第25話 決壊する心

 夕食後、メリアはモカラからパイの作り方を教わっていた。居間のテーブルには夕食後のお酒を嗜むアスターがいて、部屋には三人だけだった。まるで祖父母と過ごしているようで、メリアの胸は温かくなっていた。

家出をしたことで、大好きな父親や祖父母と会えなくなる。そのことへの寂しさや心配をかけることについて、メリアはずっと気がかりに思っていた。例えどんな理由があろうとも、今もきっと彼らは自分を心配して心を痛めているに違いない。そう思うと、家出をする決断をしたのは自分であるのに、ちょっとした拍子に泣きたくなるほど悲しくなってしまう。

 メリアは生地を伸ばしながら、そんな思いを無理矢理振り払うように、部屋に飾られている数々の絵に目を留めた。



「何度見ても、息子さんの描く絵は美しいですね」



頬に手を当て感嘆を漏らすメリア。そのせいでメリアの頬にべったりとついた薄力粉を拭ってやりながらモカラは困ったように苦笑した。



「あのねメリア、ラウネンは私たちの子どもではないの」


「そうなのですか?」



するとテーブルで一人酒の入ったグラスを傾けていたアスターがメリアの方に視線をやった。



「私たちは子どもがとても好きだったんだが、授かることは叶わなくてね。医者にそう言われて落胆していた丁度そんな時に、行き場を失っていたラウネンと出会った」


「それって…」


「ええ。ラウネンもあなたたちと同じ家出少年だったのよ」



あなたたちは少女だけれどね、とモカラは茶目っ気たっぷりに笑う。



「あの子は画家になることをどうしても家の人に許されなかったようでね。絵を描くのをやめることは命を手放すことと同じだと思ったあの子は家を出るしかなかったと泣きながら話してくれたよ」



メリアは少しだけラウネンに親近感を覚えた。家を出るという決断がどれだけ苦しかったのか、それでも家を出たいと強く願ってしまったことが自分にもわかるから。



「ラウネンは肌や髪の色がここら辺の国の人と違ったから、よっぽど遠くの国から来たんだと思うわ」



確かにラウネンはチョコレートのような肌色をしていて、髪も夜空の色をしていた。海を越えた先の国にはこんな神秘的な肌色を持った人もいるのだと感心していたが、そんな広く果てしない海で商いをしているホリツォント夫妻でも彼と同じ国の人間を見かけることはあまりなく、見かけても珍しいことのようだった。



「帰り方もわからないほど遠くから十にも満たない少年が、絵を描きたい一心で海を渡り歩いて生きる場所を求めてやって来たのは、都合がいいと思われるかもしれないけれど子どもに恵まれなかった私達と出会うためだったんじゃないかとさえ思ったさ」


「懐かしいわね…あの子に会った時、運命だと本気で思ったわ。私達の子どもになってほしいってお願いしたんだけど、断られちゃって」


「どうしてですか?」



パイの中に予め切っておいた果物を並べながらメリアが問うと、アスターは大きく息を吐いた。



「「捨てたのは自分だけど、俺にとっての両親はあの二人だけだから」ときっぱり言われてしまってね。当然さ、あの子は親と離れたくて離れたわけじゃないんだ。私たちの都合で子どもになってくれなんて…言ってしまってから失礼だったと気がついたよ」


「幼い子どもに酷なことをお願いしてしまったと謝ったわ。けどあの子は優しい子でね。私達の必死さに子どもがいない理由を察したのか、友達になってあげるよって言ってくれたの」



彼はまるで家族のような友人なのだと、モカラはとても嬉しそうに話した。

 血の繋がりがあるわけでもなく、家族という名前のつく関係性というわけでもないけれど、家族同然にお互いを思い合う友人という関係。そんな彼らの価値観に、メリアは驚きと感銘を受けた。フリーデン王国でももしかしたら、自分が今まで知りえなかった価値観を持った人が沢山いるのかと思うと心が躍った。



「…………」


「メリア?」


「…お話ししていなかったのですけど、私の母は父を裏切って私の友人とその……そういう関係だったんです。その友人に私は好意を抱いていて、当然母のことも大好きだったので、ショックでした」



ホリツォント夫妻はメリアが突然に明かした自身についての話に少々驚きつつも、何も言わずに静かに耳を傾けてくれた。



「私の故郷は小さい町ですから、遅かれ早かれその醜聞が広まった時には母だけではなく娘の私にも居場所はなくなります。そう思ったら何だか色々辛くなってしまって。死んでしまおうとした私をエリンが止めてくれて、一緒に町を出ようって言ってくれたんです」


「そうだったのね」



話しながら泣いていたメリアをモカラは優しく抱きしめた。ずっとエリン以外に話せずに抱え込んでいたことを、モカラやアスターという大人にも聞いてもらえたことで、張りつめていた緊張や不安が緩んでしまったのだろう。メリアはモカラの背中のあたりをぎゅっと握って、声を上げて泣いてしまった。

 泣き顔を見られたくはないだろうと、メリアから視線を逸らしたアスターの持つグラスの中で、氷の崩れるからんという音が鳴った。

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