8 レイン
第29話 雨音
「雨、すごいですね」
「ああ」
窓から外の景色を見ているジャンヌがそう呟いたので、俺はソファで寝ころびながら答えた。こんな時に便利屋の仕事を持ってくる人間もいないだろう。
大音量のスノーノイズ。そう表現するのが最もしっくりくる。昨晩から振り始めた大雨は、現在端街と中央街を完全に覆っていた。
滅多に降らない雨で、尚且つ端街にとって貴重な水資源の獲得機会である。だが、それはそれとして端街の人間はこの雨を警戒していた。
別に水以外の物が降ってくるわけでも、重金属が含まれている訳でもない。昼前だというのに薄暗い外を見ていると遠くの方で雷光が迸ったが、雷に警戒している訳でもない。
「身体を冷やすなよ」
俺はそう言って、ジャンヌに布をしっかり被るように言う。
「いつまで降るのでしょうか」
――去年は三日間くらい振りましたよね。
そう、この雨は降り過ぎるのだ。分厚い雨雲に日光は完全に遮られ、降った雨は時間当たり一〇〇ミリ以上の激しい雨となる。現に今は昼前と言っても差し支えの無い時間だが、外の景色はとても太陽が出ているとは思えないほど薄暗く、鈍色をしていた。
そうなると、当然湿気も凄まじく、一気に蒸し暑さが押し寄せてくるのだが、それが終わると冷やされて湿気を含んだ空気が、不快に体にまとわりつくようになる。
また、雨量自体も問題で、砂や岩しかないここでは、雨によってたやすく地形が変わり、そして巨大な水溜りができる。水の確保がしやすくなると手放しで喜びたくなるが、端街の近辺にある物は衛生的に使えず、雨が上がった後は太陽に温められて凄まじい熱気を放つので、非常に厄介な物だった。
――今のところ、雨漏りはしていないみたいですが。
「前に補修したのが効いてるな」
去年の失敗から学習して、事務所の天井には浸水防止のためにいくつか鉄板とパッキンを増設してあるので、滝のように水が流れ込むようなことはないだろう。
俺は一つ大きな欠伸をして寝返りを打つ、この雨では何もできないのだ。だったらせめて寝て英気を養うのがベストだろう。
そう思って目を閉じたところで、端末に着信が届いた。
「はぁ……ったく。誰だよこんな時に」
『悪かったな、タイミングが悪くて』
面倒だ。そう思いながら受話器を取ると、神経質そうな声が聞こえてきた。
「なんだよウィルか、どうした? こっちはしばらく動けないぞ」
『そういう訳にもいかない。今晩、ジャンクヤードの排出口の警備員を買収する。ELFを引き渡せ』
それを聞いて俺は頭が痛くなる思いだった。この雨で視界も利かず、ジャンクヤードなんて言う足元の悪い場所を歩くなんて、ほとんど自殺行為である。
「何とかもう少し遅くならないか? 外は雨が降っているのを知っているだろう?」
『だからこそだ。雨が降っている間は、物を隠すのに丁度いいからな』
俺は一つ、大きなため息を吐く。確かにこの大雨は様々な場所に影響を与える。中央街の隔壁は雨が降ることを想定していなかったため、地盤の緩みなどを考慮していなかった。なので雨が降ってからしばらくは整備班やその他の人間は、中央街と「ノア」を支える隔壁の点検・整備・補修その他諸々に大量に駆り出されることになる。何かを中央街へ運ぶなら、今が絶好の機会ということだった。
「……仕方ないな。時間は?」
『第三の月が中天に登る直前、その時間がベストだろう』
なるほど、その時間なら最悪問題が起きても、第三の月を理由に言い訳ができるという事か。
「分かった。準備しておく」
『期待しているぞ、バイル』
その言葉を最後に通信が切れる。
――寂しくなりますね。
「元から決まっていた事だ」
ケイの言葉にそう答えてから、俺はソファに座る。ちらりとジャンヌを見るが、どうやらケイの話も含めて、彼女には聞こえていないようだった。
彼女から視線を外して、今後の自分がどう動くべきかを考える。受け渡しまでは問題ないだろう。その後いかに安全ここまで戻ってくるかだが、最悪ケイに後を任せる方法もある。あとは――
「……」
「ん?」
色々とその後のことを考えていると、俺の隣にジャンヌが腰かけた。
「どうした?」
「いえ……」
彼女はそれだけ言って、俺の肩にぐりぐりと頭を押し付けてくる。一体どうしたのだろうか?
「バイルさんは――いえ……なんでもないです……」
ジャンヌは何かを言いかけては、それを取り消すように頭を振る。どうやら何か話しにくい事があるようだ。
「安心しろ。何を言われても驚かないから」
ジャンヌが何を話そうとしているのか、それは見当もつかないが、俺はそれを受け入れるつもりだった。
「では……あの、バイルは、私の事をどう思っていますか?」
「どうって――」
仕事の関係で預かってるだけで、別にどうってことはない。
そう答えようとしたところで、彼女の表情を見てその答えは出来なかった。
ジャンヌの顔には、いつも通りの感情のこもっていない表情ではなく、朱の差した年相応の少女のような表情が現れていた。
「そりゃあ――」
思わず目を逸らす。彼女の反応は予想外で、俺にはどう答えていいか分からなかった。
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