第25話 開発部の日常

 H先輩の下につくことになった。

 OJT(OntheJobTraning)、仕事を通じての訓練などと立派な名前がついているが、ようはぶっつけ本番の徒弟制度である。

 このへんはただのヒノキの棒にエクスカリバーと名前をつけるようなもので、傍目には立派な理論のように見える。

 新しい流行なんて大概がそんなものだ。


 私はソフト工学が専門だったのだが、この時代電子技術者は少ない。だから徹底的に人が足りないハード部隊に回されたのだ。

 このH先輩は凄い技術者だった。

 陽気でいつも楽しいことを求めている上に、威張るところも欠片もない、実に気さくな人だった。これはこの会社であった唯一の幸運だと私は思っている。


 実験ボード上にチップを配置していき、回路図を見ながらラッピングという手法で各チップ間を配線で繋いでいく。接続が終わったらチェッカーという器具で配線ミスを調べる。

 チップの背中にセラミックコンデンサをハンダ付けして終わりである。

 一枚ラッピングを終えるのに三日は集中して作業することになる。椅子の周囲には配線クズがうず高く積もる。

 ブラ先輩がニコニコ顔でこの配線クズの山を掘りに来る。まるでどこかの野良犬だなと思う。何も仕事をしないのでこうでもしないと暇が潰せないらしい。


「H先輩できました」

「おう、できたか」

 H先輩は回路に手早く安定化電源をつなぐ。

 これで映像信号が出て来るはずなのだがモニタには何も映らない。

「おかしいな」

 H先輩は電源を切ると、基板表面をペタペタと触る。

 原始的に見えるかも知れないがハード屋のごく普通の検査法である。配線を間違えたチップがあるとその背中がほんのりと暖かくなるのでこれで判るのだ。


 ジュウウゥと音がした。

「あ、あ、あちゃ!」

 H先輩が慌てて手を放す。

 その小指の腹が見る見る内に火ぶくれになる。


 後で判明したが、映像信号を作るはずのDA変換チップが、私のミスでAD変換チップが嵌っていたのだ。この2種のチップは兄弟チップで表面に刻まれているチップ番号が1だけ違う。


 このようにハードの開発は火傷の危険があるヘビーなものである。

 ・・・ごめんなさい。



 誤挿入したチップは電気・熱破壊されている可能性があるので、きっぱりと捨てなくてはいけない。

 DA変換チップは貴重品で在庫がないため、発注する必要が出た。

 当然発注作業はミスの原因である私の仕事である。

 発注伝票を出すと、次の日、本社の購買課から電話が来た。

「この発注伝票ですがそちらの部署大忙しなんですよね? これもお急ぎですか?」

「そこまで急いでいません。二三日の内に届けば大丈夫です」


 物知らずだった。発注からモノが手に入るまで最短でも一カ月はかかるのが常なのだ。大企業の中は官僚主義で満ちている。どんな少量の発注でも相見積もりを取って安い方を選べなどとやるのだから遅くなるのも当然だ。たかが全部で一万円もしないものをすべて相見積もりされるのだから販売側としては堪ったものではない。

 いずれ大口発注に化けるかもしれないという思いだけで販売側はこれに対応することになる。

 結局この購買部の人は私に馬鹿にされたと思ったのだろう。イヤガラセをされた。

 つまりは発注伝票を行方不明にされたのだ。

 実はこの後、色々事件があり、この実験基板は放棄された。そのためDA変換チップのことは忘れ去られた。


 二年後、購買課から電話が掛かって来た。購入伝票が出てきたのだが日付が二年前なのでこのまま破棄してよいかというものだった。

 こうしてイヤガラセは不発に終わった。

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