第24話 非常識

「借りていた本を返すよ」

 同期入社のH氏が半年前に持って行った技術雑誌を返しに来た。

「それでね、物は相談なんだが、これ良い本だから買取りたいんだ」

 ああ、いいよ。新品の本だったのだがもうボロボロだしな。

「そこで相談なんだが、この本ボロボロじゃない。だから半額にしないか?」


 その本をボロボロにしたのはお前じゃろが。腹が立ったがそれで売った。人の手垢のついた本など触りたくもないからだ。

 本人は自分の口のうまさでお金が浮いたと喜んでいるのがその表情で判る。

 H氏はこういう非常識な考えを平気でする人間だった。


 盆休みに皆で故郷に帰るために、四人で待ち合わせて新幹線にまとまって乗った。

 民族大移動の時期の新幹線は乗車率250%。故郷までは2時間半を満員での立ちっぱなしは余りにも辛いので、2時間駅で並んで座席を確保した。

 四人掛けの席に仲間四人で座ると通路まで一杯の満員の中でH氏が叫び始めた。

「ほらあそこ見ろ。みんな立っているぞ。俺たちは座っている。ざまあ見ろ!」

 馬鹿か、こいつは。残り三人が呆れた。案の定、見知らぬおじさんに君たち少しは周りのことも考えろと注意された。

 すみません、僕たち、こいつとは赤の他人です。H氏を除く全員が椅子の上で小さくなった。二度とこいつとは帰郷しないと皆で誓う。


 深夜、会社の見廻りのおじさんが腰を抜かす。

 実験室のテーブルの上で火が燃えているのだ。H氏の実験器具から出火したのだ。

 このボヤ騒ぎは2回あり、どちらもH氏の仕業であった。


 彼はまったく協調性が無いので一人での作業に回された。

 彼だけ先輩につかされずに一人作業になったのは、靴下課長相手に「てめえ、この靴下。俺が出世したらお前なんかクビだぞ!」などと凄んでいたからかもしれない。

 ある日、見慣れぬ他社の営業マンが二人ほど彼を訪ねて来た。

 特殊コンデンサを作っている会社だ。

 彼らを呼んだのはH氏であり、作成中の携帯用プリンタのための特殊コンデンサを注文しようとしていたのだ。

 目的は20秒が測れるCR積分回路を作ることである。

 電子回路をかじった者ならわかるがこれだけの長さの時間を測るのにCR積分回路を使う馬鹿はいない。だがH氏はそれをやった。

 そのために必要になったのがF(ファラッド)クラスコンデンサである。

 Fは電荷の容量単位である。通常電子回路に用いられるコンデンサの単位はPF(ピコファラッド 1000000000分の1)かMF(マイクロファラッド 1000000分の1)である。

 1Fのコンデンサというのは人体の30%を電気分解できるだけの容量なので、普通は使わない。だから特殊コンデンサと言われる。

 H氏がやろうとしていたのは例えるならば1年がそのまま計測できる砂時計を作ろうとしていたのに等しい。

 驚くばかりに非常識なのである。


 当然H氏はその難のある性格もあり同期の仲間からは限りなく白い目で見られていた。

 それに対して彼は常にこう言い返していた。

「君たち。僕の才能に嫉妬するのは分かるよ」

 でも誰もが知っていた。冗談ごかしていうこれが彼の本音なのだと。



 本当の意味で非常識だったのは彼ではなくて、この会社であった。

 彼はいまこの大企業の中で事業部長をやっている。

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