第9話 過去
校長室というのは何度来ても慣れない。職員室とはまた違った緊張感。無意識に背筋を伸ばしてしまう自分がいる。柚葉の担任であり四年生の学年主任の佐(さ)羽田(わだ)先生と校長と話をしてきたが、二人とも初めて話すだけあってかなり緊張してしまった。佐羽田先生、美人だったなあ。しかも巨乳だし。
「また会いてえな」
その時はぜひデートにでも。っていかんいかん。何変な妄想してんだよ俺。デートがきっかけで散々な目にあったばかりじゃないか。昨日の今日でもう忘れたのか。
「って、あれ」
時刻は午後三時。ここではもう掃除の時間だというのに、近くの教室から授業をしている先生の声が聞こえる。国語の時間だろうか。女の子が教科書を音読しているみたいだ。
なんとなく、俺はその教室に近づいてみた。後ろのドアからそっと中を覗く。教師を目指しているわけだし、見学も兼ねて……。
「え……」
そこで授業を受けていたのは意外な人物だった。というより、俺が知っている人物。
「桃音……?」
彼女が一人、先生と一対一で授業を受けていた。なんで桃音がここにいるんだ。他に生徒は見当たらないし。もしかして、ここの小学校って三年生は桃音一人しか存在しないのか……! いやいやそんなわけ。どっかのギャグ漫画か! 去年の教育実習で二年生のクラスに見学に行った時、ちゃんと三十人くらいいたし。桃音以外退学したなんてことはありえないし。
「あ……」
俺の声に気づいた桃音が、教科書を音読するのをやめてこちらを振り向いた。いつも通り眠たそうな目で、俺の方を見つめる。
「カブ……」
黒板に板書していた先生も、桃音の違和感に気づいて振り返る。「まあ」と驚いた声を上げて、チョークを置いた。
「あ、すいません」
俺は慌てて教室から後ずさった。バレてしまった。怒られる。今度は小学生の教室を盗撮する不審者としてみんなから罵られてしまう。逃げないと。
「待って!」
「はいっ!」
しまった。反射的に返事をしてしまった。今ならまだ誤魔化せそうだったのに。
「ごめんなさい、ごめんなさい。盗撮なんてしてません! 俺はただ見学をしようと―—」
恐る恐る目を開ける。きっとさっきの先生が角を立てて仁王立ちしていることだろう。だって、俺この小学校で不審者として知れ渡っているって聞いたし。佐羽田先生も、俺の事をよく思っていない先生は少なからずいるって言ってたし。
「って、桃音!」
前を見ると、そこにいたのは先生、ではなく桃音だった。いつになく目を見開いて、驚いた表情で。
「……なんでここに……いるの」
後ろの方で、俺たちの様子を見守る先生の姿が見えた。不安そうな表情を浮かべているが、別に不審者を見ているような目ではない。今まで散々変態扱いされてきたから分かる。温厚そうな先生で、良かった。
◆◆◆
「特別教室?」
夕方、寮までの道を桃音と二人で歩く。そろそろ日が沈み始める頃。公園の前を通ると、男子小学生たちがサッカーをして遊んでいた。一番背の高い、赤い半袖の子がドリブルをしながら、次々に周りの子を追い越していく。多分サッカー経験者かな。俺にもあんな頃があったな。懐かしい。
「うん……黙ってて……ごめん」
俺は桃音の歩くペースに合わせてゆっくりと歩を進めた。彼女のランドセルに付いたうさぎのぬいぐるみが、一歩進むたびにゆらゆらと揺れる。
「謝ることじゃねえよ。まあびっくりはしたけど……」
どうりで午後授業はおかしいと思った。これでようやく納得がいく。でも、なんで特別教室通いなどしているのだろう。確かに桃音は大人しい性格をしているが、学校へ通えなくなるほどクラスになじめないわけでもなかろう。寮でも孤立しているわけではないし。
「……いじめ……られて……」
「……」
「学校……嫌いなの……」
そんな言葉が呟かれた。桃音の表情は変わらない。ずっと真っすぐを見つめている。少し瞼の下がった眠たそうな目で。俺に視線を向けることはなく。
「そっか……」
「……」
桃音はもう、これ以上この話をする気はなさそうだった。ロボットみたいに、真顔でただ通学路を歩いている。
そんな時だった。後ろから女子小学生たちがキャッキャウフフと楽しそうに話をする声が聞こえて来た。どうやらこれからみんなで駄菓子屋へと向かうらしい。少しすると、少女たちが俺たちを通り越した。その中に見覚えのある女子が一人紛れていた。柚葉だ。
「……あ……」
桃音が声を上げる。柚葉は気づいていないようだった。寮にいる時とは違って、楽しそうな笑顔。まるで別人のよう。
「桃音……」
いつも感情を表に出さない彼女だが、なんとなく元気がなさそうに見えた。ランドセルをぎゅっと握りしめ、その小さな手を小刻みに震わせている。何かある。推理小説で探偵が事件に違和感を感じた時のような、そんな感覚に陥った。
◆◆◆
「話ってなんなのよ」
時刻は夜九時半。俺は自分の部屋に柚葉、苺花、愛梨の三人を集めた。昨日四人とも俺の部屋まで来ていたが、こうやって俺からみんなを誘うのは初めてだった。なんだか修学旅行の夜みたいだ。
「うん、その前にまずなんで俺とそんなに距離が離れているのかな」
三人の方を見る。なぜだろう。みんな、俺から二メートルも離れた距離の場所で、ちょこんと正座をしている。昨日の一件で、みんなと距離を縮める事ができたと思っていたのに。やっぱり俺はまだ変態なままなのか。
「ほら、なんかあった時のために、ね」
苺花が苦笑いを浮かべながらそう言った。なんだろう、苺花にそんなことを言われるのが一番心にくる。油断していたら目から何かがこぼれ落ち出そう。
「蒼真、カップルでもないので別に近くにいなくても問題ないのです」
まって、少し前まで愛梨は俺にべったりだったじゃないか。確かにあんなことがあったけど、数日でこんなに距離を置かれるなんて。俺のHPがすでに半分も削れてしまったぞ。
「ま、いいよ。そんなことより、聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
苺花が首をかしげる。続けて柚葉、愛梨も不思議そうにお互いの顔を見つめ合った。そんな三人を見つめながら、俺は口を開く。
「桃音のことなんだ」
「……」
柚葉の顔が少しゆがんだ。まるで聞かれたくないことでも聞かれた時の様に。刑事ドラマでこういうシチュエーションあるよな。取り調べで不意を突かれたみたいな。これは、きっと何か知っているな。
「ほら、桃音が特別教室に通っているのは知っているか?」
「うん、知ってるけど」
「愛梨も、です」
顔を合わせる二人。だが、柚葉は口を開こうとしない。なんだか、二人も気まずそうにしている。この反応は……当たりだな。
「なんであそこに通い始めたのか知ってたら、教えて欲しいんだ」
「……」
「本人は、聞いてほしくないみたいだったから」
「……」
無言の時間が流れる。誰から話し始めればいいのか、なんだかお互いの様子を探っているみたいだった。なんだ。一体何があるというのだ。三人とも桃音と学年が違うし、直接関わっているということはなさそうなのだが……。
「知らない」
最初に口を開いたのは柚葉だった。夕方見た笑顔と違って、今度は真っ暗な表情で。すると、柚葉は思い切り立ち上がり、胡坐をかいている俺の横を走って通り抜けた。
「柚葉!」
「柚葉ちゃ――」
俺と苺花が呼び止めたが、無視して部屋を出て行ってしまった。ドタドタと廊下を走り抜ける音が聞こえる。その音は、だんだんと小さくなっていき、バタンというドアが閉まる音と同時に聞こえなくなった。
「なんだよ。あんなに焦って」
いつもの柚葉らしくない。いや、柚葉がどんな奴なのか全部把握しているわけではないが。きっと夕方見た友達と一緒に話しているあの姿が、本当の柚葉なのだろう。何が彼女を今みたいにさせているのか。
「愛梨、柚葉のこと苦手なのです」
「なんでだよ」
「だって、笑わないし、何言っても、あっそか別にしか言われないのです」
確かに、俺も言われたことがある。でも、ちゃんと会話が成立することの方が多い気がするが。愛梨の件だって、柚葉はあんなだけど、俺の事心配してくれているみたいだったし。
「きついとこあるよね」
普段仲良さそうにしている苺花もそんなことを言い出した。女子って裏で友達の悪口を言っているって聞いたことがあるけど、本当みたいだな。信じたくなかったよ。
「桃音と柚葉、二人はなんかあったのか?」
「……」
二人とも、眉をひそめ互いの顔を見合わせた。そして苺花がうんっと頷くと、愛梨が話を始める。
「去年の運動会のことです。二年と三年合同の二人三脚リレーがあったのですけど……」
俺は、柚葉と桃音がリレーでペアになったこと。練習の時は順調で、周りから一位を取れるかも期待されていたこと。二人の仲も良好だったが、本番で柚葉が転んでしまい最下位になってしまったこと。そして柚葉がそれを桃音のせいにしてしまったことを聞いた。
「それで、桃音がいじめられることになったのか」
「そう、柚葉ちゃんがみんなの前で桃音ちゃんのことを悪者扱いしたの。それで、桃音ちゃんが学校に行けなくなっちゃって……」
「一部の人は、柚葉が悪いって分かってたはずです。でも、ふざけた男子たちが桃音ちゃんをいじめるようになったのです」
それ、全部柚葉が悪いじゃないか。そんな事がなければ桃音は今も普通に学校に通えていた。性格も、もっと明るくなっていたかもしれない。それなのに……。
「柚葉ちゃん頑固だから、何言っても無駄だと思うよ」
「そんなこと言ったって……」
「愛梨たちがどうこうできる問題じゃないのです」
言いたいことは分かるが、このまま放っておいていいことじゃない。桃音もそうだし、柚葉のためにもならないだろう。というか、そんな二人がなんで一緒の寮に暮らしているのだろう。俺が桃音の立場だったら絶対無理だ。
そのあと、二人のことを少し話して、今夜は解散になった。ベッドに入ってからも、俺は明日から二人とどう接すればいいのかずっと考えていて、あんまりよく眠ることができなかった。寝不足の状態のまま、俺は重たい足取りで高校へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます