第12話 陸ボラ
ハンダ槽に火を入れ温めているとボラ先輩がやって来た。溶けかけているハンダのプールに周囲に散らばっているハンダ屑を投げ入れて溶けるのを見て楽しんでいる。
ハンダというのは錫と鉛の合金であり、ハンダ槽とはこのハンダを熔かして溜める電気炉の一種である。電子基板をこれに数秒つけると電子チップの足に使っているハンダが熔けて電子チップが簡単に外れるという仕組みだ。少しでも手加減を間違えると基板が丸ごと焼けてしまうという楽しい機械でもある。
ハンダ槽の中でハンダが完全に溶けると、熱による体積膨張で容器の縁すれすれにまで溶けた金属が盛り上がる。余分なハンダを入れると最後にはそれが全部吹きこぼれて熱いハンダが机に広がることになる。
「お前な。それ止めろと言っているだろう」
迷惑そうな口調で一緒に仕事をしていたW先輩が抗議する。
「だって面白いじゃないか」ボラ先輩が答える。
そう言いながらもクズハンダを入れるのは止めない。
「面白いのはお前だけだ」
W先輩がボラ先輩を睨む。
やはり吹きこぼれた。
「まったくもう」
W先輩が怒ってボラ先輩を追い払った。
ボラ先輩は他の人が仕事をしている実験室の別の机に移り、何か暇潰しができることがないかと眺めている。
実を言えばこの先輩が仕事をしているところをただの一度も見たことがない。新人に仕事を教えているところもだ。
こちらの机で暇を潰し、あちらの机で暇を潰す。それで一日を過ごしている。
「君、こっちへ来るの止めてくれないかな。君がいると僕まで仕事をサボっていると思われるんだよ」
今度はS先輩が抗議して、ボラ先輩を追い払う。
それでもボラ先輩は首にはならない。部下が働かないとなれば課長の成績に響くので、他のできる部下の業績をボラ先輩の手柄になるように課長が操作しているからだ。結果として、頑張る部下の業績はボラ先輩に食われて無かったことになる。
陸ボラは静かに静かに、所属する仲間の血をすする。
それから十数年が過ぎた。風の噂にボラ先輩の話を聞いた。
会社側に罠にかけられて横領を行ったとして降格されたらしい。
この会社では出張の際には宿泊費として一万円が支給される。それより多くかかっても増額されない代わりに、少なく上げれば差額はそのまま貰える。
昔からそういう慣習なのだ。それがもう何十年も続いている。
それを突かれたらしい。差額を懐に入れたのを横領として指摘されたのだ。
これは会社の罠であった。前からボラ先輩が働かないのを監視していたらしく、いよいよ会社を自主的に辞めさせるためにこれまで突いてこなかった重箱の隅をつつき始めたということらしい。
これを聞いたときにジンベエザメを連想した。
ジンベエザメはプランクトンをエサとする巨大なサメである。その体の周囲には避難所を求めて多くの小魚がついて回る。だがときどきジンベエザメは体を振り、これら小魚を一網打尽に食い荒らすのだ。
大企業と言えども身内に潜り込むこれらサボリーマンたちをリストラしたいと常に思っているのだ。
くわばらくわばら。
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