第28話 チャンス
最悪の事態というのはいつの間にかやって来るもので、それが今日だとしても誰も文句は言えない。やっぱり、昨日の今日であのおばさんの態度は急変してしまったらしい。
「みんなの前で立たされて、次こんなことしたら全員進学させませんって。罰として宿題増やしますって」
苺花の目がだんだんと涙でにじみ始める。そうか、昨日あんなにあっさりとしていたのは俺に良い印象を残すためだったんだ。メリハリのある真面目な教師。そして苺花の言葉を信じなくさせる。してやられた。
「苺花ちゃん」
「です……」
「男子から、お前のせいって、うっ、うう……」
まだ小学生だぞ。なのに、こんなに泣かせるようなこと。あいつは自分のせいでこれだけ辛い思いをしている生徒がいるってこと、分かっているのか。いや、分かっていてわざとやっているに違いない。これは、早急になんとかしないと。
「ねえ、蒼真」
「うん?」
苺花が顔を上げる。涙のせいで鼻が少し赤くなっていた。
「蒼真は私の味方だよね? 私の事見捨てたりしないよね?」
「もちろんだ」
即答だった。俺は大きくうなずく。そんなこと、言われなくても当たり前じゃないか。
「何があっても、俺は苺花の見方だから」
「蒼真……」
ぽんっと苺花の頭を撫でる。これからまた、新しい計画を考えないといけないな。時間がない。ボイスレコーダーは没収されたままだから、これからどうしようか……。
◆◆◆
久しぶりの教卓。久しぶりの授業。たくさんの小さな視線が、俺の元に集まる。みんな初めて見る俺の姿に、ぽかんと口を開けている。一人の小太りの男子が、「お前誰ー?」と興味津々な口調で話しかけきた。
「年上の人にタメ口を使ってはいけません!! 失礼でしょう!!」
「ご、ごめんなさい……」
「……」
すごい迫力だ。一瞬でクラスが静まり返ってしまった。小太りの彼、見た目から感じる威勢とは裏腹に、泣きそうな顔で小さくしぼんでしまっている。周りにいるみんなも怖くて先生の顔が見れないようだった。さっきまで俺に集まっていた視線が、今は床に集中してしまっている。
「まあまあ、ちょっとくらい許してあげましょうよ。俺もみんなと友達になりたいし!」
「そういう問題ではありません!! 社会に出たら目上の人に敬語を使うのが常識です。あなたも、実習中は俺ではなく僕と言いなさい」
「は、はい……」
またもや静まり返る教室。数日前会った時とはまるで別人のようだ。俺もこの迫力に蹴落とされそう。
「ああ、じゃあ気を取り直して。みんな、おはよう!」
シーン。もしもこれが漫画の世界だったら、きっとこのコマのど真ん中にそんな効果音が描かれていることだろう。あまりにも居心地の悪い雰囲気に、思わず俺の笑顔も引きつってしまう。
「挨拶はっ!!」
「まーまーまーまー。俺の名前は蕪木そっ……あ、吉城一哉だ! 衣笠高校というところから来ました! 今日からよろしくな、みんな!」
なぜ俺がここであいつの名前を名乗り、こんなことをしているのか。一日前を振り返ってみよう。
◆◆◆
これは朝、学校へ向かう通学路でのこと。
「電話? 一哉からだ」
こんな時間にあいつからかかってくるなんて、珍しい。俺は赤い通話ボタンをタップし、スマホを耳に当てる。
「もしもし?」
『蒼真……風邪ひいた』
「風邪って、お前明日から実習だよな!?」
俺の学校では実習を二日間休んだら単位を落としてしまうことになっている。だからこの時期になると、みんな体調を崩さないよう気を張り始めるのだ。そのおかげで、今までほとんどの卒業生が進学することに成功している。一哉もその一人になると思っていたのだが。
『ああ、だから蒼真。俺の代わりに実習行ってくれ……』
「はあ!?」
『頼むよ。親友だろ』
これほどまでに軽い「親友だろ」を俺は人生の中で一度も言われたことがない。助けられるもんなら何とかしてあげたいが。一緒に卒業もしたいし。いや、一緒に留年するという手もありかもしれない。親友揃って留年とは、とんだ奇跡だ。
『場所は、霧立小学校。ほら、去年行った』
苺花たちの通っている学校だ。多分、俺も実習に行くことになっていたら、一哉と一緒にそこになっていたことだろう。ほとんどの生徒が去年と変わらない実習先らしいし。
待てよ、もしかしたらこれは、チャンスかもしれない。
「おい、学年は? 何組担当だ?」
『五年二組……ごほっごほっ』
ビンゴ! 二組は苺花のいるクラス。今回実習は一週間。それだけあれば、なんとかできるかもしれない。
「でかした一哉! あとは俺に任せろ!」
『ほ、本当か!? 本当にいいんだな!?』
「ああ、うまくやるぜ」
◆◆◆
というわけなのである。えーと、つまり。俺が一哉のふりをして小学校に潜入する。そして、今俺の隣に立っているパワハラおばさん、牧野先生を撃退するというわけだ。
この日の為にコスプレショップへ行って特上のカツラを買ってきた。それと、俺は肌が白めだから、愛梨に習ってファンデーションを厚塗りしてきたんだ。釣り目になるようにアイラインも引いてもらった。さすが、普段からメイクをしている女子に従うと本当に別人のようになるな。我ながらこの変装は誰にもバレない自信があるぞ。
「よろしく……」
「よろしくお願い、します……」
小さな複数人の返事と共に、まばらな拍手が起こる。なんとも気まずい雰囲気。一哉ならどうしていただろうか。
教室全体を見回してみる。窓側から二列目の、五番目の席。苺花が座っている。俺がそっちを見ると、目が合った。周りに気づかれないよう視線で挨拶を交わす俺たち。俺の正体がバレれば、この作戦は失敗する。なにより一哉の留年もかかっているからな。慎重に動かなくてはならない。
「では授業を始めましょう。吉城くんは後ろで見ていてくださいね」
「はーい」
「はいを伸ばさない!!」
「はい!」
はあ、疲れる。マナー教室にでも通っている気分だ。俺は重たい足取りで後ろのロッカーの前へ向かった。それを確かめると、厳しい顔で授業を始める牧野先生。
こうして、俺の隠れ実習生活が幕を下ろしたのだった。
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