第6話 確信
明らかに愛梨の、苺花に対する態度が変わった。夕飯の手伝いをしてもらっている時、わざと苺花にだけ箸を用意しなかったり、苺花の分の洗濯物だけ室内で干したり、苺花のお気に入りのシャーペンの芯を抜いたり。どう見ても嫌がらせといえるような行為をするようになった。柚葉も桃音も気づいているみたいだったが、興味ないという感じだ。いや、愛梨と関りを持ちたくないだけかもしれない。いじめられっ子をかばったらいじめられるという法則。教師も頭を抱えている社会問題。
「ああ! それ楽しみにしてたやつなのにい!」
苺花が最後まで大事に取っておいた、ショートケーキの上の大きな苺。
「嫌いなのかと思ったです」
毎日ご飯を共にしているわけだから、苺花が好きな食べ物を最後まで残しておく派だということはみんな分かっているはずなのに。というか、苺花が苺好きだという事は、みんな重々承知の事実だろう。
「私の苺……」
苺花は今にも泣きそうな表情で親指を咥える。だんだん瞳がうるんでいく見て分かった。愛梨、なんてことを……。
「ほら、俺のあげるよ」
最後に食べようと残しておいた自分の苺を、苺花の皿に置いてやった。俺も楽しみに取っておいたやつだけど、仕方ない。
「わあ、ありがとう!」
苺花は顔を輝かせ、置かれたばかりの苺をパクリと食べた。ん~と頬に手を当て、今にもとろけだしそうな顔をする。なんだか愛梨とクレープを食べた時の事を思い出すな。
「ふんっ」
その様子を見た愛梨は、食べかけのショートケーキを残したまま、リビングを出て行ってしまった。昨日と同じだ。追いかけようとしたが、誰かにシャツの裾を引っ張られた感覚がして、立ち止まる。
「ほっときなさいよ」
柚葉だった。何かと愛梨を不審人物扱いしている柚葉。冷めた目で俺のことを見つめてくる。そんな俺たちを、桃音がもぐもぐと頬を膨らませながら見ていた。柚葉の言う通り、放っておいた方がいいのか。俺が何か口出しするのは迷惑だろうか。
「……そうだな」
迷ったが、愛梨の事は追いかけないようにした。同年代の柚葉の言う事を聞いた方が、愛梨の為になると思ったからだ。それに、一人でいる方が落ち着くこともあるだろう。その日、俺は愛梨と一言も話をしないまま、一日を終えた。
◆◆◆
金曜日の夜が一番好きだ。明日から二連休が待っているこのワクワク感。一週間の疲れをお風呂で癒し、ゴールデンタイムのバラエティを見ているこの時間。なんて平和な空間なんだろう。ずっと続いて欲しいと思ってしまう。
「続いては、今女子中学生に人気のこの漫画――」
「あ……」
「愛梨、知ってるのか?」
「あー、婚約者と無理心中するやつ」
愛梨が答えるより先に、柚葉が声を上げた。無理心中……。小学生がそんな物騒な言葉使っちゃいけません!
「一緒に死ねば、一生一緒にいられるって」
「苺花も知ってたのか」
「ナイフで刺されるシーンが……たまらない……」
「桃音まで!」
何、最近の女子ってこういうのが流行ってんの? メンヘラって言うんだっけ? 俺にはよく分からないけど。
「今度ドラマ化もされるのよ」
「そうなのか」
とてもこの時間に放送してはいけない内容な気がするが。
「楽しみだね」
「そうね」
見る気満々の彼女たち。桃音も小さく頷いている。俺は遠慮しておこう。女の子の花園には入れないからな。もっと純粋な恋愛ものの方が好きだし。四人で仲良く視聴してくれ。
リビングにて和やかな女子トークが繰り広げられる中、愛梨は一人黙ってテレビを見つめていた。
「あい……」
声をかけようとしたが、何を話せばいいのか分からない。悩みがあるならいくらでも聞いてやる。って、そんな臭いセリフやめた方がいいか。
そうこう考えていると、愛梨がゆっくりとソファから立ち上がった。スタスタと逃げるように廊下の方へと歩いていく。
「もう寝るのか?」
「……」
愛梨は俺の問いには答えなかった。そのままの足取りで、リビングを出ていく。階段を上る音が聞こえたから、きっと寝室へと向かうのだろう。次の日が休日の時はいつも遅くまでドラマやらアニメやらを見ているので、ちょっと珍しい。
「ふわぁ。もう寝る……」
桃音もあくびをしながら部屋を出て行った。彼女はいつも寝るのが早い。まだ九時だが、小学三年生の彼女はもう就寝の時間だ。
「パズルの続きをしたいから、蒼真、私もおやすみ」
「あたしも明日は出かけるから」
苺花も柚葉も自室へと籠ってしまった。さっきまで賑やかだったリビングが、一気にシーンと静まり返る。
「日誌でも書くか」
ちょうど見ていた番組も終わったことだし、たまには俺も早く寝るとしよう。電気を消し、廊下に出る。ここの廊下さ、ちょっと怖いんだよね。先が長くて、真っ暗で。
階段を上っている途中、愛梨とすれ違った。俯いていたので表情は分からなかったが、相変わらずといった感じだ。きっとトイレにでも行こうとしていたのだろう。俺は何の疑問も持つことなく、階段の一番手前にある自分の部屋へと足を踏み入れた。
◆◆◆
布団の中に体を入れると、ひんやりとした感触が全身を伝った。今日一日の疲れがどっと押し寄せて来るこの感じ。これから眠りにつくまでの数十分間が一日の中で一番心地よいのだ。
「あ~、はぁー」
ついつい変な声が出てしまう。耳を澄ますと、チクタクという時計の針が動く音が聞こえた。昼間は全然気にも留めないが、こんな大きな音を立てていたのか。俺の心臓も似たようなリズムで動いているのがよく分かる。明日は休みだから、アラームをかけずに寝れる喜び。まあ、朝ごはんを作らないといけないから、実家で暮らしていた時よりも少し早く起きるけど。大体四人のバタバタした生活音で目が覚めるのだ。できるのならかわいいお嫁さんの作る料理の音で朝を迎えたい。果たしてそんな日が、この俺に訪れる時は来るのかな。
「……」
だんだん意識が遠のいていくのが分かった。夢と現実の狭間。頭がぼーっとしてくる。
カチャ……。
「ん……」
なんか、聞こえたような。もう、ここは夢の中。音こそは聞こえないが、何かを感じる。何かいる。近づいている。
「……」
服の擦れる音。かすかに聞こえる呼吸音。さっきまでの眠気が、一気に失われていく。危ない――
俺の脳内の危険信号が、赤く点滅した。
「うおっ」
暗闇の中、かすかに見える人影。その手には尖ったナイフのようなものが握られている。
「ばっ、あぶ、いてっ」
勢い余ってベッドから転がり落ちた。ジーンっと背中に痛みが伝わる。頭も痛い。それと同時に襲い掛かって来る恐怖。おしりのあたりにゾワゾワとした感覚が走る。
「あ……あ……」
思うように声が出せない。人間、本当に恐怖を感じるとこんな状態に陥ってしまうのか。ホラー映画の仕組みがよく分かった。ごめんなさい。もう幽霊が現れて腰抜をかすヒロインにツッコミを入れないから。もう変態って言われないように努力するから。やめて、死にたくない。
尻もちをついた状態で、ブルブルと体を震わせながら後ずさる。その間も、じわじわとにじり寄って来る謎の影。
「やめろ……頼むから」
左手が壁に触れた。もう逃げ道はどこにもない。このまま死んでしまうのか、俺は。というかこいつは一体どこから入って来たんだ。いせみんがこの寮に勝手に入り込んできた時から、戸締りは頑丈にしているはずなのに。というか苺花たちは? 愛梨は? 大丈夫なのだろうか。どうか無事であって欲しい。逃げてくれ。俺はどうなってもいいから。
影が右手を振り上げるのが分かった。月の明かりできらりと光るとがった先端。あれは、ナイフ……? 俺はぎゅっと目をつむる。殺される。まだ何も成し遂げられてないのに。四人を寮から卒業させてあげることもできない。教師にもなれない。こんなところで人生が終わってしまうのか。俺、なんか悪いことしたっけ。
きらりと光る先端が俺の体へと近づいた。死ぬ、本当に。
「やめろ、やめてくれ!! うわああああああああああああああああああああああああああ」
「蒼真!」
苺花の声。来ちゃだめだ。ここには殺人鬼が……!
「え……」
いつの間にか部屋の電気が付いていた。明るくなった寝室に、心配そうな顔で俺の事見つめる苺花、柚葉、桃音の三人。そして、目の前には……
「愛梨!!」
彼女が立っていた。右手に持ったカッターナイフを振り上げて。俺のことを睨みつけながら。
「蒼真、よけて!」
柚葉の言葉に俺は反射的に体を動かす。さっきまで俺が座っていたところに突き刺さるカッターナイフ。冷や汗が俺の頬を伝った。もしも三人が来てくれなかったら……今頃……。いや、それより。
「やめろ!」
俺は床に突き刺さって抜けないカッターを引っこ抜こうとする愛梨の腕を掴んだ。
「やめてです! 離すのです!」
泣きじゃくりながら暴れ出す愛梨。そして諦めたのか、カッターナイフを突き刺したまま、右手を離して部屋を出て行ってしまった。
「あ、おい!」
「追いかけちゃダメ!」
今度は柚葉が俺の腕を引っ張った。前のめりだった体が、一気に後ろへ持っていかれる。振り向くと、柚葉、苺花、桃音が、真剣な顔で俺のことを見ていた。
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