海の近くの街で ☆5☆


「――彼らの新たな門出に、困難が立ち塞がらぬことを願おう」


 シュエが目を閉じて言葉を紡ぐ。リーズもルーランも同意するようにうなずいた。


「さて、ここの支払いはわたくしにお任せくださいね。そして、そろそろ国に戻ろうと思います。なにかありましたら、また連絡をくださいな」

「ふむ、ではお言葉に甘えることにしよう」


 祈るように目を閉じていたシュエが、ゆっくりと目を開けてルーランを見る。彼女は自分の胸元に手を当てて、にこりと微笑んでいた。


「それでは、ごきげんよう。良い旅をしてくださいね、シュエ。リーズも、シュエのことをきちんと見ているのですよ」

「ごきげんよう。また呼び出してしまうかもしれんが、そのときはよろしく頼む」

「国までお気をつけて。大丈夫だと思いますが、お強いですし」


 シュエの言葉には目元を細めて口角を上げ首を縦に動かしたが、リーズの言葉にはぺしりと彼の頭を軽く叩いた。


「余計な一言がありましてよ、リーズ。まったく」


 呆れたように肩をすくめてから、個室を出る。シュエたちもルーランに続き、彼女が会計をしている間に外に出た。


「――この街はいろんな人たちがいるようじゃの」

「港があるからでしょうね」


 そして人が多い。辺りを見渡すと、人、人、人で賑わっている。その活気にシュエは目を輝かせる。


「お腹もいっぱいになったことじゃし、街の観光と行くかの!」

「その前に宿屋を探しましょうね。落ち着ける場所は大事ですから」


 シュエとリーズが宿屋を探すように視線を巡らせていると、会計を終えたルーランが近付いてきた。


「シュエ、リーズ。わたくしはこれで失礼しますわね」

「ああ、ルーラン、ごちそうさま! とても美味じゃったぞ!」

「ごちそうさまでした、ありがとうございます」

「いいえ。……シュエ、旅ではいろいろなことがあると思いますが、あなたなら大丈夫だと信じていますわ」


 視線を合わせるように屈みこみ、シュエの肩に手を置いてルーランが鳶色の瞳に心配と信頼を滲ませながら言葉を紡ぐ。


 シュエは一瞬大きく目を見開いたが、すぐにふっと頬を緩めてルーランの頬に手を伸ばし、添えた。


「ありがとう、ルーラン。そなたの優しさ、しかと受け止めたぞ」


 ルーランは目を数回またたかせる。それから頬に添えた手を離し、きゅっと拳を作ってから自分の胸に押し付けた。彼女の優しさを、自分に沁み込ませるように。


「本当にもう、姫さまは……」


 声は少し震えていた。ルーランにとってもシュエは大切な皇女だ。彼女が傷つくことなく過ごして欲しいと願っている。


 しかし、あの村のことで自身が人間たちから『恐れられる』存在であることを知っただろう。自分にも覚えがあることだった。


 力ない者にとって、力ある者は恐怖の対象になるのだと――。


 だからこそ、人間の怯えた瞳に彼女が傷ついていないかが気がかりだったが、どうやらシュエはルーランが思っている以上に心が強いようだ。


「わらわは大丈夫じゃ。リーズもいるしの」


 ちらりと彼を見上げるシュエ。視線に気付いたのかリーズも彼女へ視線を向ける。ルーランが「ふふっ」と笑い出し、立ち上がった。そして、ふたりの顔を交互に見てから、頭を下げる。


「王宮の万屋ルーラン、また姫さまにお会いできる日を、楽しみにしております」


 そう言ってぱちんと片目を閉じるルーランに、シュエは「わらわもじゃ!」と元気よく言葉を返した。


 ルーランはそのまま国に帰るために歩き出し、その背化が見えなくなるまでシュエとリーズは彼女を見送る。やがて完全に見えなくなるとリーズの服を引っ張り、


「行こう、リーズ。宿屋で一休みしたい気分じゃ」

「……あれだけ食べましたしね」

「リーズの淹れたお茶が飲みたいのぅ」

「食後の一杯は格別ですからね」


 ぽんぽんと会話を交えながら歩き出す。宿屋を探すために。


 いろいろな人が、いろいろなことを話しているのが聞こえてくる。


「楽しそうな街じゃの」

「ここまでの賑わい、なかなか見ませんよ」

「そうなのか?」


 王宮の中で百年ほど暮らしていたシュエは、外の世界がどうなっているのか兄たちから聞いた話や、書物でしか知らない。だからこそ、このように自分の身体で経験を得るのは、好奇心を大いに刺激してくれる。


「次はどんなものを食べようかの?」

「さっき食べたばかりでしょうに」


 まだ食べるつもりですか、とリーズの視線がシュエに刺さる。それを気にせずにリーズの手を取りぎゅっと握った。


 リーズもシュエの手を握り返す。この人の多さだ。はぐれてしまったら大変だろうと考えて。


「それにしても、本当にいろんな人がいるもんじゃな。こんがり焼けている人も多い」

「体格の良い人も多いですね。力仕事が多いのでしょうか」

「村と街でこんなに違うんじゃなぁ……」


 感心したように呟くシュエに、リーズは辺りを見渡して宿屋らしき場所を見つけ、彼女に声を掛ける。


「様々な文化が混ざっているみたいですね。あちらに宿屋らしい建物がありますから、行ってみましょう」

「良い文化はじゃんじゃん取り入れるべきじゃな! ところでそれはどこじゃ?」


 リーズよりも背の低いシュエには、街を行き交う人の腰から足までしか見られない。人が多いとこういうこともあるのか、とまた新しい発見だと肩をすくめた。

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