第26話 回想

「こんな小さい子が端街にくるなんて……」


 彼女の第一声はそれだった。


 中央街から追い出される理由は、ほとんどが五〇を過ぎたから、という理由である。


 そのほかに理由があるとすれば、日常生活を送れないほどの疾病、あるいは犯罪、五〇歳を過ぎても中央街にしがみつく人間の「踏み台」としての追放である。彼女は俺の境遇を、非行少年か何かだと思っているようだった。


「別に、何歳でもいいでしょ」


 俺は彼女の言葉から逃げるように目を逸らして、息を吐く。


 場長に願いを託して、俺にできることは終わった。そうだとしたら、もう何もできることはない。端街から中央街へ戻る方法は無いのだ。


「……ねえ、しばらく私と暮らさない?」

「は?」


 俺は思わず彼女の方を向いた。白くなった頭髪に、皴の刻まれた顔……その表情は柔和に微笑んでいた。


「何が目的ですか?」


 だが、俺は騙されない。端街は法も秩序も無いのだ。隙を見せれば何をされるか分からない。そもそも犯罪者だとかろくでもない奴だと思わないのだろうか?


「いいえ、目的は無いの。ただ……」

「信じられませんね」


 俺はそう言って、彼女に背を向けて足早に去る。彼女の顔を見ていると、絆されてしまいそうだった。



「なあ、世の中は理不尽だと思わねえか?」


 脳が揺れ、四肢の感覚が曖昧だった。


「俺はここに来るまでずっと元老院の秘書をやってた。冷凍睡眠の少ない席を得るためにな。だが、修理は終わらず、五〇を越えたら用済みだ。整備士どもが許せねえよ、サボってるんじゃねえっつうの」


 老人ばかりの端街に嫌気がさして、誰もいないところを求めてコンテナの隙間を歩いていた。


「おい! どうなんだよ!? そのナリは整備士なんだろ!?」


 頭を殴られたのだと気づいた時には、男は激昂して怒鳴り散らしていた。


「お前らがしっかりしていれば、俺は本星に帰れたんだ!」


 徐々に意識がはっきりしてくる。それと同時に痛みと顔を伝う鉄臭い液体を自覚していく。


「なんとか言えよ! なあ!」


 男はそう言って、コンテナの外壁を手に持った単管パイプで殴る。耳障りな音が響いて、俺は眉間にしわを寄せた。


「どうなんだよ! 仕事も碌にしてなかったんだろ!? 椅子に座るために頑張ってきた俺が、なんで俺が……っ、お前と同じ端街に居なきゃいけないんだよ!」

「……」


 俺には答えられなかった。そして激昂している彼が酷く滑稽に見えた。


 冷凍睡眠装置は、既に八割以上が機能不全に陥っている。彼らはその事実を隠しているが、俺はそれを知っている。


 存在しない椅子を必死に守ろうとして、それにすら負けた人間が、虚構の絶望で俺に害意を向けている。それがとても滑稽だった。


「はは……」


 そう思うと、俺にはもう笑いをこらえることはできない。


「ははははっ、あははっ」

「な、なんだ……こいつ……?」


 全てが歪んで、真実など何一つない場所で、俺は死んでいくのだ。真実を見つけたばかりに。


 全てが絶望の中にあった。全てがかりそめの上に出来上がっていた。場長は俺の意志を継いでくれただろうか、それも正直、どうでもいい。


 朱に交われば赤くなる。きっと彼は俺の願いなど忘れて、椅子にしがみつくだろう。何をしていたのだ。俺は――


「ああ、そうだよ。俺達整備士はまともに仕事なんかしてなかったし、おべっかばっかり使うお前らみたいな人種が大っ嫌いだったよ」


 だとすれば、せめて彼の欲しがっていた言葉をくれてやろう。精々周りを恨んで真実など何もない。虚構の中で死んでいけ。俺は自分が死んだ後、ゲラゲラ笑いながらそれを見てやるよ。


「て、てめえっ!!! ぶっこ――」

「……え?」


 憎しみに染まった顔を滑稽に思いながら、俺は振り下ろされる鉄パイプを呆けた顔で受け入れようとした。


 だが、それは振り下ろされることはなく、持ち主の手から滑り落ちた。


 凶器が乾いた音を立てて地面に落ちると、次いで男が覆いかぶさるようにして倒れこんでくる。想定外のことに驚いて身を捩るが、彼は完全に脱力しており、その背中は真っ赤な鮮血で染まっていた。


「おうマーシャ! 小僧は何とか無事らしいぞ!」

「ああよかった。あとをつけていく人が見えたから――って、またショットガン振り回して! ザルガ、あの子に当たったらどうするの!?」


 銃口から硝煙の立ち上るショットガンを片手に笑う老人と、先程俺に話しかけてきたおばさんが、視界の先に立っていた。


「まあまあ、危なかったんだ。許してくれよ――って、どうした小僧? そんなぼうっとして」

「よく見なさい! 頭を怪我しているわ、医者に連れて行かないと――」


 二人は俺の話も聞かず。どんどん話を進めていく。


「なあ、保安官(シェリフ)にはなんて言えばいいかのう?」

「それくらいは考えてちょうだい……でもまあ、この子の状態を見れば仕方なかったって分かると思うわ」


 俺はその後、二人に連れられて医者らしき老人にガーゼと包帯を巻かれて、星型のバッジをつけた老人からいくつか質問をされて解放された。どうやら「お咎めなし」ということらしい。


「なんで――」


 なぜ、ここまで見ず知らずの人間に親切に出来るのか、全く分からなかった。俺は彼女たちのことは全く知らないし、今日出会ったばかりのはずだった。


「ふんっ、このトシでこんな所に追い出された人間としちゃあな、もうお前さんみたいなのに構うくらいしかやる事が無いんじゃ」


 ザルガと呼ばれていた老人がそう言って、腕を組む。


「ええ、せめて次の世代の顔くらいは見て人生を終えたいものね」


 俺の頭を気遣うように触りつつ、マーシャと呼ばれていた彼女は笑う。その表情は、出会った時と同じように柔和だった。


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