第13話 渡る世間は

「皆さんに聞いて欲しいことがあります」

 朝礼でY先輩が注意した。

「修理中のパソコン基板が五枚足りません。これはお客様から修理のために預かっている基板です。持って行った人は返してください」

 実験室に置いてある機材は計測器も基板もコンピュータチップもすぐに盗まれる。

 渡る世間は泥棒ばかりである。



 当時の私はAPPLE2というパソコンを使っていた。奨学金とバイトで買ったパソコンで一台40万円した。素晴らしいパソコンだったが、それでも長く使っていると色々と故障した部分が出てくる。

 実験室の片隅に壊れた同型機があったのでN課長に聞いてみるとすでに破棄処分らしいので持っていって良いとのこと。これで修理用のパーツ取りができる。

 それをどこかで見ていた人がいたのだろう。その日の午後、まだ動いてるもう一台のAPPLE2が実験室から消えた。あいつが貰えるなら自分もとの感覚なのだろう。

 実にさもしい。泥棒をする人間などこういうものである。他人が得をしたとみると、自分も何とか得をしようとする。もし盗みの現場を見つかったら、あいつも盗んだと指させば何とかなると考えているに違いない。

 故障した方のAPPLE2はそのままそっと返した。同じ人間に見られるのが嫌だったからだ。



 今度は実験室からボールプリンタが消えた。

 ボールプリンタというのは丸い金属ボールを回転させて刻印させる旧方式のプリンタであり、とにかくでかくて煩くて重い。この後にインクジェット方式が開発されて、プリンタは劇的に軽く小さくなった。だがこのときはまだこのクソでかプリンタは現役の時代であった。

 こいつの稼働時の騒音はもの凄い。重い金属ボールを電動で回転させ、それを高速で印刷用紙に叩きつけるのである。実際に工事現場の削岩機なみの騒音が出るプリンターであった。

 凄まじい音がいきなりするのですわ何事かと思ってみると、プリンタが印刷を行っているのである。実にシュールな光景と言える。

 このプリンタ、重量は一台で四十キロはある。これがまるごと消えたのだ。

 無断欠勤がひどい先輩を心配して課長がその部屋を訪れた。長い間会社に出てこない何かあったのではないかと大家さんに話して部屋に入れてもらう。先輩は留守だったが、その部屋にボールプリンタがあった。これは本来は個人宅にあるべきプリンタではない。個人宅では印刷速度は遅いがドットインパクトプリンタが普通である。こいつも音は煩いがまだ耐えられる騒音なのだ。

 あまりにも奇妙なため課長はプリンタのシリアル番号を控えた。会社に帰って調べてみると、それは盗まれたボールプリンタの番号と一致した。

 きっと会社が休みの日に軽トラックで来て運び出したのだろう。



 部署の業務が別の部署に移管された。

 たちまちにして元の実験室から安定化電源が何本も消え去った。犯人は不明だが、機材が用済みになったと見てから盗むのはまだ良心がある。牛の糞にも段々ということわざ通りだ。


 業務の移管先に同じく移籍したY先輩が呆れていた。

「いや~。ひどいものだね。あいつら盗みまくるんだ」

 業務はパソコンの製造である。当然ながら実験室には購入したての新品のパソコンが積みあがっている。移管先の社員たちは新品のパソコンをそのままゴミ捨て場に運び、会社の帰りに車を回して積んで帰るのだ。

 立派な窃盗である。

 移管先の本体事業部はこの会社でもトップの部門なのだが、中で働く人間の質の低さは変わらないらしい。


 一流企業の社員にしてからがこの泥棒ぶり。

 渡る世間は泥棒ばかりである。

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