第27話 病院

 この社員四万人の大企業には本社の中に病院がある。

 この病院のメリットは就業時間中に診察を受けることができることである。

 ここの歯科は二年先まで予約が入っているという話だ。虫歯を二年間も我慢できる馬鹿が存在するとは驚いた。

 咳が止まらないので一度だけ会社病院の内科を受けたことがある。

 レントゲン写真を見ながら医者は一言。

「胸に黒い影が映っていますが、まあ大丈夫でしょう」

 いったい何が大丈夫なんだ?

 あくまでも社員を休ませる気はないらしい。企業医なんてそんなものだ。



「その仕事、締め切りが二週間先だができるか?」

 H先輩が尋ねる。

 先にH先輩が作り上げたのがH社の画像チップを使ったパソコン用拡張グラフィックボードだ。これの画面サイズ変更版が私の仕事だ。

 ソフト工学専門の私にはハードは未知数だが、先輩の助けがあれば何とかなるだろうと考えた。

「はい、わかりました」

「頼んだぞ。俺は咳が止まらないので病院行ってくる」

 H先輩が宣言した。バスで本社に行って病院にかかりそのまま入院した。

 肺炎であった。


 ハシゴをかけて人が登ったところでハシゴを外す。意図したことではないが、状況は同じだ。

 その日から徹夜が始まった。他の先輩は日本各地の工場に出張で送り込まれているので誰にも相談ができない。

 技術雑誌を読み一からハードを勉強する。

 同時に回路を描き、基板を組始める。チップを集めコネクタを埋め込みラッピングで配線を繋ぐ。今までに聞きかじったことに従い、コンデンサを入れ、足りない駆動容量をバッファLSIで補う。

 手探りの作成。一日徹夜して帰って8時間寝て、また次の日は徹夜だ。それを延々と繰り返す。

 10日後、基板が出来上がった。電源を入れてすぐに切り、基板表面のチップをぺたぺたと触る。特に発熱しているものは無し。つまり逆差しは無い。

 よろしい、ならば通電だ。

 何も映像は映らない。

 回路が間違っているのか?

 作り付けが間違っているのか?

 チップが故障しているのか?

 私が呪われているのか?

 皆目見当がつかない。また技術雑誌とにらめっこした。

 習ったばかりのオシロを使う。メモリチップへの内部信号が出ていない。

 先輩の回路ともにらめっこをする。ここの抵抗はどうして入っている?

 オープンドレイン? そりゃ何だ?

 事務室を走り回り、ようやく見つけた一人の先輩に訊いてみる。

 なるほどCMOS駆動とオープンドレイン駆動があり、オープンドレインはH側に抵抗を使ってプルアップしないといけないのか。

 初歩の初歩だが、この時点ではまったくの初心者であることを思い出してほしい。

 色々直してようやく映像が出た。


 すでに開始より12日、世間はゴールデンウィークに入っていた。

 休みとは休日出勤するためにある。先輩の言葉に従いもちろん出勤する。

 事務室のど真ん中では管理職勢ぞろいで会議している。

 上も頑張っているのだ。下も頑張らなくては。そう思い、疲労とストレスで倒れそうな体に鞭打つ。


 作業開始より二週間目。ついに完成した。

 ハード一式に、制御ソフトもつけて、マニュアルも書き上げる。締め切りに間に合ったのだ。

 H先輩はまだ入院中だ。代わりにM課長の下に行き、試験機ができたので見て欲しいと報告する。

 M課長は困ったような顔をした。

「その仕事、休み中の会議でボツになったから」

 ・・ああ、それで管理職たちは休日にも関わらず会議をしていたのか。あれはこの仕事をボツにするための会議だったのか。

 この二週間の仕事は通常80時間+残業80時間。それが全部無駄となった。


 その後一週間してH先輩が退院してくると、誰がこんなに残業して良いと言ったのかとさらに怒られた。

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