第27話「聖なる夜」

 クリスマスとあっては、使用人たちがはめを外したいのも仕方がない。大目に見るのだとフレデリック様は言った。使用人たちは夜中にパーティーを開くらしい。どんなものだったのか、またエミリーに聞いてみよう。


 ブレア夫人と私は聖夜にフレデリック様と晩餐をご一緒した。

 手持ちのドレスが少ないのは仕方がない。せめて髪型でも変えてみようかと色々工夫してみた。


 ポインセチア、アイビー、柊、松などの植物がディナー・テーブルを彩る。蝋燭の炎が揺らめき、銀器は輝き、それは幻想的な眺めだった。


 ディナーを終えると、ドローイング・ルームで私は二人のためにピアノを演奏した。


「とても素晴らしかったです。ミス・クロムウェル」


 ブレア夫人の賞賛がくすぐったい。


「ありがとうございます」


 楽譜を片づけていると、フレデリック様がそこに薄い包みをいくつか差し込んだ。


「気に入るといいけれど」


 にこりと笑っている。私はその薄い包みのひとつに触れた。これは楽譜だ。


 フレデリック様がうなずくので開いてみると、表紙には〈アイリッシュ・メロディーズ〉とある。パラパラと譜面を捲る限り、楽し気な曲調だ。何曲か一緒に綴じられているらしい。

 ここにある楽譜は粗方弾いてしまい、目新しいものがなかったから素直に嬉しい。


「素敵な曲ですね」

「また聞かせてくれるかい?」

「はい、練習しますね。ありがとうございます」


 私も笑い返した。不自然ではなかったと思うけれど、心臓が騒がしい。

 それに、頭の芯が痺れたようになって、涙腺が狂った。急に泣きたいような気分になってそれに耐えていると、フレデリック様はブレア夫人にショールをかけていた。輸入品の上等なカシミヤに見えた。


 私には楽譜、ブレア夫人にはショール。行き届いた気配りに、私は自分が舞い上がりすぎていたことに失笑したくなった。

 それでも、嬉しさが削がれたわけではないけれど。


「寄る年波には勝てませんので、わたくしはそろそろ休ませて頂きます。楽しい時間をありがとうございました」


 ブレア夫人が真新しいショールを体に巻きつけながら退出を願い出た。

 少し早いような気もするけれど、そんな頃合いだろうか。


「では、私も――」


 名残惜しいけれど切り上げようとした。そんな私にブレア夫人は首を振ってみせる。


「お若い方はもう少し旦那様の話し相手になってくださいな」


 フレデリック様はどこか複雑そうな表情を見せたが、ブレア夫人におやすみと声をかけた。控えていたタウンゼントさんが扉を開けて、ブレア夫人は静かに去っていく。


 私はピアノの椅子に座り直し、楽譜を立てかけながらフレデリック様の方を向かずに言った。


「ミセス・ブレアをご家族のように思われているのですね」


 ここは平穏だけれど、外は吹雪が続いていて、その風の音が嘆きのように心を乱す。私はそれが嫌で、そっとピアノの鍵盤を鳴らした。


「そうだ。血の繋がった家族よりも僕のことを想ってくれている人だから」


 フレデリック様の声はいつもと変わらずに穏やかだった。

 ポロン、と音を挟んでみる。指が硬いのは緊張だろうか。


「私にもそういう方がいてくださって。父の弟なのですが。母は再婚してしまったから、もう義弟としてつき合えないけれど、私は姪だから心配だと寄宿学校に手紙をくださいました。遠方にいらしてお会いしたことはありませんが、手紙のやり取りをしていて。困ったらいつでも相談してほしいと書いてくださるんです。そのお気持ちだけで随分救われました」


 会ったこともないのにと言われるかもしれないけれど、私は勝手に父によく似た優しい面立ちを想像している。


「ロビンが救われたと言うのなら、きっとその叔父上もお喜びだろう」

「ありがたいことですね」


 遠くから賑やかな音楽が聞こえてきた。なんのだろうと思ったけれど、多分使用人たちの楽しい時間が始まったのだ。

 うるさいとは思わない。風の音以外の物音に救われたような心地だった。


「僕は――」


 華やいだ曲調の中、フレデリック様の声は粉雪のようにふわりと、どこか儚い。


「体が弱かったから、両親から期待されていなかった」


 ハッとして振り向いた私に、フレデリック様は表情を浮かべずに淡々と語る。


「両親と……特に母と顔を合わせるのは苦痛でしかなかった。でも、いいんだ。もういないから」


 故人を恨んではいないと。

 そう思えるまで時間がかかったのではないだろうか。


 フレデリック様の中には今も消えない空虚がある。この時の私はそれに触れた気分だった。

 気まずさは不思議とない。むしろ私は知りたいと思った。


 私たちはどこか似ている。

 それは私の願望だろうか。


「こんな時、気の利いたことが言えればいいのですが」


 私なら何を言ってほしいだろう。何を求めるだろう。


「あなたがいてくださって、私は感謝しています」


 これだけで伝わるだろうか。間違えなかっただろうか。

 私は――。


「ロビンにそう言ってもらえたことが、僕にとっては何よりのクリスマスプレゼントかな」


 そっと笑ったフレデリック様の様子に嘘はなかったと思う。

 私がフレデリック様にとって何かの役に立てたのなら、それに勝る喜びはきっとない。



     ◆



 荒野の冬風は、すべてを薙ぎ倒さんとするほどに乱暴だった。

 この大きな屋敷でさえ吹き飛ばされてしまうのではないかと心配になるほどの強い風が何日も続いた。木も草も動物たちも、どうやってこの冬に耐えているのだろう。


 風の音に私が怯えるたび、フレデリック様は心配要らないと声をかけてくれた。

 まるで私は道理もわからずに幽霊の影に怯える子供のようだと恥ずかしくなったが、ここへきて初めての冬なのだから仕方がない。


 むしろそんな私をフレデリック様は眺めて楽しんでいるような気すらした。私が驚いてピアノを弾く手を止めても微笑んでいる。


 怯えるのは、生への執着だ。感情の起伏もなく、諦めの境地にいたならば、こんなふうに感じたりはしなかった。いい傾向だとフレデリック様なりに考えたのかもしれない。


 私はせめて楽しいことを考えようとした。指では落ち着いた曲を奏でながら、安楽椅子に座っているフレデリック様に語りかける。


「春になってナンシーのところの仔羊が生まれたら、私が名前をつけていいと言ってもらえました」

「それは楽しみだね。名前はもう決めてあるの?」


 パチ、パチ、と暖炉で火が爆ぜる。この音は嫌いではなかった。


「いいえ。男の子か女の子かわからないと。それに顔を見たらピンと来ないかもしれないので、いくつか候補を作っておくつもりです。一番合うものを選んであげたいと思っています」


 私がつけた名前をナンシーたちが何度も呼ぶのだ。その羊は生涯私のつけた名前で呼ばれ続ける。これは責任重大だと息巻いていた。


 たかが家畜だと思うだろうか。フレデリック様はそんなふうには思わないでいてくれる。私はそう感じるからこそ、この話をしたのだ。


「いいね。命名の際にはぜひ僕も行きたいな」

「ええ、ぜひ」


 ナンシーが言うには、仔羊はとんでもなく可愛いのだそうだ。そんなにも可愛い仔羊を前に、私ははしゃぎすぎてしまわないように気をつけなければ。


 そんなことを考えてばかりいて、春が待ち遠しかった。

 早く雪が融けて春になりますように。

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