第5話 違和感

 特に大きな変化もなく、二週間が過ぎた。来週からは学校へ通うことができる。久しぶりの登校。そういえば、まだクラスメイトも担任も把握していない。新学期早々こんなことになるとは。こりゃ教室に入りづらいな。

「蒼真、今日は委員会があるので遅くなるのです」

 愛梨は靴ひもを結び、立ち上がるとそう言った。委員会か。そういえば愛梨は保健委員に入っていたんだっけ。白衣の天使。なーんちゃって。

「私は今日五時間で終わるの! お菓子用意してくれたら嬉しいなあ」

「私も……四時間。お菓子……食べたい」

「お菓子ならあたしも!」

 こぞっておねだりしてくる三人。俺がためらうことなく了承すると、苺花たちは次々と玄関を出て行った。

「愛梨、行かないのか?」

「別に、です」

 そう一言言うと、愛梨は黙って三人の後について行った。俺は四人の姿を見送る。

「……?」

 バタリと玄関が閉じた。なんだか愛梨の様子が変に感じたが、気のせいだろうか。俺は少しのモヤモヤを抱えたまま、洗い物をするためリビングへと戻った。


◆◆◆


 午後。ちょうど賞味期限が今日のクッキーが残っていたので、三人にそれを出してあげた。俺も大好きなチョコチップクッキー。三人はペロリとそれを平らげる。お菓子を食べてテンションが上がったのか、苺花たちはいつもより元気がいい。

「ねえ、変態。面白い話でもしてよ」

「それ私も聞きたい! 恋愛事情とか!」

 もう変態と呼ばれることにも慣れてしまった。なんの違和感も感じない。もう変態でいいんです。俺は。

「んー、そうだなあ。中学の時のバレンタインの話が……」

 俺が中学二年生の時のこと。同じクラスでよく隣の席になる女の子がいた。その子はクラスの男子からひそかに人気があり、俺も少し気になっていたのだ。バレンタイン。彼女は誰にチョコレートあげるのか、俺を含めた男子たちはみんな、妄想にふけっていた。放課後、下駄箱へ行くと彼女が俺のことを待ち伏せしていたのだ。そして、背中に隠した両手をあらわにした。手のひらには、赤いリボンで包まれたチョコレート。嬉しくって、家に帰る途中にある公園で中を開けた。初めてもらった、女の子からのバレンタイン。浮かれていて、俺は違和感に気づくことなくそれを口にした。

「うっ……」

 変な感触、変な味。嚙み切ることのできない繊維質のあるこれは……。

「そのチョコレートには、彼女の髪の毛が入っていたんだ!!」

「……」

「……」

「……」

 あれ、なんだよその薄い反応は。面白くなかったか? 今の話。俺の人生の中で最も恐怖を感じた出来事なんだけど。

「もちろんホワイトデーはお返しも何もしなかったよ。後日下駄箱に手紙が入っていたけど、読まずに捨てた」

 友達がふざけて読み上げてたけど。あなたが毎日夢に出てきて私は苦しいです。責任を取って下さい。とか意味の分からないことが書かれていたっけ。

「それって……」

 苺花が何かを言いかける。そんな時、玄関の開く音が聞こえた。

「ただいま」

 愛梨の声だ。ちょうどよかった。この変な雰囲気をどうにかしてくれ。

「おかえり、愛梨」

 逃げるように俺は愛梨の元に駆け寄る。愛梨は浮かない表情をしたまま、三人のいるリビングを見渡した。なんだ、なんだか元気がなさそうだ。具合でも悪いのか?

「愛梨?」

「宿題あるから、です」

「ああ、そっか……」

 そう言うと愛梨は自分の部屋へと籠ってしまった。一体どうしたというのだろう。もしかして、自分だけお菓子がないのを気にしていた? なんだ、愛梨の分も用意してあるのに。

「そういえば、苺花。さっきなんか言いかけたよな?」

「ううん、なんでもないよ」

「そっか」

 お菓子チャージか切れてしまったのか、それから三人はテレビを見たり、ゲームをしたり、漫画を読んだり、一人の時間に浸り始めた。

「さてと」

 うーんと伸びをする。鈍った体が伸びていくこの感覚。

今日も今日とて夕食の準備を始めるとするか。


   ◆◆◆


 最近、愛梨の元気がない。デートに行った次の日からだ。体調が悪いのか聞いてみたが、「別に」と一言言われるだけで、特に何かがあるわけでもない。話しかければ普通に返してくれるのだが、なんだかちょっと変だ。

「蒼真、ここの問題なんだけど……」

 その代わりといっては何だが、苺花と話す機会が多くなった。特に勉強関係。四人の中で一番高学年の苺花。三人に比べて勉強も難しいのだろう。ここ数日毎日宿題を教えてやる日々。なんだか家庭教師をしている気分だ。そうだ、大学生になったら家庭教師のバイトでもするかな。

「えーと、カッコを先に計算するから……」

 苺花は俺の言う事を一生懸命ノートにメモしていく。丸っこいかわいらしい字。お気に入りだという苺柄のシャーペンがサラサラと音を立てる。学校では鉛筆しか使えないから、家では毎日これを使っている。握りすぎて少し柄が剥げてしまっているが。

「わあ、できたあ!」

 問題が解けたと同時に、キラキラと輝く顔。うんうん、教え子のこういう表情を見ている時が一番気持ちいい。やりがいを感じる瞬間だ。

「ふぅ、今日はここまで」

「もういいのか?」

 俺が聞くと、苺花はパタンとノートを閉じた。まだ教科書半ページ分しかやっていない。宿題は明日提出のはずなのに。

「残りは朝友達とやるの。ここでやるとずっと蒼真に頼りっぱなしになっちゃうから」

「そっか! 偉いぞ、苺花は」

「へへへ」

 ポンっと頭を撫でてやると、苺花は嬉しそうに笑顔を浮かべる。サラサラなロングヘアの触り心地が気持ちいい。よしよし。

「そろそろ寝るか。もう十時だし」

 柚葉、桃音はとっくに寝室へと籠ってしまった。多分愛梨も。俺からすれば夜はまだまだこれからなんだけど、小学生からしたらこれ以上は夜更かしの範囲になってしまうだろう。でも俺も眠いし、今日は日誌書いたら寝ようかな。

「うん! あ、愛梨ちゃん」

 苺花の視線の先、キッチンに愛梨の姿があった。冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いでいる。髪が少し乱れているから、さっきまで寝ていたのだろう。

「私も麦茶欲しいな!」

「俺も」

 すると愛梨は棚からコップを一つだけ取り出した。麦茶を注ぐと、俺の前にグイっと差し出す。無言で、早く受け取れとでも言うように、グリグリと俺のお腹に押し当てて来る。

「……ありがと」

 それを受け取ると、愛梨は自分の麦茶を飲み干し、キッチンを出て行こうとした。

「苺花の分は?」

「知らないのです。自分でやれなのです」

「……」

 愛梨らしくない。いや、もともとみんな特に仲良さそうにしていたわけではないのだが、ちょっと変だ。元気がないというより、怒っているような。

「愛梨!」

 俺が呼び止めるより先に、愛梨は部屋を出て行ってしまった。一体どうしたというのだろう。この間まであんなに仲良く話せていたのに。

「はい、苺花」

 俺は愛梨に代わって苺花に麦茶の入ったコップを差し出した。苺花は小さな声で「ありがとう」と呟くと、それを受け取る。

「愛梨、どうしたんだろうな」

「……」

 苺花は何も答えなかった。俺たちの、麦茶を飲み込む音だけがキッチンに鳴り響く。苺花は麦茶を飲み干すと、「おやすみ」と一言だけ行って寝室にこもってしまった。

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