第27話 心音

 目が覚めた時には周囲は真っ暗で、月の光が差し込んでいた。


 起き上がる気力もわかず、ぼんやりと今までの記憶をたどる。そうか、どうやら俺はマーシャおばさんのところで気絶したらしい。


「……っ」


 身体を動かそうとすると、鈍い痛みがあった。どうやらいつもと違う姿勢で寝ていたのが原因らしく、寝違えたようだ。そう考えた段階で、俺がベッドに眠っていることに気付いた。


――あ、ジャンヌ。バイルが目を覚ましましたよ。


 頭の中でケイがそう言ったので、俺は身体を起こす。久しぶりにまともなベッドで寝たからか、体中に倦怠感が残っている。俺は欠伸ついでに身体を伸ばしてそのだるさを吹き飛ばした。


「おはようございます。バイルさん」

「ああ……悪いな、運んでもらって」


 表情を変えないまま、ジャンヌは俺の側によってくる。俺はベッドの縁に腰掛ける姿勢になって、彼女の頭を撫でる。ジャンヌは満足そうにした後、となりにちょこんと座った。


「貴方が気絶した時、私はとても心配しました」

「そうか……悪かったな。でも、大丈夫だ」


 マーシャおばさんの死に目に会えなかったのは悲しいし、彼女がもう居ないことももちろん悲しんでいるのだが、俺は心のどこか「その時が来たか」と納得もしていた。


 端街での寿命はせいぜい六五歳。ザルガじいさんのように妙に長生きすることもあるが、全員がこの気温と不十分な栄養状態によって長生きができなくなっている。元々呼吸器が弱かった彼女は、確実に65歳まで生き残れないであろうことは分かっていた。


「明日はマーシャさんの葬儀だそうですが」

「参加しないとな、俺も彼女には世話になりっぱなしだ」


 ジャンヌはどこか元気がないようで、少しだけ声の調子が落ちていた。おそらく、ELFが持っている「人類の幸福」を希求するアルゴリズムから外れたストレスなのだろう。俺はそれを気付かないでおくことにした。


――愛しているマーシャさんを失ったのに、意外と元気なのですね。


 一呼吸置いたところで、ケイがそんな事を言ってくる。


「ケイ、違うっつってんだろ。マーシャおばさんとは恋愛とかそういうのじゃない。いい加減学習しろ」

――でも、バイルが彼女と接する時だけは、優しげな雰囲気になるじゃないですか。


 俺は溜息を吐く。もう何を言っても通じそうになかった。


「バイルさんは、マーシャさんと恋人ではないのですか?」

「……ケイから聞いたな? 愛は愛でも親子愛とかそういう方だ。俺はマーシャおばさんをこっちに来てからの母親だと思っていた。それだけだよ」


 ジャンヌにまであらぬ情報が伝播してしまうのは不本意である。なので俺は、彼女に改めて訂正をした。


「そうですか」


 ジャンヌはそれだけ言って、立ち上がる。


「それを聞いて、何でしょう。この感情は……心臓の辺りの緊張がほぐれたというか……」

「安心?」

「あ、はい。それだと思います。少し不謹慎かと思いますが、それを聞けて、私は安心しました」


 彼女の顔を見て、俺は溜息を吐く。まさかババ専だと思われているとは。


 だが、湿っぽい雰囲気で居つづけるのも良くない。心の整理はまだできていないが、明日の葬儀ではしっかりと彼女を見送ろう。



――



 私は「安心」している。


 それが間違いではないことは、私が一番わかっていた。


 だけど、私がなぜ安心しているか、それが分からなかった。第三の月が中天を過ぎブラインドの隙間からは青い光が差し込んでいる。私はその光をぼんやりと眺めながら、ソファに腰掛けていた。


 今日くらいはということで、バイルさんにはベッドを使ってもらっている。ソファに慣れ過ぎていたらしく、寝違えて身体が痛そうだったけど、眠る必要がない私よりも、彼がベッドを使うべきだと思っていた。


 明日はマーシャさんの葬儀があるそうだ。


 葬儀というのは、死んだ人間との別れを惜しむための儀式で、バイルさんはそれに参列するつもりでいる。


 それは当然だと思うし、私も参列するつもりでいる。人類の幸福を求めるELFとしても、死んでしまった存在に対してどのように接すればいいか、考えることができるだろう。


 だが、それでも、私の感じた「安心」の正体がわからなかった。


 一体この感覚は何なのだろう?


 胸の辺りには今、何かつかみどころのないそわそわとした感覚が渦巻いている。それは何かの欲求のようであり、その感覚に従おうとしていると、身体は自然と立ち上がり、バイルさんの方を向いていた。


「ん……」


 床の軋みに反応したのか、彼は小さな声を漏らす。その様子を見て、胸の辺りにある感覚は一層強くなった。


 一歩一歩、彼の方へ近づいていく。その度に胸が引きつるような感覚は強くなり、心音が耳まで届く。それでも、私は動きを止められなかった。


「っ……」


 恐る恐る手を触れる。


『どうかしましたか? ジャンヌ』

「っ!? ……分からないことを解明しようとしていました」


 心臓が一際大きく跳ね、私は危うく声を出してしまう所だった。そうだ、ケイはバイルさんと身体を共有しているから、触ったらすぐに気付かれてしまうんだ


『分からない事?』

「はい、どうにも、マーシャさんが死んでしまった後辺りから、心臓の辺りに違和感があるのです。苦しいけれど不快ではない。この感覚は一体何なのでしょう?」


『うーん……私も人間を随分観察してますけど、それはよく分からないですね。でも、一緒に考えましょう』


 ケイにそう言ってもらえることがとてもうれしく、それと同時に少しだけ嫌だと思ってしまった。なぜだろう……私がそう考えている間も、心音は耳にまで響くほど大きくなっていた。

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