食欲はいつも旺盛 ☆5☆


 明朝。まだ日が昇らないうちにシュエとリーズは起き出した。ぐーっと腕を上に伸ばし深呼吸を数回。


 シュエは持ち歩いていた荷物の中からひとつの箱を取り出す。蓋を開け、旅立つ前に父から渡された辰砂のブレスレットを右手首につけ、リーズに視線を移す。


「では、くか」

「はい、姫さま」


 窓からこっそりと外に出る。時明かりの空を見上げ、シュエは目を細めた。トットット、と軽い足音を立て、山へと走る。まだ町民たちは寝ているようで、しんと静まり返っていた。


「――さて、どこにいるかのぅ?」


 山の中腹まで行き辺りを見渡す。山は山菜がたくさんあり、少し羨ましく思いながらも、悪鬼あっきを見つけるほうが先だと神経を集中させる。


 耳を澄ませ、赤ん坊の泣き声が聞こえないか確かめる。しかし、なかなか聞こえてはこない。


「……ァ」


 かすかな声を拾い、シュエは声の方向に顔を向けた。


「聞こえた、あっちじゃ」


 こそっと小声で呟くと、リーズが心得たとばかりにうなずき、シュエを抱き上げて駆け出す。赤ん坊の泣き声が徐々にはっきりと聞こえるようになり、リーズは足を止めた。


「――いました」


 リーズの視界に悪鬼が入る。小声で呟き、シュエがうなずいたのを見て、彼女を下ろした。


 木陰からこっそりと悪鬼を見やる。牛のような大きさ、赤い身、人面、馬足。――窫窳あつゆだ。


「ビンゴじゃな」

「そのようです。さて、どうします?」

「もちろん、悪鬼退治をするに決まっておろう」


 シュエは輪を作るように両手を合わせると、輪の中心がぽう、と淡い光を放つ。その光が段々と小さくなり、彼女の手には剣が握られていた。竜人族の国で使っていた愛刀だ。


「さて、朝飯前に運動じゃ。合わせるぞ、リーズ」

「かしこまりました、姫さま」


 リーズも愛刀を手にし、窫窳の様子を窺う。ぐっと柄を持つ手に力が入る。シュエがちらりと彼を見ると、口の動きだけで「くぞ」と不敵に微笑む。シュエが先に地を蹴る。勢いよく飛び出した彼女に、窫窳が気付き『獲物だ』とばかりに口を大きく開けた。


 リーズも駆け出し、彼女と交差するように逆の位置へ向かい、シュエが「合わせよ!」と叫ぶ声とともに、窫窳に斬りかかる。


 窫窳の身体が斬られ、ホロホロと崩れ黒いもやが天に昇っていくのを見て、シュエが「これで良し!」と胸を張った。


「お怪我はありませんか?」

「ない。宿屋へ戻るぞ、リーズ。一仕事終えてからのご飯じゃから、さぞかし美味かろう!」

「……本当、どんなときも食欲だけはいつも通りですね」

「うむ、まぁ、倒したのはこの一匹だけじゃが、しばらく被害は出ないじゃろ。たぶん」


 窫窳の姿は消え、愛刀についた血を拭う。


 パッと手を離すと、愛刀は元の場所に戻った。


「おお、見よ、リーズ。旭光きょっこうじゃ」


 眩しそうに目元を細め顔を出す太陽の光を指すシュエに、リーズはふっと表情を和らげ自身の愛刀をしまい、彼女をひょいと抱き上げた。


「では、宿屋に戻ります。この時間帯ならまだ、人々も起きていないでしょうから」

「頼んだ」


 リーズは軽やかな足取りで山を駆ける。来た道は覚えていたので、思っていた以上に早く宿屋についた。窓から抜け出たので、窓から部屋に戻り、シュエを下ろした。


 シュエは敷きっぱなしになっていた布団に潜り込む。


「ふわぁ、朝食の時間までちっと休むぞ……」

「いつもより少し早起きしましたからね」


 ごろんと横になって目を閉じるシュエに、ちらりと窓の外に視線を向けてから彼女に声を掛けるリーズ。返事はなく、すうすうと寝息が聞こえ、静かに窓を閉めた。


 それから二時間ほど経過し、朝食が運ばれてきた。その匂いにつられるようにシュエががばっと起き上がった。あまりの勢いに、リーズが目を丸くして彼女を見た。


「……本当、こういうときは素早く起きるんですから」

「食事は人の基本じゃぞ!」

「一応お聞きしますが、今すぐ食べられますか?」

「もちろんじゃっ!」


 シュエは布団から抜け出して、うきうきとした表情を浮かべて料理を眺めた。


「おお、美味しそうじゃの」


 声を弾ませるシュエに、リーズは「そうですね」と言葉をこぼしてから席につく。


「おお、山菜。ちょうど食べたかったんじゃ」

「良いタイミングでしたね」


 リーズと一緒に朝食を食べる。白米のお粥、昆布と鰹節の佃煮、冷奴などなどが並んでいた。なんと朝から牛肉が出て来て、シュエのテンションは高くなった。


「やはりここの特産品は牛肉なのでは?」

「かもしれませんねぇ」


 ちなみに山菜はうるいの小鉢だった。うるいと辛子味噌、ほんの少し酢が入っているのか、後味はスッキリしている。


からくありませんか?」

「このくらいなら平気じゃよ」


 美味しそうに朝食を食べるシュエに、リーズはホッとしたように胸を撫でおろした。


「昆布と鰹節の佃煮、お粥に合うのぅ」

「ダシガラですかね?」

「食材を余すことなく使う、美食のかがみじゃな」

「まさか山に近い町で食べられるとは」


 リーズはこの町の周辺を思い返しながら、しみじみと呟いた。


「乾物のありがたみよ……」


 山に近い町だから、海のものを扱う行商人が昆布や鰹節など乾き物を売っているのだろうと考え、最初に干そうと思った人すごいな、とシュエは佃煮をお粥に乗せて一緒に食べた。


 薄く切られた牛肉は甘辛く味付けされていて、思わず頬が緩む。


 たっぷりと朝食を平らげ、少し休憩してから宿屋を出ることにした。


「そんなに食べて、苦しくありませんか?」

「うむ、わらわの胃腸は丈夫なんじゃ。それに、いつでも食欲旺盛じゃからの!」

「ええ、それは……昔からでしょう」


 リーズが肩をすくめるのを見て、シュエはくふふと満足げに笑った。

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