海の近くの街で ☆9☆
シュエがこてんと小首を傾げる。
「姫さまは大切に育てられていましたので……」
「まぁ、わらわが剣を扱えることを知る者は少ないからのぅ。そもそも、わらわらの宮に来る者はほぼ皆無じゃし?」
「姫さまの宮はがっちりと身内で固めていますからねぇ」
リーズが肩をすくめる。確かにシュエの暮らしている宮は家族によってがっちりと守られている。それが息苦しいと思ったことはなかったが、こうして自由に旅をすることができるようになり、翠竜国で暮らしていた頃が『守られて』いたのだと強く感じるようになった。
「過保護じゃからな!」
明るく笑うシュエに、
「つつがなくお過ごしください、姫さま」
「うむ。そなたはこれから国へ帰るのか?」
「そうですね、姫さまに文をお渡しする任務は終えましたので、国へ帰って報告いたします」
「そうか、ご苦労じゃった」
優しく労わりの言葉を掛けるシュエに、宇航は軽く首を振り彼女の目を真っ直ぐに見つめて一礼した。
「それでは、失礼いたします」
「宇航」
去ろうとする宇航を呼び止め、振り返る彼に対してシュエが凛とした声で言葉を紡ぐ。
「――わらわが楽しく旅をしていること、しかと兄上たちに伝えておくれ」
「かしこまりました」
宇航は一瞬目を丸くしてから、彼女に小さくうなずきを返す。部屋から出て行く宇航を見送り、シュエはリーズを見上げて「知らせたか?」と問いかけた。が、リーズはふるふると首を横に振った。
「ならばルーランか」
「でしょうね。それで姫さま、本当にクラーケンを倒すのですか?」
「うむ、見てみたいしのぅ」
「……ずっとあの宮に居ましたものね」
リーズが懐かしむように目元を細める。旅をしてから、王宮ではまず見ることがない悪鬼を倒したり、自然を感じることで自分の世界は本当に狭かったのだと痛感した。
「また恐れられるかもしれんが、それはそれ。わらわはこの旅を楽しむと決めておるんじゃ!」
「食に関しては、かなり楽しんでいらっしゃると思いますが……?」
「まだまだこれからよ」
にっと白い歯を見せるシュエに、リーズはぽんぽんとその頭を撫でた。
「さぁ、少し眠ったからスッキリしているでしょう? お風呂に入って来てください」
「はぁい」
「こちらのお風呂も用意していますが、どちらに向かいますか?」
「部屋のお風呂で波音を聞きながらにしよう! 癒されそうじゃ」
「癒され過ぎて眠らないように」
リーズの注意にシュエは「はいはい」と軽く返してお風呂に持っていくものを用意し、風呂場へ向かった。
そのうちにザァーとシャワーを浴びる音と鼻歌が聞こえ、リーズは小さく息を吐く。
シュエはシャワーを浴びながら、頭と髪を洗う。旅をする前から、シュエを世話していたばあやから『自分のことは自分で出来るようになったほうが、気が楽ですよ』と教えられたことを思い出す。
竜人族は成人前に一度旅に出て、外の世界に触れる。そのため自分の身の回りのことを出来るようになるということは必須なのだ。
シュエもいつか旅立つだろうと思われていた。
それが今になったのは、なかなか面白いともシュエは思う。
人肌よりも少し温かいシャワーを浴びながら、ぼんやりと今まで過ごしてきた時間を思い返し、ほぼ食と剣術だったなと口元に弧を描く。
シャワーを止め、曇った鏡をきゅっと自分の手で拭く。移った姿は幼く、シュエは目元を細めて、じっくりと自分の身体を眺める。
「そんなに弱そうに見えるかのぅ?」
ぽつりと呟く。思ったよりも浴室に響いて、慌てて口を閉じた。
シュエだって竜人族の王族だ。それなりの強さは身に付けている。しかし、周りからはそう見えないようだと肩をすくめ、湯船に浸かった。
リーズがいつ用意したかはわからなかったが、熱くもなく冷たくもなく、ちょうど良い温度が保たれていた。
肩まで浸かり、はぁぁあ~と大きな息を吐く。身体の力が抜けていくのがわかる。そして、耳を澄ませば波の音が聞こえてくる。
「うーん、なんとも贅沢な風呂じゃな」
身も心も癒されるような気がして、シュエが満足そうに笑みを浮かべた。
母から教わった歌を小さく口ずさむ。
まだ旅を始めたばかりだというのに、家族に心配を掛けてしまったようだと反省した。
(あんまり気にしていないのじゃが……)
思えば、誰かに拒絶されたのは先日の出来事が初めてかもしれない。国にいれば、皇女という立場や、家族に溺愛されているということもあり、誰もシュエを拒絶しなかった。
(――なるほど、だからわらわはちょっと傷付いたんじゃな。本当にちょっとじゃが)
自分の気持ちを分析して、ようやく腑に落ちた気がした。この街につくまでも、いろいろと悪鬼を倒し、困っている人を助け、を繰り返していた。
自分の心を落ち着かせてから、シュエは湯船から上がる。
「明日はクラーケン退治じゃ! 張り切らねばな!」
ぐっと拳を握って決意するように言葉を出すと、すっと胸に刻まれた気がした。
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