まだまだ

 「先輩は今、ホントは俺を殴ってでもいち早く録音機を取り戻したいと思っている。違いますか?」


 「……そんなことはない。俺は俺が悪いと認めた上で謝罪をしている」


 「でも、さっき玄関で会った時の第一声は『おい』だったじゃないですか。自分が悪い事をしたと自覚をしていて、謝罪をしないといけないと思う人間が、その相手に対して第一声でそんな怖いと思わせる言葉を発するのは、いささか不思議じゃないですか?」


 これは今後音川に先輩が危害を加えないようにするための絶好のタイミング。ここで中途半端に先輩を赦しては、今後もその甘えに縋って先輩が外道の道に進むかもしれない。


 それこそ自由で好きなように生きればいいが、その外道の道の途中で音川や俺が危害を受けるのはゴメンだ。だから今ここで、最大限に抑止力を持つことにする。


 「それに先輩は音川と会った回数を記憶している。それだけ音川に対して嫉妬の念を強く抱いていたというプライドの高さを示します。謝る相手も何故か俺で音川を見ることはなく、視線もよく動いて録音機がどのポケットに入っているかの選択肢を減らそうとしているのも分かります。体格差はそんなに大きくないとはいえ、俺の痩躯を見て勝てないとも思っていないと思うからこそ現れた視線の動きですよね?昼休みに人が来たことで何もできなかったことから、こうして人目が無いとこを選んだのも、もしもの準備。話すだけなら校舎裏という表の道路から離れて玄関や教室から離れた場所じゃなくてもいい。選んだのは体育館が部活で騒がしくなるこのタイミングで声を出されても逃げやすいというもしもの準備。違いますか?」


 違わない。違ったとしても、取り返そうとしたことに間違いはないからこそ、それを否定する材料がない。適当を俺に言われても、それを絶対に否定することなんて、今の先輩には無理だ。


 「……違う。いや、たとえそうだとしても、俺はこうして穏便に済ませたいとしている。もしもだったとして、俺はお前たちに手を上げることはするつもりもない!」


 「そうですか」


 穏便に済ませたいのはこっちだが、どうやら被害者と思い始めたらしい。


 「それに、俺は確かに莉織に足をかけた。だがそれは2回だけだ。悪い事をしたとは思うが、決して償いきれない回数じゃない!それに力だって込めてない!」


 「なるほど。次はまた録音され出ることを危惧して嘘を真実にしようと頭を捻ったんですね。中々賢いですね」


 編集は可能でも、社会に出してその後編集がバレたならその時は俺がヘイトを受ける。だから出すなら今の録音を編集なしで出す。それを理解しているからこそ、録音していることを逆手にとった発言だ。


 「そう言ってるけど、ホントはどうなんだ?」


 無言で目をつぶったままの音川に問うた。


 「違うわ。いえ、でも1日2回しか、という意味なら間違いでもないわね」


 「らしいですけど?」


 「違う!合計で2回だ!」


 証拠はない。回数があったとしても証明は無理だろう。


 「それじゃ――」


 音川の左腕を掴んで、手のひらを見せるように優しく動かした。


 「――これは何でしょう」


 「……痣……だな」


 「そう。先輩がつけた痣です」


 「俺じゃないんだって!コケた時のやつだろ?俺じゃない自然な時に」


 「いや、ない」


 確実に、とは言えなくとも99%はないだろう。


 「俺はこいつの付き人です。家を出てからこの瞬間まで、トイレ以外は常に隣でした。だから分かるんです。こいつは階段を使う時、下りだけは右手を使って下りる。でも上りは使わない。左手が手すりではなく、杖を掴んでいるから。そしてコケた時やバランスを崩す時、必ず右手が先に動いて地面や壁、その他倒れないよう反射的に体は右手を先に動かしていた。食事の時も、おぼんを右手で持とうとした。そして通学は慣れた道を淡々と進んでいたから、コケるようなことは一度としてなかった。だから不思議なんです。常に左手で杖を持ち、基本何があっても動かさない左の手のひらに、不慣れだから対応の仕方が分からなくて倒れてついたような痣があるのが」


 音川と出会った日に見た左手のひらの痣。杖で隠れていたから見えにくかったが、右手に比べて明らかに大きく痛々しかった。それがこういうことかと結論付けるに十分な理由なのだ。


 長々と疑問を、先輩がつけた痣と言っているように思わせながら話すと、暫く先輩は黙った。何をどうするかの判断に再び追い込まれたのだろうか。


 そして口を開くと、意外と呆気なかった。


 「……証拠はないだろ」


 だから終わりが見えたと思った。


 「はい。ですがこれも録音していたとしたら、もう逃げ道はないと思いますよ。証拠はなくてもこの話から、先輩がしたのではないか?という考えは恐らく生まれます。証拠がなくても、人柄と発言によって簡単に人は陥れられるんですよ」


 イジメた。回数は決めていた。プライドが高い。被害者には普通じゃつかない痣がある。これらの証拠だけで十分だ。


 さてどうなるか、無言が増えた先輩の発言を待つことに飽き飽きしていると、漸く口は動いた。


 「……悪い。全部俺が悪かった。これまでのことは謝罪してもしきれないくらいだ。回数だって嘘をついた。もう俺は取り返しのつかないことをしたんだと思う。本当に申し訳ない」


 天秤にかけた、自分のプライドとこれからの処遇。僅かに処遇を重視して、今するべきその場しのぎとやらを見せてきた。そこに誠意はない。


 「これから俺はどうしたらいい?自分で罪を償って最小限の被害で抑えたいんだ。どうか、穏便に済ませてくれないか?」


 頭を下げられると、流石に感じないだけで誠意はあるのかと思う。しかし、この世界でも感じることは変わらない。その場を逃れるために、先輩は簡単に嘘の仮面を利用するのだから。


 「どうする?」


 一応音川にも聞くが、十中八九答えは赦すだろう。


 「……これから関わらないなら私は構わないわ」


 だから、性根が優しい音川とは違い、大前提として異世界として倫理観が大きくこの世界と異なる俺は、それを認めない。これは自分にとって気に食わないことを排除する意味もある。


 「だって。先輩良かったですね」


 「……いいのか?」


 「音川がそう言うので、この件は先輩が今後音川に関わらないことで解決です」


 「そうか……」


 頭を上げて、予想外にも赦されたことが安堵に繋がったようだ。少し顔が朗らかに見える。その顔、俺は結構嫌いだ。


 「さて、音川をこれからイジメないことに関する件は終わり。それで、次に音川に暴力を振るった件について話をしようか」


 何を許されたと思って安堵しているのだろうか。解決しても、赦されていないことがあるというのに。

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