海の近くの街で ☆7☆
「リーズ? どうした?」
「いえ、ずいぶん広いなと思いまして。海はもう良いのですか?」
後ろから声を掛けられて、リーズはゆっくり振り返り、シュエと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「どれどれ?」
ひょいとリーズの身体から顔を出し、風呂場を確認するシュエ。確かに広い。
「大浴場はあったかの?」
「ありましたよ。ですが、恐らくここでは個室のお風呂にこだわっているのかもしれません」
リーズが唇の近くで人差し指を立てる。首を傾げながらも少しの間黙っていると、ザーザーザーザー、と穏やかな波の音が聞こえる。そして、この波音を楽しむには個室のほうが良い気がした。
人が多い大浴場では楽しむよりも先に、人の声が聞こえるだろう。
「……贅沢じゃの。波音を楽しめるお風呂とは」
「ええ。波音はリラックス効果がありますし、お風呂で聞くことでさらに疲れが癒されそうですね」
「うむ!」
シュエとリーズがそんな会話をしていたら、軽く扉を叩く音が耳に届いた。どうやら、お湯を持って来てくれたらしい。
リーズが部屋の扉まで移動し、扉を開けて従業員からお湯を受け取る。「ごゆっくりお過ごしください」と微笑む従業員は小さく頭を下げてから去って行った。
扉を閉めてテーブルの上に置き、シュエに声を掛ける。
「姫さま、今日はどのお茶を飲みますか?」
「緑牡丹茶はあるか? 今の気分にぴったりじゃ」
「用意しますね」
そう言うとリーズは以前シュエがやったように右手と左手の親指と人差し指を合わせた。ぽぅ、と淡く白い光が現れ、輪を解いて光の中に手を入れる。
目的のものを取り出すと、「少々お待ちください」と柔らかく口角を上げてから、小さなキッチンへ向かった。
耐熱ガラスの茶器にひとつを入れ、先に少量の湯で洗いその湯を捨てる。そのまま二分ほど待ってから改めてお湯を注ぐ。ガラスの茶器を持ち、シュエの元に戻った。
リーズはガラスの茶器を少し揺らし、ことりとテーブルの上に置いた。ゆっくりと重なっている花びらが咲いていくように開いていく。シュエは椅子に座り、その様子を眺めていた。
花咲くように綻ぶこのお茶を見るのが、シュエは好きだ。
蒸らす時間を長くしてもあまり濃く出ないので、いくらでも飲めそうだとシュエは思う。
三分ほど待ち、リーズが耐熱ガラスの湯呑みにとくとくと注ぎ、シュエの前に差し出す。
「ありがとう、いただくよ」
右手で湯呑みを持ち、左手を糸底に軽く添えて口元に近付ける。甘く清らかな香りに口角を上げ、一口飲みその爽やかな味に息を吐く。見た目も香りも味も、シュエ好みのお茶だ。
「やはり美味じゃな」
「それは良かったですね」
リーズも自分の分のお茶を注ぎ、こくりと飲み込む。
「……それにしても、洋室で和風のものを飲む、とはなかなか
「本当に。探せば和室の宿屋もあったんじゃろうけど、ここも良い部屋ではないか!」
「『
「うむ、そういう心、わらわは好ましく感じるのぅ」
お茶を飲み終えてはリーズが注ぎを繰り返し、満足するくらい飲んだシュエはうとうととし始めた。
「姫さま、眠るのでしたらベッドへどうぞ」
「……そうする……」
しょぼしょぼとする目を擦ろうとしたら、リーズに止められる。
「目を擦るのはいけませんよ」
「むぅ……」
シュエは唇を尖らせながらも、椅子から降りてベッドへ向かう。
ふかふかのベッドに飛び込んで――あっという間に眠りについた。
☆☆☆
次に目が覚めたとき、薄暗くて驚いた。辺りを見渡すと、リーズもうたた寝をしていたようで、椅子に座ったままだ。
(リーズも疲れているんじゃな)
それもそうだろうと肩をすくめる。それこそ赤ん坊の頃からの付き合いだが、自身を守ろうとしてくれていることを身に染みて理解している。
(――わらわたちの力は、人間にとっては『恐怖』の対象なんじゃろうな)
リーズもルーランも、旅をしてきたときにそういう思いを経験してきたのだと思う。だからこそ、シュエが同じ経験をしないように気遣っていたのだ。
それはきっと、竜人族の末っ子皇女という肩書を持つシュエではなく、ひとりの女の子としてのシュエを心配してのこと。
むくりとベッドから起き上がると、リーズがぴくりと動いた。起き上がるときの小さな音を聞き取ったらしい。
「姫さま、お目覚めですか?」
「うむ。よく寝たぞ」
ぐーっと腕を伸ばして背伸びをする。昼食をたらふく食べたからか、それともただ単に歩き疲れたのか、もしくはその両方で眠くなったのだろう。
「夕食はどうしますか?」
「うーん、昼に結構食べたからのぅ。軽くにしようかの」
「……食べるんですね」
シュエはにんまりと口元に弧を描いてうなずく。
「かるーくじゃよ。果物が食べたいのぅ。桃ってあったか?」
「翠竜国産でよければ、持って来ていますよ」
「食べる!」
リーズの言葉に勢いよく被せるシュエ。
彼は肩をすくめて、緑牡丹茶を取り出したときと同じように人差し指と親指で輪を作り、淡く白い光から桃を取り出した。
「切ってきます」
「任せた!」
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