海の魔物 ☆1☆


 鳥のさえずりで目が覚める。緩やかに目を開け、シュエはむくりと起き上がる。両手を組んでぐーっと上へ伸ばし、ゆっくりと深呼吸を数回。


「おはようございます」

「おはよう、リーズ。夜明け前じゃな」

「はい。漁師たちの船に乗せてもらいましょう」


 シュエはこくりとうなずき、動きやすい格好に着替える。髪はリーズにってもらい、辰砂のブレスレットを右手首につけ、そっと撫でる。


 気合いを入れるように両頬をぺちんと軽く叩いてから、人差し指と親指で輪を作り、翠竜剣を取り出す。ぎゅっと柄を握り、大きく息を吸う。


「よしっ! クラーケン退治じゃ!」

「行きましょうか」


 夜明け前の薄暗さの中、窓を開けて潮風を浴びる。嗅ぎ慣れない匂いだが、それも悪くないとシュエは口元に弧を描く。


 リーズがシュエを抱き上げて、窓から外へと出る。人気のない場所を探し、そこを着地点にした。トン、と軽い足取りで着地しそのまま歩き出す。


「あれ、昨日の兄ちゃんじゃないか!」

「知り合いか?」

「ええ、昨日大浴場で少し」


 シュエが眠っていたときのことを話すと、彼女は「ほほう?」と興味深そうに目を輝かせた。


「のぅ、わらわたちを乗せてくれんか? クラーケンが出たら、倒してやるぞ」


 漁師は大きく目を見開いて、「お嬢ちゃんが?」とシュエをじっと見つめた。シュエはリーズの腕の中で胸を張る。


「そうじゃ! 新鮮な魚介類をたらふく食べたいからの!」

「はは、食い気が勝っているんだな。まぁ、乗せるのは良いが、無理はするなよ?」


 あっさりと船に乗せてくれることになり、シュエとリーズは顔を見合わせた。まさかこんなにすんなり話がつくとは思わなかったのだ。


「すぐに出発するから、乗ってくれ」


 親指をくいっと後ろの船に向ける漁師。リーズは小さくうなずき、船に乗り込む。漁師も乗り込んで早速船を出発させる。


「船に乗るのは初めてかい?」


 不規則に揺れる船に耐えながら、白い歯を見せる漁師にシュエは「うむ、初めてじゃ!」と元気よく答えた。リーズから降りて揺れる船を楽しむように海を覗き込んだ。しばらく眺めていると、なにかの気配を察し、ぐっと翠竜剣の柄を握る。


「ん、どした、嬢ちゃ……うわぁぁあっ!」


 突然、船が。ピタリと。漁師は前のめりになり転びそうになったところを、リーズが腕を掴むことでなんとか耐えた。


「お出ましのようですね」

「どのくらいの大きさかのぅ」


 シュエは一度柄から手を離し、左手の人差し指を立て大きな輪を空気中に描く。


「え、わっ!?」


 薄い膜が船全体を包む。驚いてこちらを見る漁師の目を見つめ返すと、そこにあるのは驚愕だけで恐怖は感じない。


「わらわが守ってみせるから、そなたは安心して身を任せよ」


 にっと笑うシュエと、眉を下げるリーズを交互に見てそれから「お、おう?」と困惑しながらもうなずいた。


 そんなやり取りをしていたら、クラーケンが姿を現した。


「おおー、とても大きいのぅ!」

「イカでしょうか、タコでしょうか」

「不思議なことにどちらにも見えるのぅ」


 考えてみればイカもタコもその姿を見たのは書物で、実物を見たことはない。


「あ、海が黒くなった」

「墨を吐いているんだ」

「ほーぅ。……なんかあんまり襲ってくる気配がないのぅ」


 むしろ船を引き止めてからかっているように見える。巨大な頭に大きな目、多数の触手。とりあえず、船を掴んでいる触手の一本を斬り落とすと、黒いもやになった。


「む、やはり消えるか」

「あ、怒ったみたいですね」

「なんでそんなに冷静なの、おふたりさん!?」


 クラーケンの様子を見て、漁師が目をカッと見開いてふたりを見る。怒ったクラーケンは船を攻撃しているが、薄い膜が弾く。透明な膜なのでベチベチと触手で攻撃しているのがよく見え、漁師は「どうなってんだ、これ!」と頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「お、ちょっと疲れたようじゃな」

「シュエ、一発で仕留めてくださいね」

「任せろ!」


 シュエは船から跳び上がり、薄い膜の外に出る。膜の上に座りじっとクラーケンを見つめ、にっこりと笑みを浮かべるとクラーケンは少し怯んだように離れようとした。


 しかし、シュエのほうが素早かった。薄い膜から一直線にクラーケンに向かう。


「悪いが、眠れ!」


 クラーケンの頭を翠竜剣で薙ぎ払う。


 あまりにも一瞬で片が付き、漁師はぽかんと口を開けた。黒いもやが天に昇っていく。――のを見ながら、シュエは海に落ちた。


「お嬢ちゃん!」


 漁師が慌てたように海に飛び込もうとするのをリーズが止め、代わりに海に飛び込みシュエを助ける。


 海水がたっぷりと含んだ服は重い。しかしリーズはその重さを感じさせることなく、シュエを抱えて泳ぎ船まで戻ってきた。


「うへぇ、ぺっぺっ! 海水ってしょっぱいな!?」

「嬢ちゃん、泳げないのにクラーケンに向かって行ったのかい、勇敢なんだか無謀なんだか……」


 呆れたような漁師の言葉に、シュエはきょとんとした表情を浮かべて首を傾げた。


「泳げなくともリーズがいるからの。なんとかなると思ったんじゃ」


 なんとかなったじゃろ? と楽しそうに口角を上げるシュエに、リーズは肩をすくめ、漁師は一瞬目を丸くして豪快に笑った。

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