第26話 恋
月明りの僅かな光に照らされた甲板で胡坐をかき、書き途中の絵を眺めていたラウネンは人の気配に振り返った。
「エリンか。どうした?」
「ラウネンさんの絵、どこか窮屈そうだなって思ってたんです」
エリンは中腰になり、たった今ラウネンが描き進めている絵を指さし「ほら、これも窮屈そう」と呟く。
「けど、夕食の時に見せてくれたポストカードの海上絵画は違いました。全然窮屈そうじゃなくて…」
ラウネンは「意外とわかっちまうもんなのかねぇ」とため息とともに苦笑しながら持っていた筆を投げ出し、甲板に仰向けになって寝そべった。
「俺さ、家出少年なんだよ。お前らと一緒」
「は?、急になんですか。昔話なら聞きませんよ」
ただ絵の感想を言いに来ただけだと踵を返そうとするエリンを、「まあそう言うなって」と引き留めるラウネン。
渋々隣に膝を抱えて座ったエリンが夜の海風に僅かだが震えていることに気がつくと、ラウネンは自分の上着を脱いで彼女の肩にかけてやった。
「父親も母親も絵なんて描いたって将来なんの役にも立たないって考えでさ、絵描いてるのみつかると殴られたりこっぴどく怒られたり……だからみつからねえように小せえ紙切れに絵描いてたんだよ。それなら万が一みつかりそうになってもすぐに隠して誤魔化せるだろ?」
「それが窮屈な絵を描いてしまう理由ですか」
頷くラウネンはわざとらしく大きなため息をついてみせた。
「未だにその癖が抜けてなくてな。稼いだ金でやっとの思いで買ったでっけえキャンパスに大きく描いたことがあったんだけど、それも窮屈そうな絵になっちまった。あん時はショックでしばらくスランプになったなぁ」
小さく描かざるを得ず窮屈な絵ばかり描いてきた積み重ねによって、大きなキャンパスで描ける状況になっても窮屈な絵しか描くことが出来なかった自分に絶望したのだと話す。
「けど、ハーデンベルギア海上絵画コンテストに参加して全ては好転」
ハーデンベルギア海上絵画コンテストは、絵を描くのが紙ではない。すなわち、はなから絵を描ける面積が決まっているということがない。海上を自由に使って、好きなだけ大きく描くことが出来る。紙の縁というものに縛られずに、のびやかに描けたのだと言う。
「サイズの決まった紙だと試行錯誤してもやっぱり窮屈な絵になっちまったけど、海に描く絵はそうじゃないってだけで俺は十分だった」
「だから毎年コンテストに参加してるんですね」
「ああ。賞とかはマジでどうでもいいんだ。俺がずっと描きたかった伸び伸びした絵を描ける場所ってだけで最高だかんな」
ラウネンは夜の海を描いた窮屈な絵を見て笑っていた。今では嫌っている窮屈な絵を直視して楽し気に眺められるようになるほど、彼はそのコンテストに救われたのだろう。
「私も…フリーデン王国に行けば救われるのかな」
小さく呟くエリンに、ラウネンは少し迷う素振りを見せてから問いかけた。
「…メリアのことか?」
「え?」
意表を突かれ、エリンは咄嗟にラウネンを見上げた。
「好きなんだろ?、あいつのこと」
「………気持ち悪いでしょう?、女が女を好きなんて」
両膝を抱えて小さくなるエリンを、ラウネンは身を起こし鼻から大きく息を吐きながら見下ろした。
「俺は気持ち悪いなんて思わねえけど、まあ世の中には色んなやつがいるからな。気持ち悪いって思うやつもいるだろうよ」
押し黙るエリンにラウネンは、空に広がる星とそれを隠そうと月を呑み込んでは吐き出している灰色の雲を見上げて続けた。
「フリーデン王国に行けば何か変わるかもしれない、そう思って故郷飛び出して来た。自分を認めてもらいたくて…ってところだろ?」
「そんな希望を持って旅をしてるのは多分、私だけ。メリアは居場所を失ったから新天地に向かってる」
「そうか。俺も絵描く自分否定され続けてきたからな、認めてもらえる場所に行くために家を出たんだ。今のお前のまんまでいいじゃんって言ってくれるやつと、そんな自分を受け入れてくれる居場所求めてさ」
自分の話をするのが苦手なエリンは、珍しくラウネンに自分のことについて話していた。エリンとメリアが小さな町で偏った考え方のもと生きてきたこと。そして町ではそうでなくとも例外を認めない側面があるのに、女性が女性を愛することなど絶対に気持ち悪がれるに決まっているということ。メリアの恋愛対象が男性であること。話し出すと、止まらなかった。
「人の好き嫌いなんざ、自分ではどうにもできねえからな。フリーデン王国に行ったらお前を受け入れてくれる人間はきっといるだろうさ。けど、メリアに想いを打ち明けて受け入れてもらえるか拒否されるかがわかんねえってのはどこ行ったって変わんねえな」
「だよね、自分でもわかってる。国を変えたところで、メリアに好きになってもらえるかどうかはまた別の話」
「…けど変えようと一歩踏み出したことが大事なんだから、何もそんな顔しなくてもいいと思うぜ?」
すすり泣く声を必死に押し殺すエリンの方は向かないまま、彼女の頭を強く引き寄せそっと撫でる。
「なかなか思い通りにならなくて、ままならなくてもどかしいのが人生だ。だけどな、投げやりになったらそこまでだ。お前より人生長く生きてる俺から言ってやれるのは、変化することとその先にあるかもしれねえ可能性は常に捨てるなってことだけだ。そうすりゃ今と何かしら変わってくるからな」
震える声で「可能性なんてあるのかな…」と弱々しく尋ねるエリンに、ラウネンは夜風のように優しい声音で答える。
「俺がメリアだったら、お前のこと一緒に町から逃げてくれた最高のダチだって思う。恋人関係になれるかどうかは正直メリア自身にしかわからねえことだけど、あいつならお前の気持ち知っても気持ち悪いなんて思わねえと思うけどな。恋人になれる可能性はゼロじゃない、なら言ってみるって選択肢もありだと思うぜ」
「拒絶されるのは………怖いよ」
「そりゃ告白する相手が女でも男でも同じだろ。好きなやつから拒絶されんのは怖え」
本格的に泣き出すエリンの肩を、あえて明るく振舞って抱き寄せる。
「んだよお前らしくもない」
いつも凛としているエリンが弱音を吐いていることにどうしたものかと悩んだが、一方で大人びて見えた彼女も年相応だったんだなと思うラウネンは微笑んだ。
「泣ける時に泣いとけ。泣きたくても、メリアと一緒の時には泣けねえだろ?」
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