第33話 放送室より

 そう強い決心はしたものの、物事というのはそう上手くはいかない。何も事が進まないまま、午前中が終わってしまった。このクラスでの三度目のお昼。本来、小学校の昼食と言えばわいわい賑やかな時間が過ぎていくものだが、ここは違う。お通夜とまではいかないが、たまにボソボソとお喋りをする声が聞こえるだけ。食器にご飯を盛り付けるカチャカチャとした音だけが目立って聞こえる。今日は給食係が一人休みなので、俺が混ざることになった。同じく給食係の苺花と一緒に大きなおかずを担当するはずなのだか、なぜだか彼女はトイレに行ったまま帰ってこない。ま、こんなの俺一人でも余裕だけど。

「俺、にんじん嫌い」

「好き嫌いはダメだぞ。給食を作ってくれている人も、みんなの栄養を考えて毎日献立を考えてるんだからな」

「えー!」

 今日の献立はみんな大好きカレーライス。クラスでも飛びぬけて運動神経のいいやんちゃ男子、瀬戸琉せとりゅうはおたまですくわれたカレーを見ながら不満をたらす。そこには、ひときわ大きなにんじんのかけらが一つ。俺は一度すくったカレーを戻すと、琉輝の耳元に顔を近づけ、小声でささやいた。

「でも、実は俺きゅうりが苦手なんだ。家ではいつも残しちまう。だから、ちっこいの一個だけ」

 そう言うと、俺は一口分もないちいさなにんじんと一緒にカレーを皿に盛りつけた。こんな事がバレたら、きっと牧野先生はとんでもない文句を言ってくることだろう。俺はあたかも自然な動きを装って、琉輝の持ったお盆の上にカレーの入ったお椀を置いた。

「ありがとう!」

 琉輝の顔が輝く。俺が笑顔で頷くと、琉輝はるんるんで自分の席へと戻って行った。その後も止まらない生徒の列。ふぅ、給食当番てこんなにも過酷だったのか。一皿一皿盛り付けるのに意外と時間がかかる。

「だから、一切れしか入っていないでしょう!!」

「!?」

 静かだった教室に、いきなり怒鳴り声が響き渡った。驚きで一瞬硬直する生徒たち。もう、なんだよ。ここはお化け屋敷かよ。毎日毎日こんなことで驚かされて。反射的に、俺も大声のした方に視線を向けた。そこには、お盆を持った一人の女子生徒と、吊り上がった目でその生徒を見る牧野先生。お盆の上には、サラダの乗ったお皿が一つ。牧野先生はそれを指さしながら、怒鳴り散らかした。

「アレルギーでもないのに食べないなんて許しません!! 好き嫌いは人間の恥ずべき行為です!!」

「で、でも……。、ワカメ食べるとおえってなるの……」

「そんな言い訳通用しません。一口くらい黙って食べなさい!!」

「ひっ」

 先生の迫力にやられ、今にも泣きだしそうな結衣。どうやらワカメが食べられないらしい。そりゃ好き嫌いがいけないって考え、分かるよ。でも、どうしても食べられないものってみんなあるだろ。

「みんなも、何ぼーっとしているの!! 実習生!! さっさとカレーを配りなさい!!」

「待てよ」

「なんですか!!」

 だんだんとヒステリック具合がひどくなってくる。お団子できっちりと結ばれていた髪が少し乱れていた。俺はお玉を置くと、戦闘態勢に突入した。

「いくらなんでも言いすぎだ。生徒のためを思っての事だろうが、もう少し言い方ってもんがあるだろ」

「まあ!! 教師に向かってなんて言葉遣い!!」

「お前がそれを言うのか? さんざん生徒の嫌がることをしていたくせに?」

「お、お前ですって!! 実習生!! 私がいつ、どこで、誰にそんな嫌がらせをしたというのですか!!」

 もうワカメのことなどどうでもいいみたいだ。興奮でだんだんと口調が荒れていく。彼女に対してもちろん怒りもあるが、だんだん見ているのが可哀そうになってきた。こいつ、いつ人生の道を踏み外したんだろう。それとも、元からこんな人間なのか。

「俺はずっと見ていたぞ。残した給食を無理やり口に突っ込ませる。問題の解けない生徒を無視する。こんなに寒いのに体育は半そで半ズボンでやれと強制させる。それから――」

 ぽんぽんと彼女のしてきたことが口から飛び出してくる。たった二日半しかこのクラスで過ごしていないのに、これだけの悪事が出て来るって、相当じゃないか? 

「ゆ、ゆ、許しません!! このことは高校側に報告させていただきます!! 今日の日誌は評価を付けません!! というかもう読みません!!」

 図星なのだろう。牧野先生は顔を真っ赤にし、一心不乱に怒鳴り散らかす。不安そうな顔で固まる生徒たち。泣き出してしまっている女子生徒もいる。言い過ぎたか。これで明日から実習停止になってしまったらどうしよう。一哉、ごめん。その時は今回の事、正直に話すから。

「もう、明日から実習に来なくてけっ――」

『はい、じゃあ立花先生のクラスはどうですか。この間喧嘩がありましたよね?』

『えー、はい。漫画を借りパクされたのが原因で……』

「なんだ?」

『なるほど。解決したのならよかった。こういう問題は親御さんがモンスターだと厄介なんですよね』

『そうですね。モンスターといえば前原まえはら先生』

『はい。夏目なつめさんのお母さん、かなりヒステリーで』

 校内放送? ドラマCDか何かか? それにしても、なんの面白味もない。やけにリアルな気もする。教室を見渡してみる、俺と同じく首を傾げ、不思議そうな顔をしている生徒一同。あれ、そういえば苺花がいない。

『大変ですねえ。俺の妻も子どもが生まれてからストレスがひどくて』

 この声。昨日俺が職員室で話した先生だ。なんであの人の声が聞こえてくるんだよ。

『まあ、私も中学生の娘が少々問題でして。あ、話が逸れてしまいましたね』

「これっ」

 牧野先生の方を見る。黒板の上に設置されたスピーカーを眺めながら、ぽかんと口を開けている。紛れもない、今喋っていたのは牧野先生だ。つまり、これは今先生たちが喋っているわけではない。録音されたもの? というか、教室外じゃこんなおしとやかな喋り方をしているんだな。まるで二重人格。よく先生たちにバレないもんだ。

「何?」

「先生たち何話してるの?」

 ざわざわと生徒たちが騒ぎ始める。そんな中でもこの不思議な放送は続いて行く。来年のクラス替えの事だったり、成績の事だったり。恐らく俺たち生徒は聞いてはいけない内容。なんでこんなものが、お昼の放送で? 教師たちによる大規模ドッキリ?

『はい、じゃあ三組は――』

 ブツッという音と共に、十分間に渡る放送がようやく終わった。その後もざわめきが止まらない教室。

「なんだったんだ」

 誰かがこの音声を流したのだろうか。だとしたら相当な問題だと思うのだが。

「ち、ちょっと私行ってきます!!」

 牧野先生がそう言い残し、教室を出て行った。生徒のざわめきがより一層強くなる。すると、先生とすれ違いで、苺花が教室の扉を開けた。一瞬で静まり返る教室。

「苺花! 今までどこ行ってたんだ!?」

「……」

 苺花は返事をしない。両手を後ろにやり、スタスタと俺の前まで歩くと、やがて足を止めた。みんなの視線が俺たちの元に集まる。ピタリと立ち止まったままの苺花。俺はそんな彼女の姿を見つめた。昨日とデジャヴ? そんなことを考えていると、苺花がゆっくりと視線を上げた。そして、昨日の夜とは違う、自信に満ち溢れた表情で俺の顔を見つめる。

「……!?」

 右手の親指を立ててグーのポーズ。それと同時にウインクも。意味が分からなかった。みんなも、苺花の取ったその行動に首をかしげている。

「ま、苺花?」

 彼女は何も言おうとしない。すると、今度はゆっくりと隠された左手を俺の前に見せつけた。その手には真っ黒の小さな物体が握られている。見覚えがある。それは、俺がずっと探していたもの。だけど見つけられなかったもの。大事な大事な、証拠。

「それ……」

「奪還、大成功!!」

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