海の近くの街で ☆6☆
リーズは足を止め、シュエの手を離すと代わりに抱き上げた。左腕に乗せるようにしっかりと。
「あそこです。見えますか?」
右手の人差し指を建物。指先を追うように視線を動かし、「おおっ!」と声を弾ませた。
ここよりも高台にそびえ立つ漆黒の建物。遠くからだが、目を引く存在感がある。
「行ってみますか?」
「うむ!」
リーズに抱き上げられたまま、その建物へと歩き出した。誰もシュエやリーズのことを気にしない。
この国の各地を巡ったわけではないが、ここまで誰からも視線を向けられないことは初めてで、シュエはとても新鮮な気持ちになった。
「ここは自由な街なのかもしれんな」
「人が多いと多いだけ、様々なことが気にならなくなるのかもしれませんね」
ひとりで歩いている人もいれば、夫婦や恋人なのだろうか腕を組んで歩いている人もいる。同じ年代らしき子たちが楽しそうに会話を弾ませ、赤ん坊を抱いた母親に寄りそう父親の姿も見える。
活気のある街だとついたときから思っていたが、それ以上にこの街を歩いている人々の表情が明るいことに驚いた。
こんな街もあるのだと、目から鱗から落ちるシュエ。その様子にリーズはどこか安堵したように小さな笑みを浮かべる。
歩いているうちに目的地についた。
「おおー……」
高台にあるからか、海を見るために人が来るのだろう。確かに大きく広い海を堪能できる。きらきらと輝く波光にシュエは晴れやかな気持ちになりながら海を見つめる。
「海が見える部屋を取れると良いですね」
「うむ! 不思議じゃのぅ。海を見ていると、自身が感じていたもやもやなぞ波に攫われて消え失せるようじゃ」
リーズは言葉を紡ごうとして口を開き、閉じた。じっと海を見つめる彼女を見て、この街に行くように勧めて良かったと心から思った。
(本当、私も過保護ですね)
自分に呆れるようにゆっくりと息を吐き、建物の中に入る。中は広く、木の匂いが鼻腔をくすぐった。
「いらっしゃいませ、何名さまですか?」
「二名です。海の見える部屋は空いていますか?」
「少々お待ちください」
受付まで近付き、満面の笑みで女性に迎えられる。リーズが希望する部屋を口にすると、女性はぱらぱらと手元の手帳を捲り確認してから顔を上げる。
「空いていますよ。こちらの部屋にしますか?」
「はい、お願いします。それとお茶を淹れたいのでお湯を用意してもらいたいのですが、構いませんか?」
「もちろんでございます。こちらが鍵です。なくさないようにお気を付けください。部屋は――……」
「ありがとうございます。部屋は自分たちで向かいますので、案内はいりません。ただ、少しお願いしたいことがあるのですが」
リーズは鍵を受け取ってからふと思い出したように女性を見る。女性が首を傾げると、「恐らく今日、私たちを訪ねる人がいますので、その人は案内してください」と頼んだ。
リーズの言葉にシュエが彼の服をくいくいと軽い力で引っ張る。自分たちを訪ねる人がいるなんて、聞いてなかったからだ。
「説明はあとでします。それでは、部屋で休みましょうか」
「うーむ? まぁいいか。ちぃと眠くなってきたのぅ」
「ずっと歩き通しでしたからね」
小休憩や野宿をしてきたとはいえ、この街まで歩いてきたのだ。二週間もかけて。ようやくふかふかのベッドや温かい湯に浸かれると思うと、一気に疲れが顔を出したのだろう。
「そうじゃのー……ひと眠りしようかの」
「お茶はどうします?」
「飲んでから!」
どうしてもお茶は飲みたいらしい。リーズがくすりと笑い、シュエは上機嫌で「リーズの淹れたお茶はほっとするからのぅ」と声を弾ませていた。
「この宿屋も人気そうじゃの」
「ええ、海が見える部屋が空いていて、幸いでした」
リーズは受け取った鍵を見る。『細波(さざなみ)の間』と書かれていた。
廊下に宿屋の見取り図があり、リーズはそれをじっと見つめ、自分たちが泊まる部屋を確認してから歩き出す。
「もう覚えたのか?」
「ええ。二階のようです」
廊下の突き当りにある階段を上り、それぞれの部屋の名前を眺めるシュエ。細波の間は奥のほうにあった。
「ここですね」
「どんな部屋かのぅ?」
鍵穴に鍵を差し込み右に回す。がちゃりと音が聞こえた。鍵を抜き、静かに扉を開くと、眼前に広がる光景にシュエは思わず感嘆の息を吐いた。
「素晴らしいのぅ!」
「ええ、本当に」
部屋の中へ足を踏み入れ、リーズから降りる。部屋はそこそこに広く、ベッドがふたつあった。大きな窓からは海が見え、太陽の光できらきらと輝いていた。
シュエは窓に近付き、窓にぺたりと手をくっつけて海を眺める。
頬を上気させてじっくりと海を見つめる姿を見て、リーズは部屋の扉を閉めた。
海に夢中になっているシュエを確認してから、リーズは部屋の中を確認する。ベッドとベッドの間にチェストがあり、トイレと風呂場は別々だった。風呂場を見てみると、長身のリーズでも足を伸ばせそうな広さがあり、驚いたように目を丸くした。
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