごめんごめん」
少年が謝ってから握手をする。
「それにしてもBBB?変な名前だね。聞いたことないわ」
「エリザベスって言わないで、エリーザベトって言うのも変だけどな」
エリーザベトが少し憤慨したのを見て、BBBは鼻を鳴らす。
「名前を変って言われるのイヤだろ?
なら俺の名前のことも変って突っ込むなよな」
エリーザベトが堪らず謝ったのを聞いて、BBBが不敵に笑った。
「じゃあ今日の12時に、エリーザベトの家の前に行くよ。
ドアをノックするから、きちんと起きてるんだぞ」
エリーザベトが頷いたのを確認して、BBBがまたなと背を向けたときだった。
教会から賛美歌が漂ってきて、彼の耳にも入ったのだろう。
少しの間、BBBが教会に顔を向ける。
それからまた前に顔を戻すと、通りに駆け去っていった。
それから約束の時間まで、エリーザベトは舟を漕ぎながらなんとか寝ないで待っていた。
玄関のドアの前に、毛布を被って陣取りながら待っていると、コンコンとドアが鳴る。
次いでBBBのエリーザベトが起きているか確認する声が聞こえてくる。
「おい、エリーザベト。起きてるか?
起きてるならドアを開けてくれよ。
一緒にアプフェルとワイルドハントを探しに行こう」
「起きてるわ。少し待ってて」
2階にある自分の部屋まで静かに駆け上がると、窓から木まで飛び移る。
祖父母に気づかれる危険が少なくていいと、彼女は初めからこの方法で外に出ると決めていたのだ。
唖然としたBBBの前に葉っぱだらけで現れた彼女は、お待たせと駆け寄る。
「クソ!」
突然BBBが悪態をついた。
「おい、お前ら。見ての通り失敗だ。
ずらかるぞ」
BBBが後ろの闇に声を掛けて、立ち去って行こうとするのを、エリーザベトは慌てて追いかける。
「待ってよ。歩くの早いよ」
「知るかよ。付いてくるな」
不機嫌そうなBBBに少し怯みながら、エリーザベトは懸命に後を着いていく。
「どうしてよ。ねえ、アプフェルとワイルドハントを一緒に探すんでしょう?」
突然知らない女の蓮っ葉な声が聞こえ、エリーザベトは驚きと恐怖から立ち止まる。
「おめでてー奴
こいつ、エリザベスだっけ?
一緒に連れてこうじゃない」
「おい‼」
BBBが反論する先を見ると、若い男装をした女が腕組みをして立っていた。
口に咥えた煙草を燻らせている。
「面倒なだけだろ」
「ボスはあたしだ。
子守りは面倒だが、誘拐すればいいさ。
身代金が手に入る」
BBBがエリーザベトをチラリと見たあと、舌打ちをしてから、来いと手を強引に取った。
女が煙草の火をエリーザベトの頬に熱を感じるまで見せつける。
「騒ぐんじゃないよ。
騒いだらこの火で目ん玉焼き潰すからね。
分かったら頷きな」
恐怖で涙を滲ませながら、エリーザベトは言う通りにただ頷いた。
満足そうに女が煙草を遠ざけると、それが合図のようにBBBが歩き出した。
エリーザベトはつま先だけを見つめながら、ひたすら後を着いていく。
長い夜の始まりだった。
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