第19話 ムニエルを美味しく食べてほしいから
魚屋の商業船で活きのいい魚を購入したメリアとエリンは、店主が魚を包んでくれるのを待っている間店先で「今日はムニエルにしようか」などと夕食の献立について相談していた。こんないい魚が手に入ったのだからムニエル以外にも何か作ろうと提案したエリンだったが、ふと今日の海上市場はこれまで立ち寄った海上市場と様子が違うことに気がつく。
どの商業船も賑わいを見せている、というのはどの海上市場に行っても同じことだ。しかし、今日の商業船は賑わっているだけではないような、妙な異様さを感じる。
「店主のおにいさん、今日って何かいつもと違うことありますか?」
おにいさんって歳でもねえんだが、と言いながら嬉しそうに頭をポリポリ掻く魚屋の店主は「うーんそうだなぁ」と海上市場を見渡した。
「強いて言うなら、注文した貝をその場で調理して食べさせてくれる上に、自分の食べた貝の貝殻に絵を描いて楽しめるレクリエーションをやってる店が来てるな。海上市場でもあの手のレクリエーションが出来る商業船は珍しいからね」
けれど魚屋の店主はそう言いつつも腑に落ちていない様子だった。
「でも確かになんだかんだ物々しい雰囲気があるね、今日の海上市場は。何か…」
何かあったのかも、と言いかけた店主とエリンたちから見えるアクセサリーを売っている商業船に、エリンたちが乗って来た大型客船の乗務員がいるのが見えた。
「あれ?、エルガーさん」
「商業船に下りる時に案内してた乗務員の人だよね?」
調理担当以外の乗務員が商業船に下りて来ることはまずないので、ただ事ではないことは店主にもエリンたちにもわかった。
今エルガーたちのいる商業船はこの海上市場の中央に位置しているため、商業船でショッピングを楽しむどの乗船客たちからもよく見える。するとエルガーはメガホン片手に大声で呼びかけた。
「楽しいお買い物中失礼致します。先程我々は家出少女がいるという連絡を受けました。あの有名舞台役者クラスペディア・リュフトヒェンに似た少女と、もう一人はブロンドの髪の少女だそうです。女性渡航禁止の港から彼女たちは船に乗ったそうなので、男装をしている可能性が高いです。商業船の店主の皆様、特徴に合う少女たちをみつけましたら、私かこのスマラクトにお声をかけて頂けると幸いです」
エリンはエルガーに気づかれぬよう、咄嗟に彼らからは見えない死角にメリアと共に少し移動する。
「我々は少女たちの捜索を続けておりますが、乗船客の皆様はどうか我々のことはお気になさらずショッピングをお楽しみくださいませ」
魚屋で立ち尽くすエリンとメリアは、驚いた様子で自分たちを見ている店主と目が合ってしまった。
「あの…その、私、あ、いや僕たちは」
クラスペディア譲りの青みがかった銀髪は目立ちすぎるし、メリアは男だと主張しなければ女の子にしか見えない見た目をしている。この二人がその家出少女だということは、店主にもすぐにわかった。
「驚いた。ブロンド髪の君はともかく、どう見ても銀髪の君は男にしか見えないよ」
店主は青ざめるメリアとどうこの場を切り抜けたものかと考えを巡らしているエリンを交互に見て、「訳ありなんだね」と苦笑した。思ったよりも理解のある反応に、エリンは警戒心を解いた。
「…はい」
「困ったなぁ」
そう言いながら手早く魚を氷の入った袋に詰めていく店主。袋の先をきつく結うと、それをメリアに押し付けた。
「あ、あの…?」
「君たちには今晩美味しくムニエルを食ってほしいから、おにいさんがちょっと手を貸してあげる」
「え?」
店主は履いていたサンダルを素早く脱ぐと、件の貝殻のお店で幸せそうに貝を食べているがたいのいい男の頭目掛けてサンダルを投げつけた。
「痛ッ。おっと、カモメか?」
「おい、ラウネン」
「何だ、エアフォルクかよ。用なら後にしてくれ、今俺貝食うのに忙しいんだ」
ラウネンと呼ばれたその男は全く取り合う気がないといった様子で、貝を持っていない方の手をひらひらさせた。しかしそんな態度をもろともせずに魚屋の店主エアフォルクは話を続けた。
「お前んとこにこの子たち連れて今すぐこの海上市場から離れてくれないか」
「見事にスルー。ってか、え?、さっき来たばっかなんだけど…」
「いいから。今度会ったら魚好きなだけ奢ってやるよ」
「マジ?。約束は守れよ?」
言うが早いかラウネンはエリンとメリアの手首を掴んでどんどん先へと進んでしまう。
「なるべく人目につかねえようにな」
乗務員たちに聞こえないよう静かに注意を促すエアフォルクの声が後ろから聞こえ、エリンとメリアは振り返る。
「「ありがとうございました」」
微笑むエアフォルクはニッと笑って、大型客船とは反対方向へと連れて行かれる二人に向かってグッドサインを作る。
「いい旅を」
ラウネンに連れて来られたのは海上市場の一番端に停泊している商業船だった。その商業船には「ホリツォントフラワーショップ」という看板が掲げられていて、長旅の土産にはあまり向いているとは言えないように思う花を売っていた。
「うわぁ、エルガーちゃんの鼻は犬なみだね。こち来ちゃってるから、とりあえず誤魔化すわ。さっさと花の入ってる黒いバケツの後ろに隠れろー」
「わっ…」
「ちょっとどこ触って」
二人のお尻を叩いて隠れるよう促すラウネンは悪びれる様子もなく、背後からつかつかとやってきたエルガーたちに向き直る。
「やあエルガーちゃん。そんなトマトみたいな顔してどうしたの?」
「家出少女を捜索しているとさっきも言ったでしょう。あと、いい加減ちゃん付けで呼ぶのはやめてください。後輩の前ですし、格好がつかないじゃないですか」
「いいじゃん。俺ん中では、商業船走り回って怒られて泣いたり、「僕、あの大きな船でお客さんに安心安全な旅を届けるんだ」って無邪気に夢語ったりしてた可愛い頃のエルガーちゃんのままなんだから」
「そういった昔話を後輩の前でしないでくださいッ」
さらに真っ赤になるエルガーを「まぁまぁ」と宥めるスマラクトが代わりにラウネンに尋ねた。
「この辺で先程の特徴に合う家出少女を見かけませんでしたか?」
「いや、見かけてねえな。お、そうだ花買うか?」
押し付けられた花を押し戻しながらにこやかに断るスマラクトは、エルガーを連れて次の商業船に聞き込みに行った。
「エルガーが来ていたの?」
エルガーの声を聞きつけた老婦が店の中から不意に現れた。手にはいくつもの花を持っていて、丁度ブーケを作るところらしい。
「まあな」
「おかえりラウネン。貝をたらふく食べて来るって意気込んでいたわりに早かったじゃないか」
老父も現れて、隠れているエリンとメリアに気がつくと「おや?」とメガネをかけ直した。
「そいつらの説明は後だ。至急船を出してくれ」
「ほう…わかった」
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