第49話「楽園」

 ヨークシャー・ムーアでは夏の終わりに向けて、風が日の光をさらうように吹く。

 一年を経てここに戻ってきた私は、この地の何もかもを愛しく思った。


「ロビン、歩いていこう」


 そう言って、フレデリック様は私の手を引く。




 ――あれから私はメリッサとクララに事情を話し、メリッサはダーリントンの学校に勤めてくれる教員を再び募集した。それが、フレデリック様が一週間足らずで見つけてきたのだから、その必死さが窺えた。


 本当はもう少し学校にも残りたかったけれど、いずれ屋敷に戻るという言葉だけではフレデリック様が納得しなかった。


 メリッサともクララとも仲良く過ごせていたので残念だけれど、二人とも笑って送り出してくれた。ウォリック夫妻にもまた手紙を書こう。皆に、ヨークシャーにぜひ遊びに来てほしいと言って旅立つ。


 母にも手紙を書いた。フレデリック様が、近いうちに結婚の話をしに顔を出すつもりだと書き添えてほしいと言ったので、その通りに書いた。

 まだふわふわしているけれど、これは覚めない夢らしい。


 ヨークシャーに戻ると、ブレア夫人やタウンゼントさん、エミリー、マージョリーといった面々と再会した。私は色んな人に心配をかけたのだな、と改めて思った。迎え入れてくれた彼らがとてもあたたかかった。


 改めてタウンゼントさんの筆跡を見たら、叔父だと信じていたあの手紙の文字とそっくり同じで、フレデリック様が語ったことが真実だと裏づけていた。筆跡から穏やかな人柄が滲んでいると思っていたけれど、タウンゼントさんならそれも納得だ。


 そして、ナンシーのところにも行った。最後まで教えられなくてごめんなさいと謝りに。

 ナンシーは村の学校へ通い始めていて、一年でとても大人びて見えた。


 それでも、ナンシーはあの頃のままだった。姿は変わっても純粋に輝く目は同じで、私はひたすらに嬉しかった。

 二人して涙ながらに再会の喜びを分かち合った。


 ちなみに、ボーフォート夫人にも手紙で結婚の旨を伝えたところ、その返信を受け取ったフレデリック様は即座に手紙を破って暖炉の火にくべていた。

 その後、なんでもないとばかりに私に笑顔を向けてごまかしてきたから、なんとなく内容を察することはできる。絶対に私の目に触れさせたくない内容だったのだろう。


 フレデリック様の心が変わらないのならば、そんなものは気にしないのに。私も笑ってしまった。




「馬で向かうとすぐだから、歩きたいんだ」


 フレデリック様は私の手を腕に添え、隣で微笑みかける。私が草に足を取られないよう、いつでも支えるつもりらしい。


 初秋のヨークシャーは、そんな私たちを受け止めてくれる。どこまでも瑞々しい緑の大地で野生の羊がちらほらと草を食んでいた。

 ふんわりと吹く風が優しい。甘い花の香りを運んでくる。


「あっ……」


 私はそれきり言葉を失った。

 赤紫の小さな花をつけたヒースが、上に向かって伸びている。それが何エーカーも先までずっと広がっていて、一面がヒースの花の色に染まっている。こんなにも力強く根を張って。


 見渡す限りの絶景に私はぼうっと見惚れていた。

 こんな美しさがまだまだ世界にはあるのだ。


 私以上にフレデリック様はこの光景に感無量だったのかもしれない。ずっと押し黙ってヒースを眺めていた。

 だから私は、そんなフレデリック様に寄り添い、体を預けた。フレデリック様はそんな私を抱き締める。


「ここが楽園だって言った意味をわかってもらえたかな?」

「ええ。連れてきてくださって、ありがとうございます」


 伸びやかな大地、美しい花々。

 清らかな風、広い空。


 私の疲れた心を癒したヨークシャー。

 私はこれからもこの地で暮らしていく。


 愛する人を支え、命ある限り。

 ここが私の居場所だから。



     【 The end 】

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