第23話 偽りの孫と祖父

 オーガス・ノヴルは自室で深々と息を吐いた。


 根回しは順調であり、上手く行けば数日以内に何人かの「サンプル」が回収できる筈だった。そのサンプルさえあれば、自分の目的を完遂させるための確率はぐんと上昇する。


 やはり問題となるのは、年齢による体力の減衰であり、これを回避するには冷凍睡眠の技術を応用せざるを得ないだろう。サンプルを待つ間に、彼は破損した冷凍睡眠ユニットの一部を回収してその準備を行う予定だった。


「オーガスさん。お疲れ様です」

「ああ、ありがとう。助かります」


 ELFの少年――アダムが、オーガスの前にコーヒーを給仕する。それに感謝を告げると、彼はアダムの頭を撫でる。


「ですが、オーガスさんという呼び方は他人行儀でいけませんね。昨日も言ったようにおじいさまと呼びなさい」

「しかし、規定では――」

「『ノア』も墜落してしまい。いまさら規定も何もないでしょう。それに、君はELFとはいえ産まれたばかりだ。寄る辺も必要だ」


 オーガスは柔和に見える笑みを浮かべ、アダムの輪郭を丁寧になぞった。


「……はい、おじいさま」

「ふふふ、そう長い時間一緒に居られんとは思うが、それまでの間、できる限りの事はしてあげよう」


 オーガスはそう言いながら両手を広げ、カールした金髪を揺らす少年を抱きしめる。アダムはその行動に驚いていたが、オーガスが「愛しき我が孫よ」と呟くと、その抱擁に身を任せるように脱力した。


「これから先、私はお前に最大限の愛情を与えよう。その代わり、お前も私を信じてくれ」

「はい……わかりました。おじいさま」


 アダムの表情は乏しかったが、それでも声音に喜色がうかがえる。少年の中では、オーガスは肉親と同等に位置づけられていた。


「よしよし、いい子だ」


 抱いたまま再び頭を撫でつつ、オーガスは唇を薄く延ばし、皴を深くした。


 少なくとも、今はこのELFを手放すわけにはいかない。その為であれば、人形であろうと自分の孫のように扱うのもやぶさかでない。オーガスはそう考えていた。


 アダムにとってのみ幸せな時間は、部屋に備え付けの端末から通知音が鳴り響いたことで中断される。


「――私だ」

『オーガス様、ELFの取り扱いについて、自分がいち早く入手したいと主張する議員の方々から秘密回線で連絡が入っています』


 アダムを離して取った受話器の向こうで、女性秘書がそれを告げると、オーガスは更に唇を引き延ばした。


 全ては自分の思い通りに進行している。彼の脳内でその快感が駆け巡っていた。



――



「バイルさん。起きてください」


 身体を揺すられて、俺は深い眠りから引き揚げられた。


「ん、あぁ……」

「昼前ですよ、指示通り起こしました」


 昼前か……少し寝すぎたな。昨日は夜明けから昼過ぎまで寝ていたから深くは眠れないだろうと思っていたが、どうもそうではないらしい。


「ぐっ……」


 ソファの上で伸びをして、目をこすりながら体を起こす。目の前には無表情なジャンヌが居て、薄暗い事務所と相まってどこか寂しげな雰囲気だった。


「ふぅ……おはよう、ジャンヌ――?」


 いや、ちょっと待て、昼前というには随分涼しいというか、暗すぎないか? スキマだらえのブラインドを見るが、未だに暗さを残している。間違いなく昼前の光ではない。


 一体どうなっているんだと思い、時計を見る。


「……」

「どうかしましたか? バイルさん」


 時計が指しているのは昼前というよりも、朝である。それも早朝と言って差し支えの無い時間だ。


「昼前に起こせとは言ったが……」

「はい、昼より前、つまり日の出から南中するまでの間なので、日が出た時間に合わせて起こさせていただきました」


 そう言われて、俺は頭痛がする思いだった。


 一体どう言うべきか、確かに俺の言い方だと「昼より前ならいつでもいい」と取ることは不可能ではない。だが一般的な人間の感性としては、昼食を取る直前くらいの時間に起こすのが普通だろう。思わずちらりとジャンヌを見て、非難の視線を送ってしまう。


「何でしょうか?」


 その視線に気づいたのか、ジャンヌは首をかしげる。


――まあまあ、悪気はないんですからいいじゃないですか。

「眠る必要がない奴が言うなよ……」


 ケイがなんとも無責任な事を言うので俺はついに「頭を抱える。でもまあ、そうだな、悪気はないんだもんな……


「はぁ、助かった。起こしてくれて感謝する」

「はい、お役に立ててうれしいです」


 まあ早く起きた分にはいいだろう。久しぶりに事務所の掃除でもするか。そう思って俺はソファから立ち上がる。


「……」


 立ち上がったところで、ジャンヌが未だに俺をじっと見て、動かずにいることに気付く。


「どうした?」

「……」


 全く動かない。一体どうしたのだろうか?


――バイル。頭を撫でてあげてください。


 ……またか。


「むふーっ」


 仕方ない。そう思って頭をなでてやると、ジャンヌは満足したようで、鼻から息を吐いた。表情は未だに感情が欠落していたが、彼女が嬉しそうだというのは、俺にもなんとなく分かった。


――良かったですね、ジャンヌ。

「はい、お役に立てて光栄です」


 ケイとの会話を聞きながら、俺は「数日間とはいえ、一般常識くらいは教えておくべきか?」と考え直していた。

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