船旅 ☆2☆


 シュエたちに用意された客室は、とても広くてふたりで使うにはもったいないほどの部屋だ。


 クラーケンを倒した英雄に、と船長自ら勧めてくれた。


 その部屋に入り、ベッドにぼふんと座るシュエ。向かい合うようにリーズも座る。表情は消えたままで少し威圧感がある。


「人を斬る予定が?」

「山賊やら盗賊やら海賊やらが襲って来るかもしれんじゃろ。ほら、わらわ子どもに見えるし?」


 実年齢は百歳超えている。竜人族としては『子ども』に入るが、人間にとっては『年上』だ。


「姫さまは、人を斬らなくて良いのですよ。それは私の仕事ですから」


 護衛としてシュエを支えるリーズは、じっと彼女を見つめて言葉を紡ぐ。その言葉は少し緊張が混じっているように声が震えていた。


 二百年生きているリーズは、人を斬ったことがある。成人前の旅に出たとき、自身の実力と人間のもろさを見誤ったことが原因だった。


 そのときの感触は、何年経っても覚えている。


「じゃが、リーズだって斬りたくはなかろう?」


 シュエが真っ直ぐに彼を見る。一点の曇りもない、翠色の瞳で見つめられてリーズは息をむ。


「当たりか。わらわもなかなかやるのぅ」


 自画自賛するように口角を上げ、胸元に手を置くシュエに、リーズが小さく息を吐いた。


「人を斬りたい、なんて大抵の人は思いませんよ」

「大抵の人『は』?」

「世の中には変人もいるのです」


 しみじみと実感を持って言われて、シュエは首を傾げる。リーズは表情を緩めて、静かに首を左右に振る。言うつもりはない、ということだ。


悪鬼あっきや魔物を倒すときの力では、強すぎるか?」

「ええ、まぁ、そうですね。姫さまは戦わないほうが良いかと」

「む。しかしそれではリーズにばかり負担がかかるじゃろう」


 きょとり、と目を丸くするリーズ。そしてなにかを思いついたようにぽんと手を叩き、


「私の心配をしてくださったのですね!」


 と、目元を細めてにこにことシュエを見た。


「心配というか、ふたり旅じゃぞ。負担はふたりでわけるべきじゃ」

「……姫さま。その心意気はとても素晴らしいのですが……」


 こほん、と一度咳払いをしてから、リーズは右手の人差し指を立て、目を閉じて言葉を紡ぐ。


「私は姫さまの護衛です。本来なら悪鬼や魔物と戦うのも止めるべきなのでしょうが……」

「そうなのか? 剣術を試すためではなかったのか?」

「悪鬼を見つけて嬉々として斬りつけるとは、正直思いませんでしたよ」


 目を開けてシュエから視線を逸らすリーズに、シュエは唇を尖らせた。そして肩をすくめる。


「……悪鬼は黒いもやになって消えますよね。ですが、人は残ります。あなたに耐えられますか、姫さま」

「そ、れは……わからん。想像がつかない」

「でしょうね。私もそうでしたから」


 リーズは立ち上がり、シュエの隣に移動した。すっと自分の手のひらを見せた。


 思わず、というように彼の手と比べるように己の手を重ねた。


「……わらわの手もリーズのように大きくなるかのぅ?」

「大きな手になりたいのですか?」

「ん? うーむ、大きな手、というよりはしなやかな手になりたいのぅ」


 うっとりと憧れを口にするシュエ。


「背はリーズより小さくてよいが、お主の肩くらいまであれば嬉しい。髪はもう少し長くして、気分で髪型を変えるのじゃ。身体もルーランのように出るところは出て引っ込むところは引っ込んで……そう、魅力的な女性になりたい!」


 重ねていた手を離し、ぐっと拳を握って語った。その勢いにリーズは目を大きく見開き、それから見せていた手を口元に添えて肩を震わせて笑った。


「む、なぜ笑う」

「いえ、姫さまにも理想像があったのですね。てっきり食にだけ興味があるのかと」

「そりゃあ、あるに決まっとるじゃろ! 母上やルーランに憧れを持つ者は多いじゃろうし!」


 リーズは首を縦に動かす。翠竜国で女性の憧れを集めているのは確かに皇后陛下とルーランである、と。


「わらわも母上の子。きっと美人になるはずじゃ!」


 シュエの母の容姿は、一度すれ違えば思わずその姿を追ってしまうほどの美貌だ。


 そんな女性の娘であるシュエだって、成人すれば誰もが振り向く女性になれるはず――と思いつつ、本当にそんな女性になれるのかどうか、不安でもある。


「――たぶん」


 付け足した言葉は弱々しかった。


 先程までの勢いはどこへやら、とリーズが眉を下げる。


「姫さま」

「なんじゃ?」

「姫さまは姫さまのまま、素敵な女性になりますよ」


 励ますように優しく、柔らかい言葉にシュエはリーズを見つめる。嘘を言っているようには見えなかった。本気でそう思っているのだと、なぜか胸がむずむずとしたシュエは、「本当に?」と視線を逸らしながらたずねた。


「ええ。我々にとって『子ども』である時間は短いのですから、今をたくさん楽しんでから、改めて『理想の女性像』を考えるのも悪くないと思いますよ」


 シュエはふむふむ、と真顔でうなずき、ぽてりとベッドに寝転んだ。


「それもそうじゃな。あと百年くらい、『子ども』を楽しむとするか」

「ええ、それがよろしいかと」


 自分の小さな手を天井に翳し、視線をリーズに移してくふふ、と笑うシュエ。


 リーズは彼女の言葉に微笑みを返した。

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