第17話 行き先は母の故郷

 朝食を終えた二人は部屋にあった船の案内地図を見て、船首の方にある甲板に行ってみることにした。勿論男装をして、だ。

 幸いにも若い少年たちだけで船に乗るのは割とあることらしい。少年の姿をしたエリンとメリアが二人だけで船をうろついていても、訝しそうに見てくる者はいなかった。



「わぁ、すごいっ」



 甲板に出ると、見渡す限り海だった。深い青色をした海がメリアとエリンを――否、二人を乗せたこの客船まるごと歓迎しているように広がっていた。



「窓から眺めるのとはまた全然違って見えるよっ」



 その開放感あふれる甲板の中央で、メリアは大きく伸びをした。着ぶくれしているせいか、伸びをしているメリアはとても不格好に見えた。しかしそんな彼女も愛おしいといった様子で、エリンは優しく目を細めていた。



「こんな素敵な景色が見られるなんて、思ってもみなかった」



幼い子どものようにはしゃぐメリアの横に並ぶエリンも、青みがかった銀髪を海の香りのする風にたなびかせながら静かに頷いた。



「海ってお父様から話でしか聞いたことがなかったけれど、思っていたよりもずっと素敵」


「ほんと」



 欄干を両手で掴み身を乗り出すように船の進む先を眺めるメリアと、欄干に背中を預けてそんなメリアを眺めるエリン。

 まだ太陽が頭上に昇って間もないこの時間帯は、空気が澄んでいる。新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだエリンをメリアも真似してみせる。

 海に夢中だったメリアは不意にエリンを見て「聞きそびれていたのだけど」と不思議そうに問いかけた。



「どうして行き先をフリーデン王国に?」


「それは……母さんの故郷だから、かな」



エリンは少し言い難そうにメリアから海へ視線を逸らした。メリアは数日前に母親のことでショックを受けたばかりだ。あまり母親に関する話をしたくなくて、エリンはあえて自分たちの向かう行き先についての話題を出さずにいた。



「天才舞台役者クラスペディア、フリーデン王国で母さんはそう呼ばれていた」


「知ってる。とても有名だったんでしょう?」


「うん。どれくらい?って聞いたことがあるんだけど、国で名前を知らない人がいないくらいよって母さんは言ってた。あの人のことだから、冗談なのか事実なのかよくわからないけど」



冗談や人をからかうことが好きなクラスペディアへの印象は、娘のエリンも知人であるメリアも同じだったため、二人して苦笑してしまう。



「母さんの名が知られることになったきっかけは、あの人が身を置いていたエクスターゼ劇団がとっても有名だったからというのもあるんだ」



エクスターゼ劇団。メリアたちの生まれたあの小さな町でも、その名は誰もが知っているくらい有名な劇団だった。舞台に関わりたいと夢見る人間にとって、誰もが憧れる場所。



「エクスターゼ劇団が新しい価値観を築く」



エリンが海を眺めたまま唐突に口にした言葉に、メリアは首を傾げた。



「フリーデン王国にはそんな言葉があるんだって。当たり前ってものがなくて、国民一人一人が自由に考えや価値観を持つ権利もある。流石、の名がついた国だと思うよ」



フリーデンは「平和」を意味する。そんな名前がついたの国では、もしかすると窮屈な慣習や理不尽に苦しむことはないのかもしれないと、エリンはそんな風に考えていた。奔放で活き活きとしている母親を見ていれば、フリーデン王国に憧憬を抱くのは必然に思えた。



「もしもエクスターゼ劇団のあるフリーデン王国にこのまま辿り着くことが出来たら、あんな小さな町で生きてきたでも受け入れてもらえて、もっと自由に生きていけるのかなって」



海岸から引いていく波のように笑顔の引いていったメリアは、浮かない顔でエリンと同じように海を眺めた。



「……あんな母親を持っていることも、渡航してはいけない立場で町を飛び出して来てしまったことも、誰も気にしないのかな」


「気にしないって信じてる。それにきっとフリーデン王国に行けば、自身もそんなこと気にならなくなるんだと思う。そんな希望を抱いてしまったから、フリーデン王国にしたんだ」



海に視線を向けたまま「そうだったんだね」と呟くメリアに、エリンは彼女の表情を窺うように問う。



「……嫌だった?」



町から出るだけで精一杯という様子だったメリアに、私の考えた今後のプランを次々と語るのは気が引けて、フリーデン王国に向かおうと思っていることをはっきりとは話していなかった。彼女が行き先を知ったのは、私が検問職員に行き先を伝えた時だ。メリアの意見も聞かずに勝手に行き先を決めた私に腹を立てているのではないかと、一抹の不安がよぎったのだ。

 しかしメリアはぶんぶんと頭を大きく横に振った。



「とってもいい案だと思う。ぼ、にも、他のどこの国でもない、フリーデン王国に行く意味が出来た。絶対に行ってみせよう、エリ…エーレ」



メリアの言葉に嬉しくなったエリンは珍しく満面の笑みを浮かべて言った。



ならきっと行けるって、信じてる」

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