第16話 海上で摂る朝食
予めハーフェンの名前で予約を取っていた部屋に案内されると、エリンは部屋の鍵を閉めて大きく息を吐いた。
「これでひとまず第一関門は突破した…」
扉に背を預けてずるずると座り込んだエリンは、疲弊した表情をしていて夜空色の瞳はどこも見ていない。そんな彼女を横目で見ながらメリアも何枚も重ね着していた服を脱いでいく。
「フリーデン王国まではどれくらいかかるの?」
「順調にいけば二か月とちょっとかな。難航したら半月はかかると思う」
「それは…女性だってばれないようにしなきゃね。特に私が」
ベッドに背中から倒れたメリアもまた大きく息を吐いた。まだ辺りが暗い時間にそっと家を抜け出して、港まで馬車も何も使わずに歩いて向かい、検問所でのことがあって今に至る。二人ともやっと落ち着ける場所に辿り着いて、それまでの疲労が容赦なく押し寄せてきた。
少し休憩してから二人は朝食作りに取り掛かった。二人とも一通りの花嫁修業をさせられているため、家事全般は難なくこなすことが出来た。この船にはカフェやレストランも併設されているが、部屋に備え付けのキッチンもある。二人は変装せずにゆっくりと過ごすことが出来る後者を選んで、用意されていた食料を使って朝食の支度をしていく。
「「いただきます」」
二人は朝食を食べながら、部屋にある大きな窓の外を眺めていた。見事なオーシャンビューに思わず感嘆がこぼれる。港に近づくことさえ禁じられている婚前の少女たちにとって、海を見るのはこれが生まれて初めてのことだった。
故郷である町から、二人を乗せた船はどんどん離れていく。そして陸地が見えなくなると、窓から見える景色はそのうち空と海の青が続き、代わり映えのないものとなった。しかしそれでも確かにこの船はフリーデン王国へと向かっている。不安と期待が入り混じった感情をエリンとメリアは共有しながら、スクランブルエッグと、ツナをふんだんに使ったガレットを頬張った。
「そう言えば、さっきの凄かったわね」
「さっきのって?」
珈琲の入ったマグカップを傾けていたエリンは、心当たりがないといったようにメリアを見る。
「検問所で吐いた嘘のことよ。名前を聞かれた時、どうするのかなって私不安だったの。だけどエリンが迷わずエーレとシュトルツっていう名前を口にしたから驚いたわ。ああいう嘘を吐こうって、最初から考えていたの?」
エリンは「ああ、架空のハーフェン兄弟の話ね」と微苦笑してマグカップをテーブルに置いた。
「考えてなかったよ」
「え、じゃあ…?」
「用意した嘘は、相手との会話の中で上手くかみ合わなくなる可能性があるなと思って。だからあれは全部その場の思いつき」
感心するメリアはただ無邪気に、上手くあの場を切り抜けたエリンに賞賛を贈っているだけだったが、エリンの方はというと居心地悪そうに再びマグカップを口元へ持っていった。
嘘が上手いことを褒められても、あまり嬉しくはない。
母さんは舞台上で脚本に描かれた誰かになりきって、台本にある台詞を口にし最高の人物を演じている。けど母さんの真似事をしながら育った私はどうだろうか。舞台上ではない現実という日常生活の中で、アザレアさんと兄さんを別れさせるためと尤もらしい理由をつけて、変装をして兄さんを欺いた。それだけじゃない。この町から出るためと言い訳をして、変装をし台本に書かれた台詞の如くスラスラと思いついてしまう嘘を検問職員に吐いた。
母さんの素晴らしい才能を自分が醜い才能として示してしまっているようで、辛かった。
「どうしたの?。私、珈琲苦く淹れちゃった?」
エリンは自分のことが好きではなかった。変装が得意なせいで気味悪がられることも多かったが何より、彼女はそんな自分に対して嫌悪感があった。だからこそ、初めて自分の変装を気味悪がらずに接してくれたメリアが特別に思えた。自分の存在を肯定してくれているようで、嬉しかったのだ。
「ううん、そんなことないよ。ただ、メリアと二人きりの船旅楽しみだなって考えて、ぼうっとしちゃった」
エリンがそう誤魔化すと、メリアもマグカップを両手で包み込みながら
「ふふ、私も楽しみ」
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