第13話 この町を出よう

「待って…待ってメリアッ」



庭から屋敷を飛び出して走り去ってしまうメリアにやっとの思いで追いつき、彼女の手を掴む。振り返ったメリアは見たことのないほどに涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 こんなはずではなかった。私はメリアとイベリスが少しでも上手くいくようにと思って、イベリスの愛する女性に変装して彼に別れを切り出したのだ。それなのに、私のしたことが裏目に出て結局メリアを、それも最悪のかたちで傷つけることになってしまった。知らずに済んだかもしれないことを、かえって彼女に知らしめてしまった。



「誕生日なのに…私、ついてないなぁ。ねえ、私を笑ってよエリン」



無理矢理笑顔を作るメリアがあまりにも痛々しくて、エリンは顔の変装を解いて彼女を抱きしめる。



「どこから…聞いてたの?」


「あなたとの関係を終わらせたいのってイベリスに話してるところから、かな。途中まで本当にお母様だと思ってた…でも、変装したエリンでよかった。もしあそこにいたのがお母様だったら私……」



 自分とおしゃべりをしようと集まって来る青年たちからなんとか逃れ、少し休憩しようと庭に出た際母親とイベリスを見かけたのだと言う。珍しい組み合わせだから気になって、あまり深く考えずに二人の後をメリアは追った。東屋に腰かけた二人の会話に耳を済ませた途端後悔したが、聞かずにはいられなかったと言う。



「ありがとう」



唐突にそんなことを言われ、エリンは何のことだかわからずに狼狽する。するとメリアは涙を拭ってからエリンの手を取る。



「だってイベリスとお母様を別れさせるために、お母様の変装をして彼に会いに行ったんでしょう?。…私が今日イベリスに告白すると知っていたから」



そうだ、その通りだ。だけど、それだけじゃない。私はメリアのことが好きだから、メリアが悲しむ前に悲しみの元を絶とうとした。自分勝手で、自己満足でしかない行動とも言える。決してお礼を言われるようなことじゃないのに。



「エリンはとても怒ってた。イベリスが私に思わせぶりな態度を取ってたとか、私達の時間を邪魔してたとか…」



エリンはそれを聞いて凍り付いた。考えてみれば、イベリスと自分の会話を聞いていたのだとしたら、私の気持ちもメリアに知られてしまったはずだ。

 メリアはどう思うのだろう。変装が特技だと知った時、彼女は私を気持ち悪がらなかった。だけど、女性なのに女性が好きだということを知ったら、気持ち悪がるだろうか。

 緊張しながらメリアの次の言葉を待っていたエリンに、メリアは赤くなった目で微笑んだ。



「私の恋を心から応援してくれて、私のためにあんな風に怒ってくれて、私…最高の友達を持ったわ」



愕然とする自分と、安堵する自分がいた。この調子だと、メリアは私の好意にはまだ気がついていない。私がメリアに好意を寄せているという話題を口にした時、イベリスは声を落としていたような気もする。少し離れた場所から自分たちの会話を聞いていたメリアには聞こえていなかったに違いない。

 自分の気持ちが知られていない安堵感と、まだこの気持ちを抱えていなければならない苦しさが同時にエリンを襲った。

 メリアはエリンの手を放すと、自分の屋敷を眺めた。

 大分離れた所まで走って来てしまったようだ。屋敷の全景は華やかでありながらも落ち着いていて、この町でも一二を争うほど立派なものだった。しかしそんな我が家を眺めるメリアは、諦観の滲んだ目をしていた。



「もう家には帰れないわ。イベリスには会いたくないし、お母様は…もう二度と顔も見たくない」



屋敷を背にして再び歩き出すメリア。



「どこへ行くの?」



その問いに答えないメリアに、はっとしたエリンは駆け足で彼女の前に踊り出る。



「まさか死んでしまおうなんて、考えていないよね?」



エリンにそう問い詰められると、メリアは大粒の涙を流し声を上げて泣き出した。顔を両手で覆い、黄金の銀杏がさざめく道端に頽れた。



「…でもエリン、じゃあ私どうしたらいいの?」



イベリスと母親の関係を父親に告げれば、二人は間違いなく二度と会うことは出来ない。しかし小さな町だ。すぐに醜聞は広がり、メリアは「はしたない女の子ども」「あの女と同じ血が流れている娘の貰い手なんていない」などと陰口を叩かれ、一生肩身の狭い思いをしながら生きていく未来が待っている。そんなことは火を見るよりも明らかだった。

 しかしメリアには、イベリスと母親の関係を黙っていることも出来た。しかしそれでは二人の関係が誰か別の人間によって明るみになる前に、メリアの心が死んでしまう。どちらにせよ、もうメリアに幸せな未来は想像出来なかった。

 彼女の考えていることが容易に想像出来たエリンは、覚悟を決め俯くメリアの肩を掴んだ。



「この町を出よう」


「えっ…?」



下ろされた顔を覆っていたメリアの手をしっかりと握り、エリンは力強いまなざしで彼女を見つめる。



「この町を出れば、メリアのことを知る人が誰もいない場所に行ける。それならきっと幸せになれるよ」


「でもエリンを巻き込みたくないわ」



しゃくりあげながら強がるメリアに、エリンは微笑しながら嘆息した。



「私はメリアが望むなら、一緒にこの町を出たいの。巻き込まれてなんかいない、これは私の意思よ」



 夕日がドレスのまま地べたに座り込む二人のことを橙色に染める。この時間だけは葉を黄色に着飾った木々も、その鮮やかな色を失って橙色になり沈黙している。

 メリアが感極まった様子で「ありがとうエリン」と抱き着くと、エリンは彼女の震える背中を優しくさすった。

 不意に体を離したメリアは、困ったように眉をハの字にした。



「大事なことを忘れていたわ」


「なに?」


「船に乗ることが出来るのは男性だけ。私たちが乗船しようとすれば殴られて連れ戻されてしまうわ」



肩を落として再び泣きそうになるメリアに、エリンは片目を閉じてみせる。



「私にいい考えがあるの」

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