第7話 嫉妬

「ストーカー!?」

「しーっ。愛梨ちゃんに聞こえちゃう」

「ああ、悪い」

 人差し指を口元に当て、静かにと苺花に促される。その両隣には柚葉と、ぬいぐるみを抱えた桃音が座っている。さっきと変わって苺花の寝室。ピンクのカーテンにところどころ置かれた大きな動物のぬいぐるみ。実に苺花らしい内装だ。そういえば、今まで四人の誰の部屋にも入ったことなかったな。寮とはいえ、中は普通の子ども部屋だ。

「愛梨ちゃん、隣のクラスに好きな男の子がいたんだけど……」

「毎日……下駄箱に……手紙入れてた……」

「そう、休み時間もずっとその子のこと追いかけてて、迷惑かけてたみたい」

「あたしのクラスにまで噂が回って来てたわ」

 そんなことがあったのか。でも、手紙を渡したり休み時間に会いに行くだけで問題児扱いされてしまうものなのだろうか。この寮に入れられるまでのことか? さすがに大げさな気がするけど……。

「それだけじゃないの。問題はここから……」

「え」

 なんだろう。怖い話を聞いている時みたいなこの感覚。心なしか、三人の顔も強張っているように見える。

「今年のバレンタイン、愛梨ちゃんがチョコレートを作ったの。もちろんその好きな男子に」

「そのチョコが……とんでもなかった……」

「愛梨ちゃんその、カッターで……」

 その先を言うのをためらっているみたいだった。いや、あまりのひどさに言えないのかもしれない。でも、ここまで来たら俺も何となくどうしたのかが分かる。

 ゴクリと唾を飲み込んだ。苺花のかわいらしい部屋に、沈んだ空気が流れた。苺花が続きを言うより先に、口を開いたのは柚葉だった。

「チョコレートに自分の血を混ぜていたの」

「まじかよ……」

 予想はしていたが、実際に聞いてみると鳥肌が立つ。自分の血液を入れるって、普通の頭ならありえない話だぞ。確かに愛梨は地雷系女子みたいな見た目をしているが、そこまでとは……。いや、一途な女の子は好きだけどね。さすがに血液入りのチョコは食べたくないけど。

「それで、その男子はチョコを食べたのか?」

「ううん。食べなかったの。愛梨ちゃんのしつこさに呆れ果ててたから……」

「そうなのか。じゃあなんでチョコに血が入ってるって分かったんだ?」

 少量なら食べても分からないだろうし、見た目だって変わらないはず。まさか研究者みたく調べたわけでもあるまい。

「チョコの入ってた箱に、血がついてたんだって」

「こわっ!!」

 俺が貰った髪の毛入りのチョコもそうだけど、箱に血が付いてるのはなかなかだな。そんなもん貰ったら悲鳴を上げて投げ捨てる自信がある。

「それから愛梨が何をするわけでもなく一カ月が過ぎたわ。ホワイトデーがやって来たの」

「でも、愛梨ちゃんの元に返事は来なかった。それで、怒った愛梨ちゃんは男子のいる教室まで行って――」

「……カッターナイフで……襲い掛かった……」

「……」

 全身に鳥肌が立つのが分かった。寒くもないのに背筋がブルブルと震えだす。

 カッターナイフ。さっきと同じだ。あれを教室で、しかもみんなが見ている前でやるなんて。俺が味わったあの恐怖心を、小学生ながらにして経験した男子生徒がいるとは。下手したら警察沙汰になるようなことなのに。愛梨の度胸もある意味すごいけど。

「この間蒼真が言ってたバレンタインの話」

「あ……」

「愛梨ちゃんがやったこととそっくりで言おうと思ったんだけど、なんか怖くて内緒にしちゃった」

 「ごめんなさい」と苺花が申し訳なさそうに眉を垂らした。あの時何かを言いかけていたのは、そういうことだったのか。納得した。早く言ってくれればよかったのにとは思ったが、仕方がない。でも、これからもこういうことが続くとなれば大変だな。刃物を出されたら、いくら相手が小学生だとしても一人じゃ止められないぞ。

「ねえ、あんたさ、愛梨とデートしたんでしょ?」

「ん、ああ。なんで知ってんだよ」

「愛梨が言ってたの。そこでなんか言わなかった?」

「なんかってなんだよ」

「ほら、例えば告白したとか」

 あの日の事を思い返してみる。告白なんてした覚えはない。確かに愛梨からこれはデートだとは言われたが、あの日限りのことだし、それから二人で出かけたりなどしていないし。必死に頭を巡らせる。何だ。何を言った? 俺は。思い当たることと言えば……。

「あ……」

「何?」

 柚葉が睨んでくる。相変わらずその吊り上がった目に恐怖を感じる。まるでオオカミに睨みつけられているみたいに。違った意味で愛梨より怖いぞ。まあ、そんなことより、

「好きって言った」

『はぁ!?』

 苺花と柚葉の声がシンクロする。二人とも目をかっぴらいて、信じられないといったような表情で。そんなに驚かないでくれ。何も本気で言ったわけじゃないんだから。

「いやでも、自分から言ったわけではないし、寮の仲間として好きってことであって決して恋愛感情があるわけじゃ……」

「キモイ……」

 やめて。シンプルに傷つくから。桃音、たまにボソッととんでもない一言発したりするよね?

「絶対勘違いされてるよそれ」

「だから近づくなって言ったじゃない。ばーか」

 返す言葉もございません。反省します。

 やっぱり、あの時好きって言うべきではなかったか。いやでもそれ以外思い浮かばなかったし、否定するのも可哀そうだし。いや、もしかしたらそんな甘い考えがいけなかったのかもしれない。もっと俺が素直になっていれば。ちゃんと心から向き合っていれば。愛梨はこんな事をせずに済んだのかも。好きかどうか聞かれて舞い上がっていたのは俺の方だったんだ。いくら小学生だからとはいえ、愛梨はかわいいし、もしも高校生の愛梨と出会っていたら、きっと俺は好きになっていたかも。愛梨ごめん。俺……。

「とにかく、もう愛梨ちゃんには近寄らない方がいいよ。じゃないと蒼真が心配」

「ま、パンツを盗んだ罰が下ったってことね?」

「……」

「ねえ、聞いてるの? へんた――」

「ごめん、俺行ってくる!」

「はっ!? どこに!?」

 後ろから三人が俺のことを止める声が聞こえたが、無視した。愛梨の部屋なんてすぐそこだけど、俺は全力ダッシュで向かった。それは心が焦っていたから。早くしないといけないような気がして……。

「愛梨!?」

 ノックをするのも忘れて、勢いよく部屋のドアを開けた。一瞬一カ月前のトラウマが蘇る。もしも愛梨が着替え中だったら。俺はまた変態扱いされてしまう。せっかく名前で呼んでもらえる仲になったとういうのに。でも、そんなこと今は気にしていられない。早く愛梨と話がしたい。

「愛梨、そこにいるんだろ」

 ひときわ盛り上がったベットの上の布団。人一人分が入っていそうなでこぼこ具合。俺はズンズンとベッドまで大股で歩き、布団を思い切りはぎとった。

「……」

 やはりそこには愛梨がいた。うつぶせになって、枕に顔をうずめて。

「好きって言ったのに」

「……」

「なんで、愛梨以外の女の子と仲良くするのです」

「……」

 なんと言うべきか。彼女の事は傷つけたくない。でも、ここはやっぱり正直に話すほかない。

「ごめん」

「苺花とあんなに仲良さそうにして、愛梨は蒼真の彼女なのに、です」

「は……?」

俺の……彼女? 

つまり俺は愛梨の彼氏だったってこと? 

付き合っていたということ……? 

知らない間にそんな誤解をされていたなんて。誤解というより、愛梨の勝手な解釈だな。

「愛梨の事は好きだよ。でも、その、好きだけど、なんていうか。寮の仲間として好きって訳であって、そこに恋愛感情はない。勘違いさせちゃってごめんな」

「……」

 言ってしまった。愛梨、傷ついたかな。でも、これが事実だ。俺は愛梨のことを恋愛対象として見ていないし。ちょっとはドキドキしたけど。それは男の本能というかなんというか……。

「で、でも! 愛梨に好きって言われて、正直ちょっと嬉しかった。ほら俺彼女とかいたことないからさ」

「……」

 何も反応はない。聞こえるのは、時計の秒針が動く音のみ。

「それに! みんな俺の事変態扱いするけど、愛梨だけは、普通の高校生として接してくれた。俺この寮で暮らすの正直怖かったけどさ、愛梨がいたからいつも通りの自分で生活できてる気がするよ」

 大げさかもしれないけど事実だ。怖いというより、本当はここで暮らす事が嫌だった。いきなり学校を停学にされて、知らない場所で、それも知らない小学生たちと一年間一緒に過ごさないといけないなんて。そんな状況になったら、誰だって嫌になるに決まっているだろう。いくら子ども好きで教師を目指している俺とはいえ、やっぱり実家が恋しいよ。

「愛梨」

「……です」

「え?」

「……」

「なんだよ」

「許さない……です!」

 その瞬間、愛梨が勢いよくベッドから立ち上がった。枕に顔をこすりつけていたせいか、顔が少し赤い。心なしか、瞳が少し潤んでいるように見えた。右手には……何も握られていない。愛梨は両手のこぶしをブルブルと震わせながら、勢いよくジャンプすると、俺の体に思い切り襲い掛かった。

「うお!」

「ばか。蒼真の馬鹿!!」

 本日二度目のしりもちをつく。意外と痛いんだぞ、これ。打ち所が悪かったら、絶対ぎっくり腰になってるからな。

「大っ嫌いです。蒼真のことなんか大っ嫌いです!!」

「……」

「うわあああああああああああああああああああああああん」

 愛梨の流す大粒の涙が、俺のパジャマを濡らした。胸まで伝わってくる湿った感覚。鼓膜が破れそうなくらいの大きな泣き声。

「嫌いです!! 嫌いです!! 嫌いですっうっうっ……」

「……」

 泣きじゃくる愛梨の頭にそっと手を置いた。彼女の体温を感じる。俺はその手で、優しく頭をなでる。こうしてみると、なんだか落ち着くな。愛梨もそう思てってくれればいいけど。

「もうカッターナイフなんか出すなよ」

「うるさいのです!! ばかっばかっ!! うわあああああん」

 丑三つ時、愛梨が泣き止むまでずっとこうしていた。なんだか俺も安心するような気がしたから。途中、柚葉たちが俺のことを心配して様子を見に来たが、状況を察したのか、すぐにみんな自分の部屋へと戻って行ってしまった。

 ふぅ、また明日からいつも通りの日常がやって来る。この寮にやって来てから送っている、俺の日常が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る