第25話「プライド」

 馬鹿だ。どうしようもない。


 少しは立ち直りかけたと思ったのに、また自己嫌悪に逆戻りだ。

 自尊心? どうしてそんなものが持てる?


 自分を過大評価した結果がこれだ。

 今後どうやってフレデリック様と顔を合わせていいのかわからない。

 どうして今、こんなに傷ついてしまうのかも考えたくなかった。


 私は急いで部屋に逃げ込むと、ベッドに身を投げ出して泣いた。声を出さないようにしようとしても、呻くようなかすれた声が零れていく。


 幼い私が熱を出した時、父と母が代わる代わる様子を見に来て額に触れた。ひんやりした大きな手が心地よくて、嬉しかった。

 あの安心を与えられるのは家族だけ。心配しているからといって無暗に踏み込んではいけなかったのに。


 こんなことで泣いてしまうなんて。自分でも驚くほど傷ついている。


 差し出した手を振り払われるのがもっと前だったならよかった。今になって、私がすっかりフレデリック様を信じきってからというのがつらい。

 勝手に心配して勝手に傷ついただけのことでしかないのに、それでも。


 止まる様子もない私の涙が袖口を濡らしていく。この時になって、私の部屋の扉を叩く音がした。

 叩くというよりも、両手で勢いよくもたれかかったような、そんな音だ。


 私はその荒々しい音に驚いてベッドの上で身を縮めた。息を殺して闇の中に潜んでいると、声がする。


「……すまない」


 扉を隔てた声は風の音よりも小さくて、外にいるのが誰だかわからなかった。

 私はどんな音も立てないように口元を押さえてしゃくり上げるのを止めようとした。それでも扉の前の気配は消えなかった。


「こんなところを、見せたくなくて……」


 ヒュウヒュウと、苦しげに息をしているのがわかった。

 フレデリック様がベッドから抜け出して、私に謝罪するためにここまで来てくれたというのか。

 それは、そうしなくてはならないほど、私が傷ついて見えたということなのだろうか。


 具合が悪いフレデリック様にそんなことをしてもらいたくはない。早く戻ってほしい。

 謝ってもらうほどのことではないはずなのだ。寝込んでいるところを見せたくないのは当然のことだったのだから。


 早く、何か言葉を返さなくては。気にしていないと答えなくては。


 それなのに、泣きすぎてしまって喋れない。今、声を出したら、私が隠れて泣いていたことを知られてしまう。

 こんなことで泣いてしまうほど、私はフレデリック様の優しさに甘え、頼りきっていたのだと思われたくない。


 私が何も答えられずにいたからか、フレデリック様はさらに言った。


「ロビンが平気なのに、僕だけ寝込んで、それが情けなくて、僕は――」


 そこで声が途絶えた。その代わりに、ドサリ、と倒れ込んだ音がした。

 これはさすがに放っておくわけにはいかなかった。私はベッドから飛び降りて裸足のまま扉の鍵を開く。


 ドレッシングガウンを羽織ったフレデリック様が部屋の前に横たわっていた。浅い呼吸の音だけが聞こえる。気を失っているのかもしれない。


 廊下に膝を突くと、絨毯の上でさえ冷たい。私はフレデリック様の体の下に手を滑り込ませ、なんとか持ち上げようとした。


 どうしてそんなことをしたのかというと、この時の私は少しも冷静ではなかったからだ。冷たい廊下に寝かせているわけにはいかないという思いだけが先走った。


「フレデリック様……」


 嗄れた声で呼びかけたけれど、返事はない。私は座り込んでフレデリック様の頭を膝に載せ、恐る恐る額に手を当てた。かなり熱が上がっている。


「だ、誰かっ」


 誰かに運んでもらわないと。

 それなのに、声が出ない。ブレア夫人はどこだろう。フレデリック様を捜しているのだとしたら、こんなところにいるとは思わないかもしれない。どうしよう。


 ただただ私が戸惑っていると、ブレア夫人は蝋燭を手に、スカートをつまんで足早にやってきてくれた。


「ああ、少し目を放した隙にベッドから抜け出されて!」

「熱が高くて、どうしましょう……」


 言いながら、私まで震えが止まらなくなった。

 そうしたら、ブレア夫人は私の手をギュッと握った。それだけで私はほんの少し落ち着いたのかもしれない。


「今までもこんなことはよくありました。旦那様ならすぐに持ち直されますよ。さあ、人を呼んできます」


 ブレア夫人が一瞬ためらったように見えたのは、私を心配してくれたからだろうか。

 こんな時間にフレデリック様が私の部屋の前にいて、私が膝を貸していることをどう思われるか。やはり、身持ちの悪い女だと噂されるかもしれない。――それでも構わないと思った。


 フレデリック様が、重たい体を引きずってまで私に謝りに来てくれたから。

 私にそれだけの価値を持たせてくれたから、誰がなんと言おうとも怖くはない。


 私は顔を上げ、背筋を伸ばしてそこにいた。膝から伝わる熱がどんどん上がってきて、心臓にまで回ったような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る