7 リーヴ

第25話 手遅れ

「はぁっ、はぁっ……!」


 二輪車を乗り捨てると、俺は息を切らして走っていた。酸欠で脳が朦朧とするが、酸素缶を吸入するのも億劫で、俺はそれも構わず走っている。


――バイル! ジャンヌがついて来れてません!

「だったら――っ、場所だけ伝えとけっ!」


 周囲を気にする余裕もなく叫ぶ。周囲の人間が振り返るが、それを気にしていては間に合わなくなる。俺は見覚えのあるコンテナの外観を見つけて、さらに足を速めた。


 緑と青のカラーリングをしたコンテナ、そこがマーシャおばさんの住むコンテナのはずだった。俺はその入り口に手を掛けると、力任せに開いた。


「おばさんっ!!」


 外の目を焼くような光は、コンテナの中まで入らず、俺の視界に入ってきたのは真っ暗な室内だった。


「バイル……よう来たの」

「――!!」


 中は見えなくとも、じいさんの一人が発した言葉で俺は全てを悟った。間に合わなかったのだ。


 泣き叫ぶことも無く、酸欠でふらつく意識も忘れて、一歩コンテナの中へ踏み出す。すると、徐々に内装がはっきりと見えてくる。


 そこにあるのは、見覚えのある光景だった。


 俺よりも少しだけ早く端街に着いた彼女は、ここを新しい家だと言っていた。ここで寝食を共にしたことも、数えきれないほどある。俺の持っている技術で、ミストクーラーも作った覚えがある。その機材は、未だに動いて静かな駆動音を奏でている。


「遅かった――いや、呼びに行ったところで間に合わんかったな」


 部屋の隅に置かれたベッド――それは俺がマーシャおばさんに作ってやった物だった。


 今そこにはじいさんたちが集まって、そこで横たわっている人を見守るように囲んでいた。


「急性の呼吸不全、酸素缶をいくつかつぎ込み、心肺圧迫も行ったが……」

「――」


 言葉はそれ以上聞き取れなかった。俺自身走り過ぎて酸欠状態だったし、あまりのショックに事実を脳が認識できなくなっていた。最後に感じたのは自分の身体から力が抜ける感覚と、わずかな浮遊感だった。



――



 端街の人々に手伝ってもらいつつ、私はバイルさんを事務所まで運んだ。


「ジャンヌちゃん。ここでいいのかい?」

「はい、ベッドに寝かせてあげてください」


 彼はいつも寝ているソファではなく、部屋の隅に置かれたベッドの方にあおむけに横たえられた。私用に作ってくれたベッドだけど、今は彼の方が必要としているように思えたからだ。


「じゃあ、わしらはマーシャの葬儀の準備をせないかんから、またの」

『ありがとうございます、ジャンヌ』

「いえ、お気になさらず」


 ケイの言葉と、お爺さんたちの言葉に一緒に返事をしてから、私は彼等を見送った。


 さて、彼のために何かできるだろうか? 私は考える。


 お爺さんのうち一人、元々医療従事者だった彼が言うには、軽い酸欠と心理的ショックだということだ。私は部屋の戸棚から酸素が封入されているスプレー缶を取り出して、彼の口元までもっていく。安静にしていればすぐ目を覚ますということだったが、私は何かせずには居れなかった。


『ジャンヌ……』

「他には、私にできることはあるでしょうか?」


 ケイに話しかけてみるが、彼女の反応は芳しくなかった。


『……いえ、今は安静にしておく以外、何もできることはありません』

「そうですか」


 私はそう返事をしつつも何とかして彼の役に立ちたかった。


 それはELFとして定義づけられた「人類の幸福」に則した感情なのか、人間の「妹」が「兄」に対して抱く感情なのかはわからない。だが、この気持ちに嘘はなかった。


『……バイルは、マーシャおばさんを愛していましたから、ショックも大きかったんだと思います』

「愛していた?」


 しばらく経って、ケイがそんな事を言ったので、私は反射的に聞き返していた。


『本人は否定していましたが、彼女と話す時、バイルは楽しそうでしたから、彼女が居なくなって悲しいのでしょう』


 ケイの言葉を聞いて、私は今まで感じた事のない心臓の動きを感じた。酷く緊張しているような、押しつぶされたような感覚だ。


「私も、辛いです」


 思わず言葉に溢れていた。そして、言葉にして初めて自覚する。この感覚はとても辛い。耐えがたいほどに。


『ジャンヌもマーシャおばさんを愛していたのですか?』

「いえ……」


 マーシャさんは私も知っているし、彼女のことは良く思っている。だが、私が苦しいのは彼女が死んだ時ではなく、いま目の前でバイルさんがじっと動かずにいる事だった。


「人間とは、不思議な生き物ですね」

『あ、ジャンヌもそう思いますか? 実は私も、ずっとそう思っていたんですよ。その為にバイルと共生したりしてるんですけど、それでも全然分からなくて――』


 語り続けるケイをよそに、私はベッドの脇に座り込んで、バイルさんが目覚めるのを待つ。心臓の辺りで感じる引きつった痛みは、今もなお私を苛んでいた。


 視線の先――ブラインドの隙間を縫って差し込んだ陽光が、私の思考を表現するようにちぐはぐなシルエットを床に描いていた。

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