海の近くの街で ☆3☆


 シュエが呼ぶ声が聞こえたのか、ルーランは鳶色の目を輝かせて人の隙間を縫うようにすいすいと近付いてきた。


「ようやく会えましたね、シュエ、リーズ。わたくしのほうが先についたみたいですので、シュエにぴったりな食事処を探しておきましたわ」

「食事処っ?」

「ええ。早速向かいましょう」


 すっとシュエに手を差し伸べるルーラン。彼女の手を取り、歩き出す。リーズは手に持っている空の紙皿を設置されているゴミ箱に入れてから彼女たちのあとを追った。


 ルーランが案内してくれたのは、各部屋個室の食事処だった。


「きっとシュエは気に入ると思いますわ」


 シュエに対してにこやかに言葉を掛けると、入り口の戸を開けた。すると、すぐに「いらっしゃいませー!」と明るい声が耳に届く。


「何名さまですか?」

「三名です」


 ルーランが答えると、「こちらへどうぞ!」と満開の笑顔で空いている個室に案内してくれた。


「ほほう、良い店じゃな」


 店内を見渡してシュエがぽつりと呟く。


「ありがとうございます! ぜひうちの海鮮を楽しんでいってくださいね」


 個室まで案内してくれた女性の従業員が、シュエに向けて声を弾ませながら海鮮料理を勧めた。


「では、注文が決まりましたらそちらの呼び鈴を鳴らしてください。ごゆっくりどうぞ!」


 個室の前で丁寧に頭を下げてから去って行く。リーズが個室の扉を開け、シュエが先に入った。続いてルーランが入り、最後にリーズが足を踏み入れ扉を静かに閉めた。


「これがメニューかの? お品書き、と手書きで書かれておるの」


 シュエがお品書きと書かれたものを開き、姿勢を前のめりにしながら目を通す。


 先程食べたハマグリはとても美味しかったので、ルーランが見つけたこの食事処もきっと美味しいのだろう。そう考えると早く食べたい、という思いとどれくらい食べられるか、に考えを巡らせるようになる。


「ルーランはどれがお勧めじゃ?」

「そうですね……やはり、お刺身、でしょうか」

「なんと、この街は魚を生で食べられるのか!」


 シュエはぱっと表情を明るくした。ルーランはそんなシュエの様子に「うふふ」と艶っぽく微笑みながら愛でるように目を細めていた。


「大丈夫なのですか、シュエのように幼くても」

「わさびに気をつければ大丈夫だと思うわ。あとはいくら丼とか海鮮丼も美味しいみたい」

「念願の生食……!」


 お品書きを持つ手に力が入る。じぃっと眺めて考えていると、どれも美味しそうな料理名で悩んでしまう。


「く、無限の胃袋が欲しい……!」

「きちんと自分の美味しく食べられる量を把握していて、えらいですわ、シュエ」


 ルーランに唐突に褒められてシュエは顔を上げる。


「気になるものがあれば頼んでください。半分こしましょう?」

「半分こ! いろんなものが食べられそうじゃ」


 救世主を見たような目の輝きに、リーズが「ほどほどでお願いしますね」と慌てたように声を掛ける。


 結局頼んだのはマグロ丼(大トロの入ったものと赤身のもの)とイクラ丼、浅蜊アサリニラ炒め、セロリと帆立ホタテの貝柱の焼きびたしだった。


「この街はわらわたちが暮らしている場所に似てるのぅ」

「ああ、それは港があるからでしょう。海外のものを輸入や輸出するので、文化の交流があるんですよ。わたくし、旅をしていたときは港を主に巡っていましたわ。仕入れた商品がどうやって人々に広がっていくのかを見届けておりましたの」


 ぺらぺらと早口で言葉を紡ぐルーランに、シュエはよく噛まないなと感心しながら興味深そうに聞いていた。


「シュエとこうしてゆっくりお話しするのは何年ぶりでしょう。まだこんなに小さい頃にお会いして、陛下と皇后の血を良く引き継いだ子だと思ったのですよ。それなのに兄さまったら、なかなかシュエに会わせてくださらないのだもの!」


 ルーランが親指と人差し指を使いシュエが小さかった頃を語る。そこまで小さいとまだ胎児では? とリーズが呆れたように息を吐いた。


「……さすがに赤ん坊でももっと大きかろう」

「わたくしにはこのくらい小さくて愛らしかったとお伝えしたいのです! もちろん今も可愛らしいことには変わりませんけれど」


 頬に手を添えて微笑む姿は、自分の父である皇帝陛下に似ているな、とシュエはぼんやりと彼女を見る。


「兄さまの翠色の瞳に、皇后の濃緑の髪。兄妹のなかで一番両親の血を濃く受け継いだのではありませんか?」


 上の兄たちのことを思い浮かべてから、鏡で見る自分の姿を思い返したが、自分たちは誰が見てもわかりやすく兄妹だと考えるシュエに、リーズが怪訝けげんそうにルーランを見る。


「わらわと兄さまたちが並んでいたら、間違いなく兄妹と一発で理解されると思うんじゃが?」

「ええ、まぁ、髪の色も瞳の色も同じですからね。ですが、上三人にはない愛らしさをシュエは持っているのです。そしてその愛らしさは、皇后陛下にそっくり!」


 右頬の近くで両手を重ね、当時を思い出すようにうっとりと目を閉じるルーランに、シュエは家族の年齢を思い浮かべる。


 ルーランの言葉が移ったのか、いつも『兄上』と呼んでいたシュエが『兄さま』と口にしていた。リーズはもしもこの場にシュエの兄たちが居たら膝から崩れ落ちて歓喜の涙を流していたことだろうと想像して、その想像をかき消すように頭を左右に振った。


「そういえば、母さまのほうが年下か」

「ええ。ですからほんっとうに愛らしく見えて! わたくしも仲良くしたかったのに、兄さまに威嚇されていましたわ」


 姪が自分の妻となる人仲良くしようとしているのを、父はどんな気持ちで威嚇していたのだろうかと、シュエは頬を軽く人差し指で掻いた。


「お待たせいたしました、ご注文の品です!」


 個室の扉をノックする音と、先程個室まで案内してくれた女性の声が耳に届いた。


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