食欲はいつも旺盛 ☆4☆

「赤ん坊の泣き声がしても、不要に近付いてはいかんよ」

「そうなのかい?」

「そうじゃ。窫窳あつゆは赤ん坊の泣き声で人間獲物をおびき寄せ、油断させてぱくーっと喰らいつくんじゃ!」

「お嬢ちゃん、詳しいねぇ。気をつけることにするよ」


 老婦人は目を丸くしてシュエの話を聞いていた。それから話題を変える。


 世間話をして、次の目的地を決めた。リーズにはお風呂から上がって一息ついてから離すことにして、ざばりと立ち上がった。


「ふぅっ、わらわは温まったから、そろそろ上がるが、そなたはどうするんじゃ?」

「私はまだいるよ」

「のぼせぬように気をつけるんじゃよ」

「ふふ、ありがとうね、お嬢ちゃん」


 彼女と別れ、脱衣所に向かい。服を着替えてからあることに気付いて、ハッと顔を上げる。


 しまった、露天風呂に入っていない! ――と。


 一度服を着てしまえば、もう脱ぎたくない。仕方ないかとシュエは肩をすくめて部屋まで歩いた。


「上がったぞ!」

「では、髪を乾かしましょうね」


 部屋の扉を勢いよく開けて、リーズに声をかける。


 彼はふかふかのタオルを持って近付いてきた。


 部屋に入るなり、シュエの髪をタオルで拭き、髪を乾かす。


「……相変わらずマメなヤツじゃの」

「姫さまが風邪をひいてはいけませんから」


 ぽんぽんと優しくタオルに水分を吸わせる。シュエの髪は、いつもリーズに任せていた。


 もちろん、自分で乾かすこともできるのだが、なぜか彼に任せたほうが髪に艶が出るからだ。


「甲斐甲斐しいのぅ」

「それが仕事ですしね」


 幼い頃からこんな感じで過ごしていたので、シュエの中で一番信用と信頼ができる相手でもある。


 家族はシュエのことをたくさん可愛がってくれたが、目に入れても痛くないというほどの溺愛ぶりだったので、彼女がにをするにしても心配し、手を出そうとした。


 それをいさめたのは普段からそばにいたリーズだ。家族はそれから、ほんの少しだけ、シュエのことを黙って見守ってくれるようになった。


 料理に関しても最初は大変だったな、と過去を思い出してくふくふと変な笑い声を上げる。


「……なんですか、いきなり笑って」

「いや、最初の料理のことを思い出したんじゃ」


 包丁を持つのも、火を扱うのも初めてのことだったから、家族全員が固唾を飲みながら彼女の挑戦を見守っていた。


 初めてだったが、料理長のアドバイスが的確で、初めてとは思えないほどに美味しいものが出来上がった。


「ああ、大変でしたね。姫さまの作ったキャベツ炒めを陛下たちがこぞって食べようとして」


 リーズも思い出したのか、ぽんぽんと髪の水分をタオルに含ませていた手を止め、しみじみと言葉を紡ぐ。


 確かに、大変だった。


 家族がこぞってシュエの作った料理を食べようと箸を持って近付き、あっという間になくなった。あまりにも一瞬の出来事で、作った本人が一口も食べられなかったということがあり、シュエは大きく息を吐く。


「わらわは一口も食えなかったんじゃ。悔しい」


 思い出して悔しくなり、シュエは口を尖らせた。


「……その日の深夜に、作り直していたでしょう」


「うむ。しかし、あのキャベツ炒めがわらわの初料理じゃったんじゃ。まぁ、作り直したものは食べられたからの。それにあれはうまかった。キャベツとショウガの炒め物、また食べたいのぅ……」


 作り方は簡単だった。キャベツを大きめに切り、油でいためる。ショウガは少量をみじん切りにした。包丁を持つ手が少し震えていたのは内緒だ。


 料理長はハラハラと心配そうに、シュエを見守ってくれていた。


 片栗粉小さじ二分の一を、水大さじ二で溶き、炒めたキャベツを取り出し、溶いた片栗粉、塩、みじん切りにしたショウガを入れてとろみがつくまで熱し、キャベツを戻す。


 よく絡めて完成だ。


「本当は花椒を使うレシピだったんじゃ。でも、まだ味覚が受け付けないだろうと、それを外したものになったのじゃよ。じゃから、今度はそのレシピで試したいんじゃ!」

「姫さまにはまだ早くありませんか?」

「なぜに!」

「花椒って舌が痺れますから」


 百歳とはいえ、人間でいえばまだ十歳のシュエには早いとリーズは声をかけ、再びぽんぽんと髪の水分を拭き取る作業に戻る。


「むぅ。わらわの下は大丈夫だと思うんじゃが? コショウだって平気じゃし!」

「コショウとはまた違いますよ?」

「知っておるわ」


 シュエは唇を尖らせたまま答えた。その様子を見て、リーズは眉を下げる。


「せめてあと二十年待ちましょうね。小児は控えたほうがよいですから」

「生では毒があるって本当かのぅ? というか、百歳のわらわを小児扱いか!?」


 ぐいんっとリーズを振り返ると、彼はきょとんとした表情で「なにを当たり前のことを言っているんですか?」とばかりに彼女に視線を注ぐ。


 その瞳は本気でそう思っているようで、シュエはがくりと肩を落とす。


「花椒は熱すれば毒は消えますからね。それでも小児や妊婦は避けたほうがいいらしですよ」

「おぬしも詳しくなったもんじゃの?」

「どこかの姫さまが食にうるさいもので、調べる癖がついたんですよ」


 はい、終わりましたよ。とタオルを離す。しっかりと髪の水分を拭き取ったタオルはぐっしょりと濡れていて、それを洗うためにリーズが立ち上がった。


「それでは、私はお風呂にいきますね。姫さまは先に休んでいてください」

「うむ、そうしよう。……ああ、そうじゃ、リーズよ。明朝、山へいくぞ」

「明朝、ですか?」


窫窳あつゆがいるかもしれん。他の悪鬼あっきかもしれんがの」


 シュエの言葉を聞いて、リーズは淡々とした口調で「それはまた、運のない悪鬼ですねぇ」と呆れたように肩をすくめ、リーズは自身のお風呂道具を手にすると部屋から出ていく。


 ふわぁ、と大きな欠伸をしてから、用意された布団へ潜り込む。


 布団に入って目を閉じ、三秒もしないうちにシュエは眠りに落ちた。

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