第3話 絵具が落ちたから

 花を集めて一人遊んでいたエリンは、湖面を覗きながら一人で楽し気にくるくるとその場で回ってみたり、ポーズをとってみたりしているメリアをみつけた。

 メリアの方が彼女を探していたはずだけれど、メリアをみつけたのはエリンの方。

 気になったエリンは花を持ったままメリアの方へ歩み寄った。



「どうしてそんなに楽しそうにしているの?」



あまり抑揚がなく、冷たい印象を受ける声だが、エリンは決して怒っているわけでも冷たい人間なわけでもない。しかし、そのせいで人々に冷たい印象を与えてしまったり、不愉快にしてしまったりしてしまうことが多々あった。

 けれどそんな彼女の声音を気にするわけでもなく、メリアは満面の笑みで答える。



「もう一人の私が楽しそうだから」


「…?。楽しそうなあなたが映っているだけじゃない」



エリンは不思議そうに首を傾げた。そんな彼女を他所にメリアは湖面に映る自分を眺めながら続けた。



「どうして映るのかしらね、知ってる?」


「知らない。映るものは映る…そう考えたことしかなかったから」



そんなにくるくる回っていたら目が回って湖に落っこちちゃうよ、とエリンが注意しようとしたその時イベリスがエリンを呼ぶ声が聞こえた。彼もメリアと同様、エリンを探しに来たのだろう。



「あ」



 イベリスの声に気を取られていたメリアは、その拍子にぬかるみに足を取られた。体勢を崩したメリアはたちまち湖に落ちてしまった。

 血相を変えたエリンは考えるよりも先に持っていた花を手放し湖に飛び込もうとしたが兄に止められる。代わりに湖に飛び込んだイベリスは、溺れないよう必死に手足を動かしているメリアの身体を息が出来るように支えた。

 バシャバシャという水音を聞きつけて水鳥の群れかと大人たちが近くに集まって来ると、ただ事ではない雰囲気に起こっている事態を即座に把握した。ある者は湖で溺れている子ども達を助けに、ある者はツェーゲルン夫妻とクラスペディアをすぐに呼びに行った。

 溺れていたメリアを先に引き上げてもらい、イベリスも続いて無事に水から上がった。メリアの着ていたドレスは水を吸ってしまいとても重かった。このままでは風邪を引いてしまうと言って、ゼレナーデとアザレアはイベリスにお礼を言ってからメリアを連れて自宅へ帰ろうとする。が、メリアは両親の手を放し、びしょ濡れの姿を同世代の子ども達に笑われながらも同じくびしょ濡れになったイベリスに歩み寄った。



「助けてくれてありがとうイベリス」


「お安い御用だよ。それより怪我はない?」


「うん。それと、ごめんなさい。イベリスまで笑われてしまって…」



今にも泣きそうなメリアを見てイベリスは目をまるくすると、突然腹を抱えて笑い出した。



「あははは」


「えっと…私何かおかしなこと言った?」


「ううん、違うんだ。笑われるのなんて全然気にならないよ。それに、寧ろ感謝したいくらいさ」



要領を得られず首を傾げるメリアにイベリスは続けた。



「さっき絵を描いていた時に服に飛び散った絵具が、湖に飛び込んだことで綺麗に洗い流されたんだ。これで母さんに怒られなくて済むなって思ったから、その感謝」



冗談なのか、それとも本気で言っているのかはわからなかった。けれど、彼の言葉で「彼を笑いものにしてしまった」というメリアの気持ちも少しは楽になった。



「だから、そんな泣きそうな顔しないの」



そう言って頭を撫でてくれるイベリスの姿を、メリアはその大きなスミレ色の瞳いっぱいに映し、自身の恋心を初めて自覚するのだった。

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